2009年03月23日

超能力?

仏教では超能力のことを「法力」と言います。弘法大師など色々な超能力を物語る逸話も日本には結構あります。人間はどうもこの手の能力には弱いみたいですね。やはり憧れなどがあるからでしょう。特に心が弱っている時は超自然的なものにすがりたい気持ちになるものです。

確かに、病気や怪我を治す力は人間にあるみたいです。私も自己紹介に書いたようにこのような能力があります。国立大学でのこの類の能力のテストや測定にも協力しています。日本語で治療のことを「手当て」と言うのも昔このようにして人の不具合を治していたのでしょう。

しかし、このような能力は人の為に使うもので自分が得するために使うものではありません。世の中には結構こういう事を売り物にしておられる方も居ますが私は間違っていると思います。私も当初は、自分が何か特別な人間のように思えて、自己顕示欲の道具にしていた時期もありました。でも、禅の修行を続けるうちに自分の間違いに気付き大いに反省したものです。

禅で養うのは「眼力」と「道力」です。「眼力」とは真実を見極める力。「道力」とは正しい行いを実行する力です。私はちっぽけな超能力などではなく、本当に「衆生無辺誓願度」、困った人に尽くせるのは「眼力」であり「道力」であると気付きました。いくら「法力」、超能力があっても「眼力」と「道力」には遠く及びませんね。

神話ではなく、実際の歴史の中で一人の人間の超能力が大きく人々に貢献したという事実は私の知る限りありません。歴史を作ってきたのは人々の「思い」です。お釈迦様もそのような能力があったみたいですが、こんなものは余り重要ではないと言っておられます。まあ、基本的には「どうでもよい」と。

孫悟空が自分の超能力を自慢して、雲に乗って果てしない所まで飛んでいき、雲から突き出ている柱に自分の名前を書いたら、実はお釈迦様の中指だったという話を知っている方も多くおられるでしょう。結局その程度のものなのですね。

不安な時代だからこそ「眼力」と「道力」を各々がそれなりに鍛えていかなければいけないと思いますね。たとえ超自然的な能力があったとしても、人の「善の心」には遠く及ばないのです。人の心には計り知れないパワーが秘められています。早くそれに気付いて信じることです。困っている人が居れば、自分ができる事をする。一人の人を助ける方が、超能力をひけらかしているより、よほど尊いのです。やはり鍛え抜かれた「眼力」と「道力」に勝る超能力は無いみたいですね。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 22:49| Comment(2) | 人間の煩悩

2009年01月30日

人間の煩悩

人間は百八つの煩悩(ぼんのう) をもっているといわれます。

毎年、年末にお寺で百八つの除夜の鐘を鳴らして煩悩を払いますが 一夜あければ再び煩悩がわいてきて、いつまでたっても煩悩から離れられないのが人間です。苦しみの原因はこの「煩悩」です。


◎煩悩とは何か

煩悩とは欲望、怒り、愚痴 (道理をわきまえない愚かな心・わがままな心の事)など迷いや苦しみの原因となる 心のあり方 をいいます。
人間は煩悩から離れない限り 迷いの世界すなわち、六道を輪廻(りんね)し続けるのです。


◎六道輪廻(ろくどうりんね)とは何か

六道とは 地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界の六つの境界をさします。
地獄界・餓鬼界・畜生界を最も悪い状態であるとして、三悪道といいます。
修羅界・人間界・天上界を三悪道よりは良い状態ですので、三善道といいます。
人間は、これらの六つの境界の一ヵ所 にじっとしていることはなく、あちらこちらと迷いの世界をぐるぐる輪廻し続けるというのが六道輪廻です。

例えば今お金が儲かって天上界のよろこびにあっても、明日は不渡り手形をつかまされて大損をし、地獄の苦しみにあるというように、良いことだけということはあり得ず、たえず変動している不安定な人生であるということです。実はこの六道というのは喜んだり、悲しんだり、怒ったり、苦しんだりする人間の心の相を表しています。
それは今よろこんでいたとしても、一時間もすれば怒っていたり、
あるいは悲しみにうちひしがれているというように、さま変わりを演じます。
常にコロコロ変わるので コロコロが転じて 「こころ」 になったともいわれます。
愚かであるから、儲かると思って手を出しては失敗し欲があるから金を求め、異性を求め、物を求め、喜んだり、憎みあったり、悲しんだり、さまざまな心を描き出すのです。
六道を総称して 「地獄」 といいますが、まさに、人間は煩悩から離れない限り、地獄から抜け出すことは出来ないのです。
欲とは、オレが、オレのためにという 「自我の世界」です。


◎欲が欲を生む

お金や物を所有すると、これでよいと満足することはありません。
お金の無いときは100万円あれば幸せだと思いますが、100万円貯めると、それだけでは不満に思えてきて、次は200万円、1000万円とさらに大きなもの、一段と高いものをめざすようになります。
これが、欲が欲を生むという現象で止まることを知りません。
このような現象を、仏教では迷いというのです。
人間は生まれ、やがて死んでいきます。
従って人の一生を生死といいます。
人間は生まれてから死ぬまで、欲の連続ですから 生死(しょうじ) のことを 迷い と意味づけられています。
マイホームを買い、別荘を買い、自動車を買っても、それらの幸せを得たら、今度はより上を望む心(欲)が出てきたり、失いたくないという不安(執着)につきまとわれる ことになります。
「所有と比較と競争」 という価値観の中からは、決して永遠の幸せは得られないのです。

すべての苦しみは心によっておこり、心に支配される。
我々は心に支配されることなく心を支配しなくてはならない。

立花敏伸氏HPより







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posted by 仏光さん at 11:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 人間の煩悩