2009年02月19日

誕生という事実が産む「老」「病」「死」

めでたき言葉『親死 子死 孫死』

一休禅師は、ある時信者の一人から、
「和尚さま、家の宝にしたいと思いますので、何かめでたい言葉を
書いてくださいませんでしょうか」 と頼まれた。
「喜んで書きましょう」と気軽に引き受けた一休さん、さらさらと、
『親死 子死 孫死』と達筆に書いて渡した。それを見た信者は、
かんかんになって、
「私は、何かめでたい言葉といってお願いしたのに、死・死・死とは何事ですか」と
怒りをぶちまけ、まさにその紙をやぶり捨てようとした時、 一休禅師は静かに、
「ほほう、それでは何か、お前のところでは、
『孫死 子死 親死』の方がめでたいのかな」と言ったということだ。

門松は 冥土(めいど)の旅の一里塚
めでたくもあり めでたくもなし

と詠(よ)んだと言われる 一休禅師らしいエピソードである。

『生まれたものは 必ずいつの日か死ぬ』 という事実

ところで人間が死ぬというのは、一体どういうことなのだろう。 さまざまな宗教や
哲学が、それこそさまざまな解釈をほどこしている。 全く宗教などを
信じていなかったものも、突然親や恋人を失ったりすると、 急に死について
関心を示しはじめる。しかしながら、経験的に死後の世界を知っている人間が
一人もいない以上、 少なくとも実証することはできない。ただ一つだけ
人間にわかっていることは、 『生まれたものは必ず死ぬ』 という事実である。
死ぬことが本人にとって苦しみ であるかどうかは別にして、その人に愛情をかけてきた家族や 知人友人にとって、 大きな苦しみであることは確実である。
にもかかわらず、実際に家族を失う までは、なかなか実感がわかないのだ。
もっとも、自分や家族がいつ死ぬか、 ということばかり気にしていては 
一日だって安心して生きていけない。
それでは、人間はなぜ死ななければならないのであろうか。答えは簡単である。
『生まれたから』なのである。

『祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)諸行無常の響きあり』と述べられているように
『生まれたものは必ず死に、作られたものは、いつかは壊れる』

のが、この世の絶対的事実なのである。そして、そのことを知っているのは
恐らく 人間だけだろう。果たして他の動物は死を知っているのであろうか。
確かに、 生命に危険がせまると、ほとんどの動物は本能的に逃げるか、
攻撃することに よって自らの生命を守ろうとする。
しかし、知識としてあらかじめ 人は死ぬものであるということを知っているのは、
人間だけだといってよかろう。 それなのに、その原因が生まれたという事実にあることをほとんど意識しない。
『ハッピーバースデー・ツー・ユー』 と歌ってもらい、バースデーケーキに
立てられた、年齢と同じ数のロウソクの火を消すことが、
死ぬ日がそれだけ 近づいたのだ、
ということを確認することだということに気がつかず、
単に、 成長し進歩したことの喜びとしている。
時たま人間は、何か逆境にたった時、
「俺なんか生まれてこなけりゃよかったんだ。いっそのこと死んでしまおうか」
と思うようなこともあるが、そうでもない限り、苦しみの根本原因が
『誕生』 にあることまで考えないのだ。
もっとも、まわりから祝福されて 生まれてくるか、あるいは、
仕方なく生んでもらうかという違いはあるが、 それは本人の全くあずかり知らない
ことである。近頃のように、 生んだ子を殺して地中に埋めたり、
ロッカーの中に投げ入れたりする母親が 増えてくると、少なくとも
人間として生まれたものは、少しは祝福されて いるとも言えそうだ。
しかし、胎児を堕胎手術によって抹殺する親は、前述の 子殺しの母親を批判する資格はないことだけは、肝に銘じておいて欲しい。

※諸行無常(しょぎょうむじょう)とは
「諸行」とは「およそこの世に存在するすべて」という意味であり、「無常」とは
「常でない。永久不変でない。同じ状態にとどまらない」の意である。
つまり「諸行無常」とは、「およそこの世に存在するもので、
同じ状態にとどまるものは一つもない。常に変化してやまない。
永久不変なものは一つもありませんよ」ということである。
立花敏伸氏HPより

人間の死亡率は100%で、お互い絶対死ぬ運命なのです。「オギャー」と生まれた赤ん坊が、大臣になるのか、学者になるのか、犯罪者になるのかは分かりませんが、その赤ん坊に関して生まれた段階で確実に分かっている事は、その子がいつかは「死ぬ」ということです。

どうせお互い死ぬ運命ならば、もっと仲良くしましょうよ。もっと楽しく暮らしましょうよ。もっと一日大事に生きましょうよ。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 00:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 明日死ぬと思うと・・・・

2009年01月14日

明日死ぬと思うと・・・・

普段私たちは心の何処かで「自分はまだ死なない」と思っているものです。有名な一休さん(一休さんも実在の禅僧でした)でも
「今までは 他人の事よと思ったけれど
俺が死ぬとは こいつはたまらん」
という句を死ぬ時に残しています。それほど「他人は死んでも自分はまだ死なない」という思いは強いものです。

しかし、現実は誰も自分がいつ死ぬのかはわかりません。老衰や病気で死ななくても、明日事故や災害で死ぬかもしれません。よく考えてみると、私たちは非常に危うい一日一日を過ごしているのです。今までなんとか死なずに済んできただけなのです。残念ながら人間の死亡率は今のところ100%です。

もしあなたが、明日死ぬとなれば、今日不安に思っていること、悩んでいること、怒っていることで本当に頭を悩ますでしょうかね?明日死ぬとなれば、今不安に思っていること、悩んでいること、怒っている事を、死ぬ一日前の今日同じように思ったり、考えたりするでしょうか?たぶん私はしないと思います。もし、ある人が「老後の不安」で毎日悩んでいたとします。しかし、明日死ぬと決まれば老後は無いわけですから、不安に思ったり悩んだりする心配は一気に無くなります。

もしかすると私たちが日々不安になったり、怒ったり、悩んだりしていることは本来はそこまで必要な事ではなくて、自分でわざわざ心を悩まして一日を過ごしているのかもしれません。

私は朝、目が覚めると自分に「私は明日死ぬ」と実感が湧くまで言い聞かせます。そうすると今日、無事目が覚めて一日が与えられていることがとてもありがたく思えてきます。そして、「今日自分が出会う家族、同僚、仲間、赤の他人すべての人を大事にしよう。」「今日、目の前にある自分がしなければいけない事に全力を尽くそう。」「ごはんもおいしく大事に食べよう。風呂もゆっくり楽しもう。一分一秒がとても大事。怒ったり、泣いたり、悩んだりしていては時間がもったいない。明日は無いのだから!」と言い聞かせます。そうすると無駄な事を考えずに、案外楽しく無事に一日が過ごせるものです。本当に死ぬ日までこれを続ければ、なんと充実した人生になるでしょう!        仏光
posted by 仏光さん at 16:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 明日死ぬと思うと・・・・