2009年03月30日

人生とは・・・・

小さな草

「人に踏まれた 
小さな草も
思い思いの花を咲かせる」

「辛いことに耐えて
夢を種に 努力の水と 感謝の肥料で
人は幸福の花を咲かせる」




「この道を行けば
どうなるものか 危ぶむこと無かれ
危ぶめば道はなし 踏み出せば その一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ 行けばわかるさ」


幸せ

「幸せはいつも 自分の心が決める」
「人生とは 心の道場である」
「人の一生は 心の富を 蓄えるためにある」
「うまくいかない理由は 自らにあり」
「ひとは 人に生かされ ひとは 人のために生きる」
「雨が降ったら 傘さして 傘がなかったら ぬれて行く
そんな人生がちょうど良い」      (立花敏伸氏HPより)


何も言うことなし!そのまま、あるがまま。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 23:59| Comment(2) | 塞翁が馬

2009年01月06日

災い転じて福となる

【塞翁(さいおう)が馬】─ 淮南子・人格訓


人の世の運命の吉凶禍福は予測できない。禍いも悲しむに及ばず、
福も喜ぶにはあたらないという意味に用いる。 どちらかといえば、
禍いに遭ってもいずれ福も訪れることがあるというほうに多く使用される。

「塞翁」とは、国境の塞の近くに住んでいる老人という意味だが、
原典には、「塞上に近き人」の「父」という言葉が出てきて、
直接「翁(おきな)」という語は用いられていない。
中国後漢初期の歴史家 班固(はんこ)の 『幽通賦(ゆうつうふ)』、
また、『後漢書』 蔡(さい)よう伝には、『淮南子 (えなんじ )』のこの語を ふまえて
「北叟(ほくそう)(=北のとりでの老人)」の語を用いている。

[訳文]
国境の塞に近い所に住んでいる人で、占いが得意な人がいた。
その人の馬がなんの理由もなく、 異民族の地域へ逃げてしまった。
人々がみんなで彼を慰めた。するとその占いの得意な父親が、
「馬の逃げたことが福になるであろう。」 と言った。
数か月すると、逃げた馬が、異民族の名馬を連れて帰ってきた。
人々がお祝いを言うと、
父親は、「このことが禍いになるであろう。」 と言った。
その家には良い馬が増えたので、息子は乗馬を好み、
乗っているうちに落馬して股の骨を折ってしまった。
人々がお見舞いに行くと、
父親は、「これが福となるであろう。」 と言った。
一年たつと、異民族が塞へ攻め込んできた。
若者たちは弓を引き戦った。そして塞近くの人は、
十人中九人まで死んだ。
ところが息子は足が悪かったので、兵役に駆り出されず、
父親と共に無事だった。

このように福が禍いとなり、禍いが福となる、
その変化はとうてい人間の知りうるような浅いものではなく、
その深さは予測できないものなのである。

私も自分の経験から、良い良いと思っていると人間は傲慢になり、災いの種を知らず知らずのうちに蒔いています。大変だ何とかしなくちゃと思って耐えに耐えて頑張ると、ちゃんと良い芽が悪い状況の中で育っています。結局、何が良くって何が悪いのかなんて人間には判らないのです。良い悪いなんて無い。自分がどのような状況にあっても、人間には今、目の前にあるしなければいけないことを一生懸命やる。今、目の前に居る人をみんな大事にする。それが最大限できることです。良いか悪いかなんて後にならなければ判りません。
posted by 仏光さん at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 塞翁が馬