2009年04月16日

閔子騫(びんしけん)

50番札所 繁多寺 にて   閔子騫(びんしけん)
閔子騫(びんしけん)は孔子の弟子で母親に仕えて至考であった人。
閔子騫(びんしけん)は幼くして母を亡くした。父と後の妻とその二人の連れ子と
5人暮らしとなった。後の妻はわが子を深く愛して継子(ままこ)の閔子騫(びんしけん)を憎み、
寒い冬にもわが子にはあたたかい綿入れを着せたのに、継子には蘆(あし)の穂を入れたものを
着せた。父は見るに見かねて、後の妻に離縁を迫った。その時、閔子騫(びんしけん)は
「継母が去ってしまうと3人の子は寒さに震える。今私が寒さを我慢すれば
弟二人はあたたかだろう」と父を諌(いさ)めたので、継母も反省し、隔てなく慈(いつ)くしみ、
もとの母と同じようになったという物語。継子物語は、古今東西の物語にたくさん出てくる。
その物語の円満解決は家族の語らいと、私心を調和する努力かと思われる。

● あなたがもし、末期がんで、「余命半年です」と医師からいわれたら・・・。
あなたが、医師から「アルツハイマーです。これからどんどん記憶がなくなります」といわれても、
今まで生きられたことを感謝し、残された人生を感謝の心で生き抜くことができますか?

● 弘法大師は
「きれいに咲いたあの花も時がくれば散っていく。人も同じ草でも木でもこの世の中に
変らないものは何一つとない。桜の花のように咲くときにはうんと美しく咲き
おいしい実をならせて人の為になり役目がすめばきれいに散っていく
人の世もこうでありたいものだ。いつでもできるだけのことを力いっぱいやり
人のため世のためにつくし、どんなことがおきても心配のないようにしっかりとしておく
そうすれば歳をとって、花のように散っていくことも少しも苦しみにはならないのだ」
ということを我々に教えてくれています。

★望みを一つだけ叶えてくれるとしたらあなたは何を望みますか
・・・・・・私はどんなことにも「感謝できる心」を与えて欲しいです。(心を育てる会会報より)

何事があっても感謝できる心を育てるのが禅の修行です。私は以前、もうお亡くなりになった入門当時の老師に「愚痴や不平不満で生きるのではない!感謝報恩の心で生きよ!」ときつく戒められたことがあります。その時は「でも世間で生きていたら愚痴の一つも言いたくなるよ!」と思いましたが、修行が進んでくると老師が言っていた事がよく判るようになりました。「なるほどなあ」と思います。だから今の自分に愚痴や不満が無い訳ではありませんが、やはり減りましたね。要するに自我が減ったのでしょうね。その分幸せになったと思いますよ。

合掌
仏光
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2009年04月01日

怒らないと物事はうまく行く

私達はよく心に怒りの感情が芽生えます。何か気に入らないと怒りの感情が出る人が多いです。最近では怒ることを「切れる」といいますが、「切れる若者が増えている」なんて記事を新聞などでよく見ます。

人間の怒りの感情は、自分が「こうでなければいけない」と思っている事に対して、思った通りにならないことが事が起こったり、相手が自分の思っている通りに動いてくれない時に出てきます。

よく怒る人は、「こうでなければいけない」とか「こうあって欲しい」という思いが強いのですね。これ自体は悪い事では無いのですが、それを周りに期待したり強要する気持ちが無意識にでもあると、怒りの感情が芽生えてきます。

しかし、よく考えてみると怒って良い事は一つもありません。まず感情が高ぶっているので良い判断ができないですよね。自分の気分は悪く、周りの気分も悪くなります。怒る事によって周りはしぶしぶ貴方の言うことを聞くかもしれません。でも、貴方に対する嫌な思いはその人の脳裏に刻まれます。

中には一旦怒り出すとなかなか自分で止められない人もいます。また、すぐにカッとなる人もいます。要するにこのような人は「自我」が強すぎるのです。自分中心の考え、感情が強すぎるのですね。親に怒られて育った人は、大きくなってから人に怒るようになります。

怒りの感情が出てきたら、一番良いのはまずその場を離れることです。そして時間を置くと落ち着きます。しかし「そんなことは判っている。それができないから困っているのだ!」という人もいます。

そのような人は、小さなメモに「さあ、私はこれから怒るぞ〜!」と書いて、怒りの感情が出てきたらそのメモを取り出して読んでください。「怒らないぞ〜」ではなく「怒るぞ〜!」です。面白いほど怒りの感情が無くなっていきますよ。

世の中怒っていてもろくな事はありません。怒っている時間は限られた人生にとって大変もったいない時間です。怒らないと物事は大変うまく行きます。最低限、怒っているよりかはうまくいきます。

せっかく一回こっきりの人生、できるだけ怒らず、ありがとう、ありがとうと感謝しながら穏やかにいきましょうや。

合掌
仏光
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2009年02月23日

背負いきれない悲しみ

四苦八苦の中で一番悲しい出来事は愛する人との別れではないだろうか。
別れの中でも、わが子との死別ほど悲しいものはないと思う。

● 桂子さんは16歳の2月急性骨髄性白血病の診断を受けた。
それから18歳で旅立つ日までにインタビューで話された言葉の中から。

病気したおかげで、
人はずっと
生きてるわけじゃないっていうことに
気がついたっていうか。
それだったら、やっぱり、
それまで
どれくらいハッピーでいられるかが
勝負だろうなっていう気が、
今はする。
(1996年10月。雑誌インタビューで)



● 桂子さんが寝不足の母に語った言葉

眠れない時は、
今日あった いいこと、
15くらい思い出す
そうすると、
よく眠れるよ。

● 桂子さんが亡くなる前に両親に書かれた手紙

お父さん、お母さん、18年間育ててくれてありがとう。
二人の子供に生まれてきて幸せだったよ。
中2のころからずっと闘病して、ずっと心配かけてきたよね。
私は病気に負けないと思ってきた。ずっと。
でも治すこと、できなかった。
治せなくてごめんね。がんばったんだけどな。
ごめんね・・・・お父さん。ごめんね・・・・・お母さん。
ありがとう。ほんとうにありがとう。 立花敏伸氏HPより

私は、皆が一日無事で暮らせて行けたら本来それ以上は要らないのではないかなと思います。人間はいつかは必ず死にます。だから、今日皆無事に居てくれたら、それこそ本当にありがたいことです。無事で居ることが当たり前では無いのです。皆が元気にしている間にそのありがたさに気づきたいものですね。我が家は今日も皆無事に過ごすことができました。「ありがとうございます!」

合掌
仏光
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2009年02月08日

慈悲の心

「優しいだけでは生きていけない。
でも、優しくなければ人間ではない!」

インドで貧民救済活動に一生をささげたマザーテレサの話です。いつものように、スラム街で貧民救済の活動をしていたマザーテレサに、ボランティアの一人が近くの家を指差して、「あそこのヒンズー教徒の家には8人の子供がいますが、父親が死んで母親一人で働きながら面倒を見ています。でも、もう3日間も何も食べていません。食べ物を買うお金が無いのです。」と伝えました。

マザーテレサは自分の家から鍋一杯のお米を持って来てその家を訪ねました。そこでは貧しい母親とお腹を空かした8人の子供が寄り添っていました。マザーテレサはお米を差し出しました。貧しい母親は涙を流し感謝してそのお米を受け取りました。

するとその母親は家にあった少し小さめの鍋に、そのお米の半分を分けて家を出て行こうとしました。マザーテレサは「お米を持って何処に行くのですか?」と尋ねました。母親は「隣のイスラム教徒の家には6人の子供がいますが、もう4日間も何も食べていません。だから頂いたお米の半分を持っていってあげるのです。」と答えて、大事そうにお米の入った鍋を抱えて喜んで隣の家に入っていきました。

これは本当の話です。私はこの話を知った時、涙がこぼれて止まりませんでした。自分たちでさえぎりぎりの状況にいるのに周りの人の事まで心配し、限られた量のお米を半分にしてまで持っていく。何と豊かな心なのでしょう。何と綺麗な心なのでしょう。人間とはここまで素晴らしい慈悲の心を持つ事ができるのですね。

私は、毎日十分食べるものがあり、それでも思い通りにならない事があると不平不満が心に芽生えてきたりします。自分が本当に辛い時、同じように辛い思いをしている周りの人を思いやる心があるか?自分の食べ物を喜んで半分人に差し出せるか?自分を振り返った時、自分の心の貧しさに唖然としました。

私の心は、このインドの貧しい母親の心の足元にも及びません。同じ人間として生まれたのなら、生きている間に私はこの貧しい母親のような心を持とうと自分に誓いました。

合掌
仏光
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2009年02月02日

「人間本来無一物」

禅ではよく「人間本来無一物」という言葉が出てきます。「お前が生まれた時は、裸一貫で何も持ってこなかっただろう」という意味です。
私たちは毎日自分の損得で心を右往左往させていることが多いです。遺産問題で身内が骨肉の争いをするのはよく見たり聞いたりする話です。
しかし、よく考えると本当に自分の物って有るのでしょうか?自分には家がある。車がある。体がある。心がある。と普通に思っているのですが、何か人生で破産など重大な事件が起こると、家や財産は無くなってしまいます。自分が悪くなかっても、取引先が倒産したり、不渡り手形をつかまされたりする事はよく有ることです。

自分の体にしても事故に遭ったり、病気で不自由なることも世の中では日常茶飯事に起こっています。これは、私にもいつ起こってもおかしくは無いのです。たまたま、今のところまあ無事に過ごしているだけです。

この世のもので本当に自分のものがあるとすれば自分の思い通りになりそうなものなのに、自分の体ですら自分の思い通りにならないのです。

自分のものと思っていても、もっと思い通りにならないのは自分の心です。「もう決して家族には怒りの感情を持たないぞ!」と誓っても何かあると怒りの感情がメラメラ湧いてきます。「もう決して人を恨まないぞ!」と思っても、ハッと気がつくと恨めしく思っていることも多々あります。

要するに自分のものと思っていても自分の思い通りになるものは何一つ無いのです。有るとしても、思った通りになっているように今のところ見えているだけです。いつ何時どうなるのか分からないのです。

なぜなら、これらはみんな借り物なのです。この世に出てきた時に、色々な因縁で自分が借りているのです。じゃあ、誰から借りているのか?私は「天から借りている」と思うようにしています。自分がこの世で自分らしく生きていく小道具として、天が自分に貸してくれたと思うようにしています。

不思議なことにそう思うと、自分の思い通りにならなくてももともと貸していただいているものだから仕方が無いなと思えます。そして、もともと何一つ持たずにこの世に出てきた自分に、無条件で貸していただいたものは大事に使っていこうという気持ちも起こります。もし、何かあって自分から取り上げられても、もともと借りているものですから無くなっても文句を言う筋合いは無いのです。「自分が一生懸命働いて手に入れたものだから、これは自分のものだ!」と思いがちです。しかし、まず、一生懸命働ける体や頭脳、才能をただで貸していただいたお陰で、それを元手にして稼いでいるのです。

こう考えると自分に与えられたものはコップ一つにしてもありがたく思えます。もともと裸一貫で何も持たずに生まれてきたのですから、毎日飢えることなく御飯がいただけて、屋根の下で眠ることができ、大きな病気もせず、それなりに一日が終われば、もうそれだけで感謝ですね。だから朝起きただけで「ありがとうございます」と感謝できます。

よく考えると、自分を周りと見比べて、自分には無いものばかり追いかけている人が多いのではないでしょうか。「人間本来無一物!」を自分のものにすれば、それはもう自分に与えられているものに本当に感謝の念が生まれてきます。それどころか、「もう十分頂いています。ありがとうございます!」とそれまで自分が思っていたよりずっと自分に与えられているものが多かったのだということに気づきます。

「小欲知足」とは足るを知るという意味ですが、それは本当は欲しいけど自分の欲望を抑えろという、我慢の意味ではなく、「人間本来無一物」を自分のものにして、与えられたものに自然に感謝の念が湧いてくるということだと思います。

合掌
仏光
posted by 仏光さん at 23:39| Comment(2) | TrackBack(0) | ありがとう、ありがとう

2009年01月16日

お母さん僕が生まれてごめんなさい

ごめんなさいね お母さん
ごめんなさいね お母さん
僕が生まれて ごめんなさい
僕を背負う母さんの 細いうなじに僕は言う
僕さえ生まれなかったら
母さんの白髪もなかったろうね
大きくなったこの僕を背負って歩く悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
冷たい視線に泣くことも 僕さえ生まれなかったら

私の息子よ 許してね 私の息子よ 許してね
この母さんを 許しておくれ
お前が脳性マヒと 知ったとき
「ああごめんなさい」と 泣きました
いっぱい いっぱい 泣きました
いつまでたっても歩けない お前を背負って歩くとき
肩にくい込む重さより「歩きたかろうね」と 母ごころ
「重くはない?」と聞いている あなたの心が
せつなくて 私の息子よありがとう
ありがとう 私の息子よ
あなたの姿を見守って お母さんは生きていく
悲しいまでの頑張りと 人をいたわる微笑みの
その笑顔で生きている 脳性マヒのわが息子
そこに あなたがいるかぎり

ありがとう お母さん ありがとう お母さん
お母さんがいるかぎり 僕は生きていくのです
脳性マヒを生きていく 優しさこそが大切で 悲しさこそが美しい
そんな人の生き方を 教えてくれたお母さん
お母さん あなたがそこに いるかぎり  
(土屋康文 15才 )
posted by 仏光さん at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ありがとう、ありがとう