2009年03月18日

チャンスはピンチの顔をしてやってくる

百年に一度と云われる不況で、自分が思い描いていた人生の設計が大きく方向転換せざるを得ない人もたくさんいると思います。

その時は「大変だー!」と思うのですが大丈夫です。こんな事は人類の歴史の中で戦争や天変地異、飢饉として長い歴史の中で延べ何億人もの人達に起こっていたし、それが自分に起こっただけの話です。

そこで人生の分かれ目が出てきます。これをチャンスと取るかピンチと取るかです。皆さんこれは大変だけどチャンスなのです。まず、のほほんとしていられないので毎日真剣になります。何とかこの危機を乗り越えようと一生懸命生きるようになります。放って置けば失意でうつになる人もいるでしょうが、分からないでもないけどやはりそうなる必要はありません。

過去の危機的状況の歴史を見ると、全体から見れば亡くなる人は少しでやはり圧倒的多数が生き残り人生を続けていきます。マヤ文明は滅んだのですが人はインディオとして南米大陸に広がっています。

面白いのはこういう危機を乗り越えた後に飛躍的発展が見られることです。戦争で焼け野原になった日本が世界第二位の経済大国になるのですよ。今は不況ですが不況なりに世界第二位のままです。

これは国だけではなく個人も同じです。危機を乗り越えると実力が付き個人の飛躍的発展が見られるのです。こういう時は、がむしゃらに乗り越えなくても生き残るだけで実力がつきます。それは仕事かもしれないし、金、金、金の価値観が変わってやっと心の平穏が見つけられる価値観の土台が作られる事かもしれません。残業が減り、家族と過ごすうちに「何のために働くのか」本来の意味に気づく人もいるかもしれません。

価値観が変わると面白いですよ。例えば金や社会的地位などの価値観がゴロッと変わると、「セレブやってます」という顔をして生きている人が滑稽にすら見えてきます。私は別にお金を儲ける事が悪いと言っているのではありません。しかし、それにより自分が周りより偉いと思い出す人が多いのすね。、本人は得意満面の中にやはり不幸の種が芽生えていくから害も多いのです。たくさん儲かったら贅沢をせずに困った人へ喜捨すればいいのです。そうしたら不幸にならずに済みます。

こういう言葉があります。「チャンスはピンチの顔をしてやって来る!」ピンチの時が実はチャンスなのですが、チャンスとして自分のものにするためには自分の心を積極的な状態にしておくことですね。ピンチの時ほど積極的な良い言葉を使い、消極的なつまらん言葉は使わないことです。

いくら勇ましいことを言っても心を正しくして置く事が苦しい時にはもっと大事かも知れません。言葉は綺麗でも不正をしたり、人を傷つけていては何もなりません。

自分が苦しい時ほど周りの困っている人を助けましょう。これは結局人よりか自分が助けられることになりますから。何があっても大丈夫ですよ!人間何時からでもやり直しができます。もともと「人間本来無一物」なのですから。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 00:06| Comment(2) | 空の心

2009年03月16日

お釈迦様は何故仏祖なのか

ご存知のようにお釈迦様は仏祖です。仏教を創めたのがお釈迦様だから仏教の祖になるわけです。お釈迦様は実在の人物であった事はどうも確かです。後に色々な歴史、人々の願望から神のように神格化されていきましたが元々は生身の人間です。

私はお釈迦様が偉いと思うのは、まず「人生は苦である。」という真理を見極めた事。そして、その「苦」から逃れるには「こうしたら良いよ。」と苦しみから逃れる方法として坐禅を含めた「八正道」を見極めたことだと思います。詳しくは私のブログの「幸せに生きる八つの実践」を参照してください。http://gakunan-zen.sblo.jp/archives/20090310-1.html

お釈迦様はこれらの道を悟った後インド中を歩き回って人生の真理とその解決方法をあらゆる人に教えていきました。お釈迦様は「こうしたら良いのだよ。」と人々の苦しみを思うと教えざる得なかったのだと思います。苦しんでいる人々をどうしても救いたいと思う慈悲心ですね。

お釈迦様は亡くなる時に「これから私達はどうしたら良いでしょう?」と聞く弟子たちに「自燈明、法燈明」と答えられました。自燈明とは「自分自身を燈明とせよ。」要するに自分自身を頼りにせよということです。法燈明とは「釈迦が見極め教えた真理を燈明とせよ」という意味です。お釈迦様は「自分自身と真理を頼りとして生きていけ」と言われているのです。「真理」とは不変のものです。

人を頼りとせよ。世間の道徳を頼りとせよとは教えていません。まず、頼れるだけの自分自身を作っていかなければいけないし、釈迦の教えた真理を自分の物とする勉強も必要です。「修行は嫌いだけど、悟りは好き!」というわけにはやはりいかないのですね。

世間の道徳は世間とともに移り変わります。道徳というと「すごく確固たる正しい道」みたいに思われている場合もありますが、歴史ではそうではないことがはっきりしています。

世間では反道徳的な人が刑務所に入るのですが、昭和の時期に起こった太平洋戦争では、戦前、戦中、戦後に牢屋へ入った人は全部違う種類の人です。戦前、戦中は戦争や体制にに反対した人が牢屋に入ったし、戦後は戦争に賛成した人が牢屋に入っています。たかだか10年の間にこれだけコロコロ変わるのです。アメリカのテロ容疑者の刑務所もたぶん同じようなものでしょう。不変の真理と比べると、こんなにコロコロ変わるものを絶対的に頼りにする事はやはりできないのです。

私にとって「禅」はお釈迦様の教えを学びを実践する効率の良い教育システムです。禅を実践していくうちに自分にぶれない背骨ができていくような感じがします。お釈迦様の説いた真理を勉強して、実践していくと「なるほどなー!」とどうしても感心してしまうのです。

仏教の本やお経に書いてある事は文字からしても難しいのでうんざりします。このブログで少しでもお釈迦様の教えが分かりやすく伝われば幸いです。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 22:47| Comment(2) | お釈迦様

2009年03月15日

怒り、ストレスは病気の原因

釈迦 いわく
怒りをやめて、安らかに臥(ふ)す。
怒りをなくして、悩まない。
怒りを滅ぼすことを、聖者たちは賞讃する。
ヴァトラブーよ。それを滅ぼしたならば、悩むことがないのだ。

現代の人々にとって、怒らない日を過ごすことは生きる上で大切な指針とすべき
大切なことである。怒りやイライラや不安は多くの人にストレスとなって、
様々な病気を引き起こしているからだ。心も体もその人自身の怒りと、人から怒られる
ことで生じる恨みでズタズタになって、訪ねてこられる。その人は怒り続けることで
心に罪の意識が生じる。また、毎日の生活の中で怒りがなくならないことと、
怒りに執着する自分が許せない。このささいな心の争いが心の隅に残って気になり、
イライラが増してゆく。こうして怒りはさまざまな障害と心のねじれをもたらす。
怒りが収まって初めて、安らかに床につける。

釈迦が「ヴァトラブーよ」と呼びかける時、そこにあなたの名を入れ替えてみるとよい。
釈迦が、親しげに呼びかけてくれるのを感じるだろう。
「さあ、君は、怒りを減らしなさい。そうすると、今の悩みは消えてゆく。
もう、その人を許し、その人に、許しの光を送りなさい。」と・・・・・。
そうすると、あなたが救われる。怒りを収めて丹田を練り、ゆっくりと息を吐いて
心を静めてみるといい。どんな悪しき状況に置かれても、怒りを収め、許すことを覚えて
ゆくようにする。ボクシングの世界大会で解説の元チャンピオンが、体験を話していた。
リング上では怒った方が負ける。怒らせた方が勝つ。怒った人は理性を失い、
腕の振りも足なみも乱れてくるから、空振りが多くなると・・・・・。
あらゆる世界で怒りは、次のステップのチャンスを失う。

釈迦はさらに次のようにいわれる。
「怒らず、恨まず、欺(あざむ)かず、誹(そし)ることなく、
また戒(かい=いましめ、戒律)を保ち、良き友を得、良き知恵のある修行者は、
死んだのちに、来世で悲しむことはない」
怒りによって、人を傷つけたならば、次の転生に影響してくる。怒りは次の怒りを呼び、
来世でその怒りによる苦を自分が味わう。いつまでも怒りの業は消えず、
その与えた悲しみとつらさを深く味わうまで、業は追いかけてくるという。
ストレスと怒りは人の心のエネルギーを外に漏らしているのと同じだ、怒り、
不安になると、元気が失せ、寝込んでしまうことがあるように、
心のエネルギーが失われてゆくのを感じるだろう。
また、ガンは怒りによって発火する。人はみなガンの体質を持っているといわれる。
例えば、蒔きと紙だけで火がつかないように、ガソリンは怒りであり、
マッチはストレスである。 怒りとストレスは
マッチとなって激しい火を起こし、薪を燃やし細胞をガン細胞へといざなう。
北川八郎氏著 ブッダのことば「百言百話」より 立花敏伸氏HPより

天地の「気」というかエネルギーというのか、目には見えない今の物理学では測定できない何らかの力が有ることは確かだと思います。もっと素粒子とか、ブラックホールとか宇宙物理学が進むと少しづつ解明されていくと思いますね。このようなことを神秘的に考える必要は無いと思います。

ただ、自分の心の状態がこの天地の「気」のバルブになっていると私は確信します。心が安らかだとバルブが開いてプラスのエネルギーが入ってくるし、心が怒りや不安で乱れるとこのエネルギーの供給が少なくなり病気になります。完全にストップすると死にますね。

人生には苦しい時もあります。そういう時は思いっきりプラスの言葉を使って、塞ぐ心で閉まりがちなバルブを目いっぱい開きましょう。最終的には人は皆自分だけが頼りなのです。私は苦しい時こそこの天地の「気」をいっぱい取り入れるようにしています。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 22:35| Comment(2) | 自我

2009年03月14日

心で生きる

私が若い頃は幸せとはその人が置かれている立場、条件の中に有ると思っていました。

「社長になって、お金や地位があって、自慢できる家族がいて、大きな家があって・・・・・」その中に幸せが有ると思っていました。

でも、それは大きな、大きな間違いでした。

人間はいくら財産や地位があっても、心が貧しくては決して幸せは感じられないのです。

物質的には貧しくても心が豊かであればいつも幸せな気持ちで穏やかに暮らすことができます。

そう、幸せは自分が置かれた立場や条件の中には無く、自分の心の中にあったのですね。

いくら自分が置かれた状況が厳しくても、心の置き所一つで同じ景色が地獄にもなり極楽にもなる。

心豊かに生きることが如何に大切か、今半世紀にわたる自分の人生を振り返り、しみじみと良い事に気づいたと思いますよ。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 22:30| Comment(0) | 物事は必ず好転する

自分の使命

自分の使命を全く顧みることなく、欲の道にはずれると、
そのはずれた距離に応じて、いろいろと、苦と、虚しさに捕らわれる。

もし、いらいらが続き、いつも虚しい時は、自分の持って生まれた意味や使命や、
この目的から、遠くはずれていることを意味している。自分の使命を果たしているとき、
顔は生き生きとし、毎日は充実感に満たされ、たくさんの人の応援に出合う。
これだけはいえる。今世は、社長になり、また、お金持ちになり、自分の都合にだけ
生きるために、人としての生命を神から与えられたのではない。威張るために、
自己の勢力を張るために、人を苦しめても、自分だけはいい思いをするために
この世に来たのではないと断言できる。

私のこの小さな、九州の片田舎町に、そのことに気づき、独り歩む男性を知っている。
まだ若く、手さぐりだが郵政公社に勤め、それまでに、中学高校といつも失敗し、
笑われながら、人に喜ばれることを目指し、高校で誰も立候補しない生徒会長を自ら
選び、今も、山村に一人住むお年寄りを、暇にまかせて慰問し、声をかけ、さらに自分に
出来ることはないかと、手さぐりで素朴に生きている姿は、感動する。その若い人の、
周りに勇気を与え、純朴だが歩む力強さに、拍手を送ってしまう。
そういう人にめぐり会えて私は幸せである。 

北川八郎氏著 ブッダのことば「百言百話」より 立花敏伸氏HPより

私は人の使命は色々な過ちを犯しながらも、ついには人々のために尽くせる自分になることだと思います。その道から外れるといくら金や権力を握っても最後は悲しい、寂しい人生を送ることになります。そのような例は日本史、世界史にいっぱいあります。
だから、一日一日精進して、格好だけではなく本当に人のために尽くせる自分になれるよう願っていればいいのですね。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 00:18| Comment(0) | 暗いままの明るさに生きよ

2009年03月12日

考えない

「悩む」と言うことはどういうことなのでしょう。普段私はよく「この世に悩みの無い人はいません。」という話を聞きます。よくよく「悩み」について考えてみると、「自分はこうしたい。自分はこうありたい。」という自分に対する思いに現実の情景が違う場合に人間は悩むみたいです。要するに思う通りにならない時に悩むのです。

私の家には「トラ」という猫がいます。家と外を行ったり来たりしながらもう13年も一緒に住んでいます。私の家は山の上にありますので車にひかれる心配もありません。私は「トラ」をよく観察するのですが、全くといっていいほど悩みはなさそうですね。かなり自由に生きていますが、やはり家族の一員として一緒に住んでいるので全部が全部「トラ」の思い通りにはなりません。

例えば外に行きたいと思っても、誰かが玄関を開けてくれないと外には出られません。寒い日に家に帰りたいと思っても家族が外出していれば外にいなければいけません。お腹が減っても家の者がいなければ帰って来るまでお腹を空かせて待っています。

でも、「トラ」には悩んでいる様子はありませんし怒ってもいません。もちろん猫と人間では脳の容量も違うので全く比較の対象にはならないのですが、私は「トラ」から時々学ぶことがあります。

「トラ」は「自分はこうしたい」という思いがあって現実にそうならなくても、その「思いが叶わない」ことについて何も考えていないのです。ただじっと待つ。この何〜にも考えていないのが「トラ」が幸せそうに生きている秘訣ではないかと思います。

例えばお腹を空かせて誰もいない家で待っていても、家人が帰ってきてキャットフードを貰えると嬉しさいっぱいになって、嬉しさ以外には何も無くなってしまうのですね。

これが人間だと大変です。「いったい何時になったら帰って来るんだ!この俺を何と思っておる!相手のことを考えないからこんなに遅くまで帰ってこないのだ!」とずーっと考えながら、ぷりぷり怒りながら待っている人もいるでしょう。そしていざ奥さんが帰ってくると「いったい今何時だと思っているのだ!遅くなりそうだったら電話しろよ!早く何か食わせろ!」と帰ってきた奥さんに怒ったりします。

奥さんが帰って来たら何か食べるものを作ってくれるから嬉しいはずなのに、放って置かれた怒りの方が嬉しさより優先されるのです。だから幸せではない。

私は「トラ」から自分の思い通りにならなくてもそのことについてずーっと考えないことを学んだ気がします。そして、思いが叶うとただそのことについて喜ぶ。すると結構猫みたいに穏やかに一日が暮らせるものです。

坐禅では「二念を継がず!」と言います。坐禅をしていると「アッ、あの人に電話をするのを忘れた!」みたいな雑念がボコっと頭に浮かびます。普通だと「すぐに電話をしなければ。電話が無いから心配しているかな?」という風に次々と念が頭に浮かんできて考えが広がっていきます。坐禅ではボコッと雑念が浮かぶのはそれは仕方が無い。でもそこでその念を捨てよと言われます。次に続けない。したがって、坐禅の修行をするという事は何万発も頭に浮かぶ考えを捨てる訓練なのです。

深く考えられる事は人間の特権です。この特権を感謝や嬉しさに使うか、怒りや不安に使うのかで天と地の差が出てきますよね。同じ特権があるのなら、感謝や嬉しさにこの特権を使って、怒りや不安などのマイナスの考えは捨ててしまいましょう。きっと猫みたいに穏やかに一日が過ごせるようになりますよ。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 23:08| Comment(2) | 自我

2009年03月11日

心と健康

日本ではよく「健康な身体に健康な心が宿る」と言われます。だから一生懸命頑強な身体を作ろうとする人もいます。しかしこれは間違いですね。「健康な心に健康な身体が宿る」のです。

今、殆どの病気は自律神経の乱れから来ているという学説が大変有力になっています。自律神経とは意思とは関係なしに、心臓や呼吸、内臓を働かせている神経です。

自律神経は昼間の神経とも言われる交感神経と夜の神経の副交感神経の総称です。朝起きると心拍数が上がり、身体が活動を始めるのは交感神経のお陰です。逆に、夜リラックスして眠りにつけるのは副交感神経のお陰になります。両者のバランスが取れていれば身体はちょっとやそっとで病気にはなりません。血液検査でデータを取ると、免疫機能をつかさどる白血球、顆粒球、リンパ球の数値が最適な状態になります。したがって、免疫機能がフルに働くのです。

しかし、ストレスを受けて交感神経優位となり自律神経のバランスが崩れると免疫機能が低下し病気になります。がんもこの自律神経の乱れから発症します。今まで、肺がんなどは喫煙が原因とかよく言われてきましたが、欧米諸国で禁煙が進みタバコを吸わない人の人口が急増しました。しかし、肺がん患者は減るどころではなく逆に増えているのです。ではどういう人が肺がんになっているかと言うとタバコを吸わない人です。

社会のストレス状況は確実に悪化しています。自律神経のバランスが乱れる人も急増しています。不眠をはじめ、がんやその他の内臓疾患が増えています。これは心が健康でないからです。あれやこれやと悩み自律神経のバランスを崩して不眠になり、そして病気になっていきます。

皆さんよく考えてください。悩むことなどは全く必要の無いことです。悩んで状況がよくなるのであればどうぞ朝から晩まで悩んでください。でも、悩んで状況がよくなるわけ無いでしょう。逆に病気になって状況をもっと悪くします。しかし、心を楽にして自律神経が整うと免疫力が回復して、癌ですら想像を超えるスピードで治ります。

簡単なやり方で自律神経のバランスをとる方法がありますので以下のURLを見て下さい。これは新潟大学医学部で開発された方法です。効果覿面ですよ。http://www.umi-kaze.com/index/naiyou/seikatu_sido/tume_momi.htm
そうそう、坐禅も効果覿面です。禅堂で不眠で悩んでいる人は未だ嘗て見た事がありません。みんな死んだ様に寝ています。


合掌
仏光
 
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posted by 仏光さん at 23:43| Comment(0) | 人生を楽に過ごす方法

2009年03月10日

幸せに生きる8つの実践

お釈迦様は「人生は苦である」と見極められました。私は「なるほど真理だけど、それだけでは困るなぁ。もう生まれちゃっているんだから。」と正直思いました。それに対してお釈迦様は「これだけやれば人生ちゃんと生きられるよ」と言って8つの実践方法を教えています。つまりこれがお釈迦様が悟った「ちゃんと人生を生きる方法」なのです。この8つの実践方法を「八正道」と言います。それは次の通りです。

1. 「正見」・・・正しい見解
偏見や固定観念に固執せず原因と結果の関係を見極める。

2. 「正思推」・・・正しい考え
真実をありのままに正しく考える。

3. 「正語」・・・正しい言葉
うそ、間違ったこと、おべっか、悪口などを言わず、正しい言  葉を使う。 

4. 「正業」・・・正しい行い
盗み、無益な殺生、よこしまな行為をすることなく正しい行為をする。

5. 「正命」・・・正しい生活
規則正しい生活リズムを持ち、良い事は行い、悪いことは行わない。

6. 「正精進」・・・正しい努力
悟りを得るために怠り無く正しい努力をする。

7. 「正念」・・・正しい物事への取り組み方
正しい教えを心にとどめ、全ての行為をそのものになりきって雑念を交えず行う。(食べる時は食べるになりきる。働く時は働くになりきる。寝る時は寝るになりきって寝る。など)

8. 「正定」・・・正しい精神統一
正しく坐禅をする。  

なるほどこれだけ毎日やればちゃんと人生を生きられそうです。しかし「今すぐやれ」と言われてもすぐには誰もできません。

「禅」はこの八正道を日々の生活の中で行っていくための「教育システム」なのです。「教育システム」であるから良い先生につかなければなりません。先生が間違っていると間違った努力をして無駄な時間を過ごすことになります。お坊さんにならなくてもちゃんとした禅の修行ができるところがあります。「人間禅」というところで働きながら正しい臨済宗の禅の修行ができます。「人間禅」でウエブサイトを検索してみてください。

とはいえ、みんながみんな禅の修行はできませんから、この「八正道」を知って間違った事はしないようにする努力は各々ある程度はできるはずです。「こりゃ無理だ」と最初からあきらめない事。人生は一回しかありませんから、同じ人生を過ごすのなら、正しく過ごしてなるべく「苦界」の中で過ごしたくは無いものですね。放って置いたら「人生は苦」になっちゃうわけですから。

合掌
仏光
 
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posted by 仏光さん at 23:19| Comment(2) | お釈迦様

2009年03月09日

今の状況は過去の行いが返っているだけ

釈迦はいわれる
いかなる世界においても、ことばによっても、心によっても、
身体によっても、いかなる悪をもしてはならない。

いかなる世界とは、どんな悪しき状況におかれても という意味。
人に対しては、暴力だけでなく、ことばによっても傷つけてはならなにいという。
心の中だけで憎んだとしても、やがてその心から出るいじめや、差別感が生じるが、
それを、人になしてはならない。なぜなら、なしたことは全部還ってくるからである。
善き事も、悪しきことも、心には力があって返って来る。

今ある私たちの状況は、過去にずっと世間に投げたものが返ってきているに過ぎない。

もし、あなたが今とても苦しいならば、今、心の想いを善にかえ、一番憎い人のために
善きことを祈ることを習慣とするがいい、その上、さらに少しずつでも回りの
人々に善きことをなして生きようとするとさらにいい。きっと未来は善くなる。
私たちは人の上に立ったり、親として子に接したり、子供たちに教える時、
その子らが、自分の思う所と違う返事や行為を返した時や、期待はずれの結果を
出したり、反抗的態度を示した時、それらの弱い人たちに対して、ことばや身体によって、
傷をつけてしまうことがある。その弱い人が精一杯した仕事にもかかわらず、
自分の利に合わない時は認めず、その人をそのグループを、傷つけてしまう。
だから、心して、日常において、次の釈迦のことばを掲げ戒めとしなければ苦しむ。

釈迦はいう
「好ましい言葉のみを語れ。口をつつしみ、ゆっくりと語り、心がうわつかないで、
善い言葉を口に出せ。悪い言葉を口に出すな。悪い言葉を口に出すと悩みをもたらす。
いつも いつも、死が私たちを包むまでこれを戒めとするがいい」

北川八郎氏著 ブッダのことば「百言百話」より 立花敏伸氏HPより

世の中には色々な人が居るものです。いい年をして人にいやみを言ったり、慇懃無礼な言葉を吐く人も居ます。ただ、自分が認められなかったら相手が悪いと思う人もよくいます。でも、そういう人は放って置いてあげればいいのです。気にしない、気にしない。悪い言葉を発する事は天に向かってつばを吐くようなものですね。全部いつかは自分に返ってきます。だからその人たちの為に自分の心を悪しき方向に向ける事は無いのです。心無い悪しき言葉も自分にとってはいい勉強です。いつも感謝の心でいればいいのでしょう。本物は誰が何と言おうとやはり本物です。本物とは何かを良く見極める目を育てることが大事なのでしょうね。
合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 23:03| Comment(2) | 人生を楽に過ごす方法

2009年03月04日

雨にも負けず (引用宮沢賢治)


雨にも負けず風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだを持ち
欲はなく決していからず
何時も静かに笑っている
一日に玄米四合と味噌と
少しの野菜を食べ
あらゆる事を自分を勘定に入れずに
良く見聞きし判り
そして忘れず
野原の松の林の影の小さな萱葺きの
小屋に居て

東に病気の子供あれば行って
看病してやり
西に疲れた母あれば行って
その稲の束を背負い

南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくて良いと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し
寒さの夏はオロオロ歩き
皆にデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず、苦にもされず
そういう者に 私はなりたい。

私がまだ若い頃、この宮沢賢治の詩を読み「この人はいったい何を考えて生きているのだろう?人生を無駄に生きろということか!」と思ったことがあります。その頃は俗に言う立身出世が私のゴールでした。

それから、確かに私は経済的な余裕、物質的な豊かさ、社会的な肩書きをすべて手に入れました。十分すぎるくらい手に入れているにもかかわらず、「もっともっと」とあくせく生きていました。

手に入れた時には嬉しいのですが、すぐにそれが当たり前になり「もっと」と思うようになりました。決して穏やかな心で「自分は幸せだな〜」と感じたことは一度も無かったです。でも人より勝っていると思う優越感だけが生き甲斐みたいになっていました。

それが、急転直下苦しい思いをする期間が続く中で、初めて人の苦しさ、悲しさ、悔しさが判る人間になりました。また、そのころ出合った禅を通して人にとって何が一番大事であるかが分かった気がします。

今はこの「雨にも負けず」を見る度にこの詩の境涯の高さ、豊かさに感動を覚えます。そして今、「生きていて良かったなぁ」と心から思えます。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 21:01| Comment(49) | 足るを知る