2009年03月03日

自己を苦しめる自我

野球の試合で、あなたがピッチャーをつとめることになったとします。

最終回の裏、同点でツーアウト満塁。しかもツーストライク、スリーボールです。

「もし、フォアボールを出してしまったらどうしよう」
「落ち着け、自分ならやれる」
「恥はかきたくない。いや、そんなことはどうでもいい。
ベストを尽くせばいいじゃないか」・・・・・・・

次々と心に雑念がわいてきます。
これでは、ボールのコントロールを云々(うんぬん)する前に、
心のコントロールができなくなってしまいます。

このように、わたしたちが悩むのは、
失敗と成功、名誉と不名誉、損と得、苦と楽、勝ちと負け・・・・。

二つの感情や考えの間で、心が一方へ行ったり、反対へ行ったりする。
あるいは、一方だけに執着してしまうからです。

誰だって、自分のことを良く思われたい。得をしたい。いやな目に遭(あ)いたくない。と、考えるものです。

この「自分は」「自分だけは」という気持ちこそ、
相対する感情や、考えの間をうろつかせたり、
一方へ固執(こしつ)させたりして自己を苦しめる犯人なのです。

これを「自我」と呼びたいと思います。言い換えると、
わたしたちが普通、心と呼んでいるのは、
この「自我」にほかなりません。

そして、釈迦は、
苦しみの根源は「欲望と執着」であると説かれています。
立花敏伸氏HPより

人間の欲には果てしがない。
それはちょうど塩水を飲む者が、
いっこうに渇(かわ)きが
とまらないのに似ている。
彼はいつまでたっても
満足することがなく、
渇きはますます
強くなるばかりである。
                                      釈迦 

欲を心から離れて見やれ 何がなくとも充分じゃ

白隠禅師


自分の「思い」「思い込み」が自分を苦しめます。日々淡々と自分の事は終わらせて、後は人のお役に立てればいいのですね。

自分の「思い」が強い人は「心が重い」人になります。
自分の「思い」が軽い人は「心が軽い」人ですね。

合掌
仏光
ランキング参加中。クリックをお願いします↓
仏光さんのバナー

コメントを送りたい方は下のCommentをクリックしてください。↓


posted by 仏光さん at 22:14| Comment(5) | 自我

2009年03月02日

貴方の願いは成就します

あなたの願い事は成就します

「世のために、自分を大きく生かしたい」 とお願いしてください。

その願いこそ、私たちが生まれてきた理由です。
この身体は借りものです。
自分のことだけを祈るのでは決して霊験はありません。
自分の為に、この一生があるのではなく
人の為に役に立てるためにこの身体がある。

「この私の願いが叶えば、必ず仏様に代わり、衆生(しゅじょう) のために尽くします」

という願いは必ず成就するものです。
                     
                                百万人にお遍路を伝える会の小冊子より


霊験(れいけん)・・・人の祈請に応じて神仏などが示す霊妙不可思議な力の現れ。利益(りやく)。
衆生(しゅじょう)・・・この世に生を受けたもの全てを意味する。
           特に、業の深き人間を指すことが多い。
           立花敏伸氏HPより

私は天がこのような願いを放って置くはずが無いと思います。人に喜んでもらえる幸せは何物にも変えられませんね。

合掌
仏光
ランキング参加中。クリックをお願いします↓
仏光さんのバナー

コメントを送りたい方は下のCommentをクリックしてください。↓


posted by 仏光さん at 23:08| Comment(9) | 空の心

2009年03月01日

幸せの秘薬

立花敏伸氏HPより
★ この秘薬は、使い方を誤ると大変な事になりますが、効目は確かです。
★ 悲しい時や辛い苦労の時にでも幸せを感じ取る事が出来ます。

〈使用上の注意〉
この秘薬は、心豊かで素直な方のみに効果が現れます。
薬が合わず副作用で苦しむ方もいるようです。くれぐれもお気を付け下さい。

[幸せの秘薬 = 悲しみや苦労を経験する事です。]

悲しみや苦労は、悪い事でも不幸でもありません。
誰でも経験する事なので、否定せず素直に受け止める事です。

この経験が、心を豊かにして、いつでも幸せを感じ取る事が出来ます。

悲しみや苦労を経験する事で、どの様な時にでも幸せを感じ、
人の悲しみや苦労も解る豊かな心になります。経験の少ない人は、
楽しい事や嬉しい事だけが幸せだと思い込み幸せ探しの旅を続けます。
心が豊かな人は、いつでも幸せです。

秘薬の副作用 
悲しみや苦労を自分の為と思えぬ人は、この良き経験を、
自分の心で受け止めず、全てを人のせいにする事で、心を狭め、
恨みや悲しみの中で生活する事になります。

合掌
仏光
ランキング参加中。クリックをお願いします↓
仏光さんのバナー

コメントを送りたい方は下のCommentをクリックしてください。↓



posted by 仏光さん at 22:35| Comment(2) | 人生を楽に過ごす方法

2009年02月28日

心の中の幸せを感じて・・・・

人生の喜びや悲しみ、運の善し悪しは、自由に変えられません。
しかし、幸せは心を変えるだけで感じ取れます。

幸せとは、自分の心が決めるのです。幸せを探している人は、
その幸せが訪れても気が付かず、不幸だと思っている人は、
一生幸せが訪れないかもしれません。
同じ事をしているのに、幸せを感じる人と、不幸と思う人がいます。
実は、幸せと不幸は、同じ心が決めるのです。

幸せは、いつも心の中にあります。

その幸せを心で感じ取れるかどうかです。

お金持ちの人、貧乏の人、健康の人、体の不自由な人、色々な環境の人がいます。
同じ環境、同じ生活をしていても幸せを感じ取れる人と不幸と思う人がいます。
不思議ですね?

「幸せ」と「不幸」は、同じなのです!

人生の苦楽は当たり前、現実を素直に認め、否定せず、楽・喜・辛・悲を心の糧として、
「プラス」に転じる事の出来る人は、どのような時にでも幸せを感じ取る事が出来ます。

心を豊かにし日々の生活を大切にする「心」が幸せの第一歩です。
立花敏伸氏HPより

 一期一会

幸せは,いつも心の中にあるのだから!

合掌
仏光
ランキング参加中。クリックをお願いします↓
仏光さんのバナー

コメントを送りたい方は下のCommentをクリックしてください。↓


posted by 仏光さん at 22:06| Comment(4) | 物事は必ず好転する

2009年02月27日

欲望には限りなく、人を地獄に落とす

スメーダ尼
四洲の主、マンダータルは、欲望に耽溺 (たんでき=よくないことに夢中になること)
することを極めたが、遂に満足することなく死にました。
彼の欲求はかなえられませんでした。人々は欲望に満足することなく、死にます。

スメーダ尼のこのことばを聞くと、私はギリシャの船主で当時世界一の大富豪であった、
オナシスを思い出す。彼は派手な女性、世に名高い婦人を好み、
人を愛していなかったため、マリア・カラスを手にするも結婚することなく、
さらに、また名声と権勢好きであったジャクリーヌ(元ケネディー大統領夫人)と
一緒になった。欲の人が、欲の種類が違うとはいえ、欲の人と結びついて、
平和を得られるはずもなく、欲を制し得ない人たちは欲のドロ沼に陥り、
身と心を清めるチャンス(教え)に接することなく、生存を終える。
いかに世界の富豪になろうとも、貧なるマザー・テレサの清さにはかなわない
ことを見ても、決して賢き人たちとはいえない。いつの時代も、
いかなる環境においてもこの法則は貫かれる。人は同じオーラの人と結集し、
悪しき欲の人たちはお互いに利用し、お互いに汚れの道を歩む。
自分を慎み釈迦の教えを聞き、得た金銭を貧しき人々、困窮にある人々を救うために
使うならば、本当の愛を知る人が かの人たちのもとに天から派遣される。

マリア・カラスは失意に沈み、ジャクリーヌは、買物依存症候群 に陥り、
湯水のごとくオナシスの金銭を海に流した。オナシスは苦のまま死に、オナシスの子と
ジャクリーヌは、残った財産を争った。しかしやがて欲のままこの世を去った。
今見るにマイケル・ジャクソンがお金を得ることによって、
マンダータル王の苦しみの中に入ってしまつたように見受ける。

果てしない欲と、大金によって、心がコントロールできなくなり、
深い悲しみに心が覆われ、ねじれ ねじれて、罪を犯す。
マンダータル王は、遂に満足することなく死んでしまった。
スメーダ尼は淡々という、
かの人果てしない欲求はかなえられませんでした。
自分の都合だけを主張する人は欲に満足することなく死にますと。

北川八郎氏著 ブッダのことば「百言百話」より引用 立花敏伸氏HPより

明治の頃の狂歌ですが、「この世では金と出世が敵(かたき)なり、どうぞ敵にめぐり合いたい!」という仕方の無い歌があります。何となく人間らしくて笑ってしまうのですが、頭では分かっていても、どうしても自分の欲で利益を追い求めてしまうのが人間です。

追い求めた末、その先は地獄では割に合わない話ですね。「家族がそれなりに食べていければそれで感謝!」と思っていれば良いみたいです。もし自分にそれ以上の余分が与えられれば、恵まれない人に喜捨すれば良いだけの話ですね。こりゃ極楽ですよ。

合掌
仏光
ランキング参加中。クリックをお願いします↓
仏光さんのバナー

コメントを送りたい方は下のCommentをクリックしてください。↓



2009年02月26日

人生は一呼吸

人はこの世に生まれて、一番最初に何をするでしょうか、
まずこの世の空気を吸って、オギャーと元気よく泣くでしょう。
それではこの世の最後、人はどうするでしょうか、
フーと、息を吐き終えるや、ご臨終です。人の一生はこの世の空気を
吸って始まり、息を吐いて終わる、一呼吸のようなものかもしれません。
人は無意識に呼吸しています、無意識であるということは、
生きようとするお身体さまがちゃんと呼吸してくれているからでしょう。人間は自分の意思で生きているようであって、あんがい生かされているのかもしれません。欲張り心が、むくむくと高まってくると、
あるいは自分勝手な心が、動き始めると、
人の呼吸は不思議と乱れ、荒くなります。
けれども、深呼吸、ゆっくりと息を吐くことを数回すれば、
気持ちが落ち着き、冷静さが取り戻せるものです。
(※ 腹式呼吸法 下記参照)
人は、貪欲(むさぼり)、瞋恚(いかり)、愚癡(無知)、など、
自らの煩悩によって、自分の歩むべき道を見失ってしまう。
煩とは頭が燃えているという字です。
それで自分で悩みを深くしてしまうのです。

 「煩悩(ぼんのう)の炎が燃えさかっているから鎮(しず)めなさい
 静かに、姿勢を正し、息を整えなさい、そうすれば、
 気持ちも自ら静まり、己の姿も周りのことも、
 すべてがよくわかるようになるでしょう」

 ※煩悩(ぼんのう)・・・心身を悩まし、苦しめ煩(わずら)わせ、汚す精神作用。



お釈迦様はいつも人々に、このように説かれました。
人生とは、よくよく考えてみれば、一呼吸のようなものでしょうか、生まれ出て「こんにちわのご挨拶・オギャー」ここから始まって、最後は「言葉もなく、フーと」、息を吐き、終わりです。
けれどもこの最後に「フーと」息を吐き終える時「ありがとう」の気持ちが込められるでしょうか、人生が幸せであったかどうか、
人の一生、終わり良ければ全て良しと、生きたいものです。

※腹式呼吸法

仕事中や勉強中でも、寝た状態でも、座っていても、立っていても簡単にできるのが腹式呼吸法です。腹式呼吸を行うことで血圧も安定し、
肺のすみずみまで酸素が送り込まれます。毎日10分間から20分間
行うことで気持ちも落ち着き、体も活性化されます。

口を閉じ、鼻からゆっくりと息を吸い込む。この時、お腹が膨らむようにして、息を吸い込むことがポイントです。充分に息を吸ったら、
次は口を閉じたまま鼻からゆっくりと息を吐き出す。吐き出しながら、
お腹をへこませるようにする。

息を吸うときも、吐くときも、体に力を入れないようにしましょう。
手をお腹において、膨らんだりへこんだりすることを、
確認しながら行うとよいでしょう。 立花敏伸氏HPより  



 災いが内からわくことを知らず、

 東や西の方角から来るように思うのは愚かである。

 内をおさめないで外を守ろうとするのは誤りである。

              (六方礼経)


合掌
仏光
ランキング参加中。クリックをお願いします↓
仏光さんのバナー

コメントを送りたい方は下のCommentをクリックしてください。↓

posted by 仏光さん at 22:16| Comment(6) | 心のトレーニング

2009年02月25日

善き教えに接することは最高の財産

釈迦はいう
教えを説いて与えることはすべての贈与にまさり、
教えの妙味は すべての味にまさり、教えを受ける楽しみはすべての楽しみにまさる。

善き教えを解りやすく説くのは難しい。学問上のことばを使わず、言いまわしも、
シンプルにして、中学生か高校の女性徒にも解るように説くのは難しい。
男子生徒は割りと理論的に考える傾向があるが、女生徒は、どちらかといえば講演者を
好悪や目つきで判断したり、解りやすいことばしか受けつけないという傾向がある。
特に小学校低学年に釈迦の話をするのは難しい。悟りとか修行とか正しい思念とか、
妙味とか、すべての漢字に瞳が点となって、全く理解してもらえない。

善き教えはすべての贈与にまさるとは キリストも同じようにいっている。
あれこれ理由をつけて、掃除をしたり、窓を直したりせず、
すべてを投げ打って私(キリスト)の話を聞くことにまさる行為はないと。
つまり、教えを聞くチャンスを逃さずよく聞いて、自分を修正することを第一とせよ。
それは、神の門に至る地図を与えられるからである。そしてその地図をたどって
歩み出す勇気をも与えられるからである。正しき、善き話はすべてを投げうって、
耳を傾け、真理を見出すように心を傾けるといい。自己の修正に時間を費やすと、
心揺れることがなくなり、患(わずら)いと不安から遠ざかることが出来るようになるからだ。
また教える側の妙味は、聞いてくれる人々の好意と熱意のエネルギーをいただくので、
心が昂揚(こうよう=気分が高まる)し、少々の風邪の症状くらいは30分で消えてしまう。

熱い尊敬と、優しいうやまいのエネルギーが心地良く、丹田(たんでん=へその下辺り)に
たまってゆく。本当に、教えを受ける方にも、授ける方にも、すべての楽しみにまさる、
生きる充実感をもたらしてくれる。身を正し、物を売らず真を語り、
信を大切にして、先ず自分を正しく整える。
そうして、内なる光輝を静かなエネルギーに換えて興奮することなく

大声でしゃべることなく、
静かなことばを四方の隅々まで光に乗せて行き渡らせられるといい・・・。

北川八郎氏著 ブッダのことば「百言百話」より

合掌
仏光
ランキング参加中。クリックをお願いします↓
仏光さんのバナー

コメントを送りたい方は下のCommentをクリックしてください。↓


posted by 仏光さん at 21:05| Comment(0) | お釈迦様

2009年02月24日

欲望と坐禅


私は禅僧ですから、もちろん坐禅瞑想は怠り無く毎日します。しかし、なかなか自分の欲望や「自分はたいした者だぞ」という心を無くし切れません。だから、毎日坐禅をするのです。無くなれば坐禅などする必要はありません。

何故無くならないかというと、「欲望」というのは人間のDNAのプログラムだからだと思います。DNAの目的はただ一つ自分のコピーを作って存続し続ける事です。そのためには他を淘汰し続けなければいけません。他よりか勝っていなければならないのですね。だから私達は少しでも人に勝とう、上に行こうとするのではないでしょうか。逆に負けると悔しいし落ち込むのです。時には自暴自棄になったりします。

見方を変えると人間はDNAのプログラムでランしているコンピューターの箱みたいなものといえるかもしれません。お釈迦様は「DNAのプログラムでランしていると、結構苦しみだらけになるからプログラムをリセットしなさいよ。」と言っているのでしょうね。

じゃあ、「どうしたらリセットできるの?」というと、究極は私の知っている限りきっちりとした正師について坐禅瞑想するしかないように思います。坐禅をしたい方はどうぞコメントをお送り下さい。きっちりしたところをお教えします。でも、「坐禅はちょっと難しいかな」という方はこのブログに書いてある「心のトレーニングマニュアル」を実行されたら如何でしょうか。ずいぶん楽になると思いますよ。

合掌
仏光
ランキング参加中。クリックをお願いします↓
仏光さんのバナー

コメントを送りたい方は下のCommentをクリックしてください。↓


2009年02月23日

背負いきれない悲しみ

四苦八苦の中で一番悲しい出来事は愛する人との別れではないだろうか。
別れの中でも、わが子との死別ほど悲しいものはないと思う。

● 桂子さんは16歳の2月急性骨髄性白血病の診断を受けた。
それから18歳で旅立つ日までにインタビューで話された言葉の中から。

病気したおかげで、
人はずっと
生きてるわけじゃないっていうことに
気がついたっていうか。
それだったら、やっぱり、
それまで
どれくらいハッピーでいられるかが
勝負だろうなっていう気が、
今はする。
(1996年10月。雑誌インタビューで)



● 桂子さんが寝不足の母に語った言葉

眠れない時は、
今日あった いいこと、
15くらい思い出す
そうすると、
よく眠れるよ。

● 桂子さんが亡くなる前に両親に書かれた手紙

お父さん、お母さん、18年間育ててくれてありがとう。
二人の子供に生まれてきて幸せだったよ。
中2のころからずっと闘病して、ずっと心配かけてきたよね。
私は病気に負けないと思ってきた。ずっと。
でも治すこと、できなかった。
治せなくてごめんね。がんばったんだけどな。
ごめんね・・・・お父さん。ごめんね・・・・・お母さん。
ありがとう。ほんとうにありがとう。 立花敏伸氏HPより

私は、皆が一日無事で暮らせて行けたら本来それ以上は要らないのではないかなと思います。人間はいつかは必ず死にます。だから、今日皆無事に居てくれたら、それこそ本当にありがたいことです。無事で居ることが当たり前では無いのです。皆が元気にしている間にそのありがたさに気づきたいものですね。我が家は今日も皆無事に過ごすことができました。「ありがとうございます!」

合掌
仏光
ランキング参加中。クリックをお願いします↓
仏光さんのバナー

コメントを送りたい方は下のCommentをクリックしてください。↓

posted by 仏光さん at 23:47| Comment(0) | ありがとう、ありがとう

2009年02月22日

お前も「ろくなもんじゃねえ」ことを知れ

★ 人は、落ち込んだり有頂天になったり、中々心のコントロールができない。
この気分の起伏というものを何とかできないものだろうか ──。

● 解決策は簡単です。
落ち込んでしまうのは、自分が「大したものだ」と思っているのに、さほどの
評価を得られなかったからです。逆に有頂天になるのは、自分が「大したものだ」
と思っているところに「大したものだ」「素晴らしい」と賞賛を浴びるからです。

どちらも同じ心の状態がそういう心の起伏をつくっているということになります。
その心の状態とは、「自分が大したものである」「ちゃんとしたものである」と思う
ところから始まっています。

自分が「大したものじゃない」「ろくなものじゃない」「ちゃんとしたものじゃない」
と心を定めることができたら、人間はとても楽に生きることができます。
人間はもともと不完全で不十分で未熟。やること為す事完全にはできず、
ミスばかり。そういうものの積み重ねの結果として人間があるのだと思います。
「たいしたものじゃない」「ろくなものじゃない」「ちゃんとしたものじゃない」
と思うことができたら、非難されても否定的なことを言われても
落ち込むことがなくなるでしょう。

落ち込む人、同時に有頂天になっている人というのは、
すべて「自分の力がなかなかのものである」と思っている
ところからキテイルに思います。もしかすると、
その心は驕(おご)り、高ぶり、傲慢(ごうまん)というものに近いものかもしれません。

本当に謙虚になると、落ち込むことも
有頂天になることもなくなるような気がします。

小林正観氏著「ただしい人からたのしい人へ」より


★ もしも愚者が、自ら愚であると考えれば、すなわち賢者である。
  愚者でありながら、しかも自ら賢者だと思う者こそ愚者である。  (釈迦)

★ 「我必ずしも聖(ひじり)に非ず。彼必ずしも愚に非ず。
  是れ共に凡夫(ぼんぷ)なり」

と聖徳太子はいわれました。人間の争う原因は常に、『相手より自分のほうが正しい』
『相手より自分のほうがすぐれている』という発想なのである
自分が相手の立場だったらどうするだろうかと考えた時、そこには争いも
起こらずまた、怒りも起こらない。そしてそのためには、

『自分が必ずしも相手より優れているわけでもなければ、正しいわけでもない』
という反省と、自分は愚かである という自覚が 前提としてなくてはならない。
という教えである。立花敏伸氏HPより

私も昔は傲慢で本当に「ろくなもんじゃねえ」と言われても仕方が無い人間でした。財力があり、社会的地位があり、人を無意識のうちに見下して、本当にろくなものじゃなかったです。今から思うと心からに恥ずかしいですね。でも、今完全に「自分は大したものだ!」という思いがなくなったわけではないと思うのです。調子が良くなるとすぐに慢心したりしているのではないかと。

人と比べず、自分は「大したものじゃねえ!」と言い聞かせ、言い聞かせ、実践して生きて行きたいものです。その時に自分の「自我」が少なくなっているのでしょうね。道は長いけど一歩一歩です。

合掌
仏光
ランキング参加中。クリックをお願いします↓
仏光さんのバナー

コメントを送りたい方は下のCommentをクリックしてください。↓


posted by 仏光さん at 18:21| Comment(2) | 人生を楽に過ごす方法