2009年02月27日

欲望には限りなく、人を地獄に落とす

スメーダ尼
四洲の主、マンダータルは、欲望に耽溺 (たんでき=よくないことに夢中になること)
することを極めたが、遂に満足することなく死にました。
彼の欲求はかなえられませんでした。人々は欲望に満足することなく、死にます。

スメーダ尼のこのことばを聞くと、私はギリシャの船主で当時世界一の大富豪であった、
オナシスを思い出す。彼は派手な女性、世に名高い婦人を好み、
人を愛していなかったため、マリア・カラスを手にするも結婚することなく、
さらに、また名声と権勢好きであったジャクリーヌ(元ケネディー大統領夫人)と
一緒になった。欲の人が、欲の種類が違うとはいえ、欲の人と結びついて、
平和を得られるはずもなく、欲を制し得ない人たちは欲のドロ沼に陥り、
身と心を清めるチャンス(教え)に接することなく、生存を終える。
いかに世界の富豪になろうとも、貧なるマザー・テレサの清さにはかなわない
ことを見ても、決して賢き人たちとはいえない。いつの時代も、
いかなる環境においてもこの法則は貫かれる。人は同じオーラの人と結集し、
悪しき欲の人たちはお互いに利用し、お互いに汚れの道を歩む。
自分を慎み釈迦の教えを聞き、得た金銭を貧しき人々、困窮にある人々を救うために
使うならば、本当の愛を知る人が かの人たちのもとに天から派遣される。

マリア・カラスは失意に沈み、ジャクリーヌは、買物依存症候群 に陥り、
湯水のごとくオナシスの金銭を海に流した。オナシスは苦のまま死に、オナシスの子と
ジャクリーヌは、残った財産を争った。しかしやがて欲のままこの世を去った。
今見るにマイケル・ジャクソンがお金を得ることによって、
マンダータル王の苦しみの中に入ってしまつたように見受ける。

果てしない欲と、大金によって、心がコントロールできなくなり、
深い悲しみに心が覆われ、ねじれ ねじれて、罪を犯す。
マンダータル王は、遂に満足することなく死んでしまった。
スメーダ尼は淡々という、
かの人果てしない欲求はかなえられませんでした。
自分の都合だけを主張する人は欲に満足することなく死にますと。

北川八郎氏著 ブッダのことば「百言百話」より引用 立花敏伸氏HPより

明治の頃の狂歌ですが、「この世では金と出世が敵(かたき)なり、どうぞ敵にめぐり合いたい!」という仕方の無い歌があります。何となく人間らしくて笑ってしまうのですが、頭では分かっていても、どうしても自分の欲で利益を追い求めてしまうのが人間です。

追い求めた末、その先は地獄では割に合わない話ですね。「家族がそれなりに食べていければそれで感謝!」と思っていれば良いみたいです。もし自分にそれ以上の余分が与えられれば、恵まれない人に喜捨すれば良いだけの話ですね。こりゃ極楽ですよ。

合掌
仏光
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2009年02月24日

欲望と坐禅


私は禅僧ですから、もちろん坐禅瞑想は怠り無く毎日します。しかし、なかなか自分の欲望や「自分はたいした者だぞ」という心を無くし切れません。だから、毎日坐禅をするのです。無くなれば坐禅などする必要はありません。

何故無くならないかというと、「欲望」というのは人間のDNAのプログラムだからだと思います。DNAの目的はただ一つ自分のコピーを作って存続し続ける事です。そのためには他を淘汰し続けなければいけません。他よりか勝っていなければならないのですね。だから私達は少しでも人に勝とう、上に行こうとするのではないでしょうか。逆に負けると悔しいし落ち込むのです。時には自暴自棄になったりします。

見方を変えると人間はDNAのプログラムでランしているコンピューターの箱みたいなものといえるかもしれません。お釈迦様は「DNAのプログラムでランしていると、結構苦しみだらけになるからプログラムをリセットしなさいよ。」と言っているのでしょうね。

じゃあ、「どうしたらリセットできるの?」というと、究極は私の知っている限りきっちりとした正師について坐禅瞑想するしかないように思います。坐禅をしたい方はどうぞコメントをお送り下さい。きっちりしたところをお教えします。でも、「坐禅はちょっと難しいかな」という方はこのブログに書いてある「心のトレーニングマニュアル」を実行されたら如何でしょうか。ずいぶん楽になると思いますよ。

合掌
仏光
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2009年02月17日

夢と欲の違い

夢とは・・・・多くの人と共有するもの

欲とは・・・己個人の持つ自分だけに利益があるもの

成功者は必ず「欲」ではなく、「夢」 を持つ。

自分も他人も勝つにはどうすればいいのか?

自分だけが勝つ図式だと短期的には、伸びるのだが
長期的には敵をたくさん作ることになり、結局は堕落していくことに繋(つな)がる。

「夢」 を持つことというのは、
言い換えれば 「多くの人との幸せを願う行為」 であり、

「欲」 を持つことというのは、
言い換えれば、「自分だけの幸せを願う行為」 なのかもしれない。

現在「夢」ではなく、自分だけの「欲」を考えすぎる人が多いから
この世界がうまく回らなくなったのだと思う。

夢を持ち、全員で幸せになることを願えば、

ちゃんと全員が幸せになるための
スペースはこの世にちゃんと準備されている気がする。

なのに、多くの人が自分だけが勝とうとする・・・

そういう間違いに気付いてもらうためにも、
欲を捨て「夢」を追いかけて、大成功して「夢」の大切さに気付いてもらいたい。


「頭を使わない人は」
 ↓
「頭の良い人に使われる」
 ↓
「頭の良い人は、お金のある人に使われる」
 ↓
「お金のある人は、夢のある人に使われる」

だからこそ、夢を持つ人は、多くの人に影響を与える事ができる。

・・・・・自分が苦しかった時、心の支えになったのは「夢」でした。

     夢のお陰でどんな困難も、耐えることが出来た。・・・・・   立花敏伸氏HPより

私達は得てして自分の欲望の実現を「夢」と呼んでいるのではないでしょうか。「自分はこのようになりたい。」「こんな生活をするのが夢だ。」とよく言います。しかし、多くの場合は自分の欲望を実現したものを「夢」と呼び、自分の栄華を描き、そこに多くの人の幸せを願う心は余り感じられない場合があります。
多くの人の幸せに通じるものが、やはり「夢」と呼ぶにふさわしい願望であると言えます。もう一度自分の「夢」を見直してみたら気づくことも多いかもしれませんね。

合掌
仏光
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2009年01月09日

欲望に生きると死に悩む

釈迦はいう 欲望に基づいて、生存の快楽にとらわれている人々は解脱しがたい。
彼らは欲望に溺れて、吝嗇(りんしょく=けち)で、不正になじんでいるが、死ぬ時に苦しむ、「ここで、欲のままに死んで、我らはどうなるのだろう」 と・・・・・。
それ故に、世間で 「不正」 であると知られているどんな事もしてはいけない。
「人の命は短いものだ」 と賢者たちは説く。

生存の快楽とは解りやすくいえば、「いつまでも死にたくないと、死を拒否する人々」の
ことをいっているのだろう。現代医学は、人をなかなか死なせない。生に執着し、老いを拒否しても、それは人の領域を越えるもの。とても不死を得ることは不可能。
不正になじみ、自分の都合と自分の欲のみを果たし、人の役に立つことをも拒否してきた。
人は、死にあたって「ここで欲のままに死んで、我らはどうなるのだろう」と思い悩む。
現代もこの生き方で死に際して悩む人は多い。釈迦の時代も、変わらず、そういう人がたくさんいたのかなと思わせる。

本当に人の命は短いものだ。強風に飛ばされる秋の枯葉みたいなものだ。
いくら枯れ木にしがみついても、あっという間に風に舞って、去りゆく所さえ解らない。
不正になじんで、お金をたくさん持った人は、人の傷みと悲しみと喜びの区別がつかなくなることが多い。少し貧しいくらいが丁度いいのだが、人は皆お金持ちを目指す。
釈迦がいわれるように、不正であると知られるどんなことにもなじんではならない。
それで蓄財をしても、たちまち 失われてゆく のを経験する。

不正で得た蓄財は軽く、感謝がない分、割れガメから水が少しずつ漏れるように漏れてゆく。生き金 とは、自分や自分の家族のためでなく、また、自分たちの快のために使うのではなく、他の人々の喜びのため、弱き人々のために使うお金をいう。
それは、また冬の日に 居心地のよい陽だまりに人が集まるように帰ってくる。

北川八郎氏著 ブッダのことば「百言百話」より引用