2009年01月12日

お金が無くて辛かったら

なぜお金が入ってくる人と、入ってこない人に分かれるのでしょうか ?
お金が入ってくる人の共通項は、「お金が入ってこなくてもいい」と思っていること
です。こだわっていない人には入ってくるのです。「どうしてもお金がほしい」
と思っている人には入ってきません。なぜかと言うと、執着している人は超能力が使えないからです。
超能力者になるためには「執着を捨てること」が「絶対に」必要です。
執着とは、要するに接着剤を自分の体にペタぺタとくっつく接着剤をつけていると思ってください。
瞬間に固まるのではなく、永久に固まらない接着剤です。体中が接着剤だらけだから、
自分の超能力である85パーセントの潜在能力が出なくなるので使えないのです。
「そうならなければイヤだ」と思った瞬間に全然そうならなくなります。
「そうならなくてもいいけど、なったらうれしい。そうならなくてもいいけど、なったら楽しい。
そうならなくてもいいけど、なったら幸せだ。 そうならなくてもいいけど、なったらありがたい」
というように、喜びだけを上乗せする のです。喜びの想念だけを宇宙に向かって投げかけると、
面白い現象が起きます。
執着があると潜在能力が使えないので、自分の実力でしか戦えません。
面白がることが、ものすごく重要です。このように喜びだけを投げかけると、
神様や「お陰様」は、喜ばれたくて、喜ばれたくて仕方がない方たちなので、
その喜びを与えたいと思うようです。ところが「そうでなければイヤだ。
そうでなければ不愉快だ、悲しいし、悔しい」と思う人には、そのような現象が起きません。

● トイレ掃除をして蓋をしめる。

トイレ掃除をし、蓋を閉めていると、臨時収入が入るらしい。
つまりトイレ掃除を一生懸命にやって、トイレの蓋は閉める。
そして、不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句を言っていない。非難、攻撃、中傷をしていない。
いつもニコニコしていて、自分が喜ばれる存在でありたいと思いながら生きている人たちです。
その基本が あって、「お金が必要なときには来るだろうし、ないときはないということだろう」と思い、
宇宙を恨んだり、呪ったりしないと、どうもそのような現象が起こるらしい。
これは、ものすごく私たちを励まします。私たちは、三次元的な働きかけをしたり、
働いて汗を流さなければお金は絶対に手に入らないと思ってきました。
でも実は、このような「お金が湧いてきた」と思われるような例は、あちこちにあるのかもしれません。
しかも、私の知人に起きた実例は不思議なことに、これだけあればいいという、
ぴったりの金額が湧いてくるという実例ばかりでした。

● 新しい財布を買ったときに初めて入れるお金をたくさん入れる。

財布は最初に入ったお金を記憶します、例えば30万円のお金を最初に入れるとその財布自身が
「自分は30万円の守り神である」という認識をします。そこで使ってお金が減ると、
新たに補充のためのお金が入ってくるらしい。しかし、貯めよう、貯めようと思っていると駄目らしいです。

● 貧乏神と福の神は同じ神様

みなさんは、貧乏神と聞くと、貧相で弱々しい神様を連想すると思いますが、
先日、ある方の相談にのっているとき、貧乏神というものの正体がわかりました。
その人は「自分は、給料が少ないのにもかかわらず、気に入ったものがあったら、つい買ってしまう。
その結果、借金を抱えて困っている」ということでした。
私は、その人のお顔を見て、どうも貧乏神がくっついてように見えたのです。
そのとき初めて貧乏神の本当の意味を知ったように思いました。貧乏神って、貧乏しているから、
お金を使わない神様ではないのです。
貧乏神ってお金を使いたい神様らしい。お金を使うのが、すごく好きな神様が貧乏神 なのです。
どういうことなのでしょう。貧乏神と福の神は、実は同じ神様らしいのです。

自分のためだけにお金を使う人、その人についている神様を結果的に貧乏神と呼ぶ 一方、
自分のためにはお金を使わないで、人のためにお金を使う人、そこについている神様を
結果的に福の神と呼ぶようです。本来は同じ神様です。
ところが、ついている神様は、自分が貧乏神なのか、福の神なのかはわからない。
三次元にいる私たちによってどちらかに決まるみたいです。
ということは、その人がお金をどう使うかによって決まるのなら、
今、貧乏神がついている人でも、一秒後にその神様を福の神にできるということでしょう。
逆に、今、福の神としてついているのを一挙に貧乏神にすることもできる。
お金の使い方をパッと変えるだけで、福の神にも貧乏神にも瞬時にして変化するようです。
「じゃあ、半分は自分のために使い、半分は人のために使っている人は?」どっちの神様でもない。
どっちの名前でも呼ばれない(金遣いの荒い神様)がついているフツーの人。
ポイントは「だけ」という言葉です。これを覚えておいてください。
自分のためにだけにお金を使う人には 貧乏神 が、
人のためだけにお金を使う人には 福の神 がついている。
どちらも同じ神様で、結果として、貧乏神、福の神になっているということのようです。
だから、私が見た貧乏神さんは、ビジュアル的に言いますと、ミンクのコートを羽織って、
10本指にダイヤをつけて、とってもきらびやか。
貧しく貧相な貧乏神というのは、どうも違うらしい。
貧乏神は、ただひたすら自分のためにだけお金を使うので、その見本のように、
ものすごくゴージャスな格好をしている。一方、福の神は、極めてシンプルな身なりをしている。
自分のためにお金を使うという思想がもともとないので、
入ってきたお金は周りの人のために使ってしまうから、その結果として、
福の神自身はすごくシンプルな格好なんです。ここのところに気がつくと、神様が
どういう人に対してお金をくださるのかがわかってくるでしょう。
いくら願ってもいい。「2000万円ほしい、3000万円ほしい」といってもいい。
それを、自分のためだけに使うというより「お金はみんなのもの」と思って、
「みんなに喜ばれるような使い方をしたい」と願っていると、どうも神様は聞いてくださるようなのです。
例えば、目の前に絵描きを志している人がいて、その作品が全然売れないというという場合があるとします。

そのとき、手元にまとまったお金があったら、
「この人たちの作品を買ってあげたい、支援してあげたい」と思って、買わせていただく。
すると、宇宙はそういう気持ちに応えてくれるようです。このようなお金の使い方をすると、
その人を好ましく思う人たちが周りにどんどん増えていきます。集まった人々に対しても、
またその人は喜ばれるかたちでお金を使うものですから、周りの人からすると、
その人に裕福になってほしい、お金には絶対困らないようになってほしい、と思うでしょう、
気持ちの部分で、みんながその人を応援し、宇宙にも支援されるわけですから、
またお金がまわってきて、結果的にみんなが潤う、ということになるのです。

立花敏伸氏HPより
posted by 仏光さん at 09:49| Comment(0) | TrackBack(0) | お金が無くて辛かったら