2009年04月14日

受け入れる

イライラしたり、不安になったり、怒ったり、悲しくなったり、マイナスの感情が出る時は自分がその状況を受け入れられない時です。受け入れられない状況とは、自分の思うようになっていない状況です。受け入れればそのような感情は湧いてきません。でも、受け入れるということと諦めるということは全く本質が違います。

世の中には受け入れるということを諦める、妥協すると解釈する人もいます。でも、それではどこか納得がいかない、釈然としない気持ちが残るでしょう。それはマイナスの感情です。

では、受け入れるということはどういうことでしょうか。それは、現状を冷静に見つめるということです。人生では自分の思うようにならないことがいっぱいあります。しかし、それが当たり前なのです。別に諦めるわけでもなく妥協するわけでもなく、現状を冷静に見て何処が間違っていてこのような結果になったのか振り返ることです。そしてその部分を直してもう一度やり直すのです。

普通なら「もうだめだ」とか「もう嫌だ」とか感情が先行してしまうのですが、間違っていた部分を直してもう一度やり直す、または改善する事は感情ではなく作業なのです。要するに感情の問題を作業にすり替えててしまうのですね。そこには感情が入る余地はありません。ただ、目的を達成するという作業があるだけです。

「もうこれ以上どうしようもない」と思ってしまい、やけになってもっと状況を悪くしたり、落ち込んだり、それが続くとうつになったりしますね。でも、見方を変えれば結構道は開けます。元々これ以上どうしようもないと思うこと自体自分の思い込みなのです。自分の思い込みで人生を台無しにするのは本当にもったいないことですね。

嫌なことがあれば、作業にすり替えてしまいましょう。状況変更作業です。心さえ乱れなければ世の中解決できない問題は、まあ無いでしょうね。どうせ寿命が来たら私達は死ぬのですから、わざわざ人生を難しくする必要はありませんよ。死ぬまで生きるのも一つの作業と言えなくもありません。それなら、その作業一つ一つを楽しみましょう。プラモデルも作る作業があるから面白いのです。編み物を編む作業が有るから面白いのです。最初から完成品を与えられても、すぐに飽きてしまうでしょう。

納得がいく人生を創る作業は山あり谷あり。「晴れてよし、曇ってもよし富士の山。元の姿は変わらざりけり」です。富士山は天候で高くなったり低くなったりはしません。「人生晴れた日も、曇った日も自分は自分。そんなことぐらいで右往左往はしないぞ!」と思ってみてはどうでしょうか。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 23:03| Comment(4) | 人生を楽に過ごす方法

2009年04月08日

お詫び

プロバイダーのサーバーの問題で画面が見にくくなっています。今復旧作業をしていますのでしばらくの間ご辛抱をお願いします。

合掌

仏光
posted by 仏光さん at 22:28| Comment(0) | 人生を楽に過ごす方法

一秒でも多く心を楽しくしたほうが勝ち

自分を取り巻く環境が厳しくなり、心が落ち込んでいる人は世の中に大勢いますね。社会状況は多かれ少なかれ多くの人に影響します。私も寺の坊主をしているわけではないので、自分の食い扶持は自分で稼いでいます。私も今の社会状況の影響を大きく受けている一員です。

昔の私であれば不安になり、落ち込んでもよい状況なのですが、毎日楽しく過ごさせてもらっています。幸せは心の状態です。一分一秒でも心を楽しくする努力を自分でします。落ち込んでイライラしながら状況が良くなるのであれば、私も朝から晩まで落ち込みますが、絶対にそういうことは起こらないのでそうしないだけです。

心を楽しくしていると面白いことが起こります。平常心が保てるので、状況を打破するアイデアが次から次と湧いてきます。それを一つ一つ実行していくと状況も一つ一つ良くなっていきます。ほんの少しの進歩でもいいのです。

考えてみてください。落ち込んでじっと不安とともに頭の中で考えてばかりいて行動を起こさないのと、心楽しく「さてどうしたら一番良い結果が出るか」と考え、実行に移すのとでは一日の進歩に天と地の差が出ます。

結局は全て自分の心なのです。自分が何とかしないと誰も最終的に助けようがないのです。人に頼っても、その人があなたの思う通りに動いてくれるとは限りません。でも、心楽しく自分の身体を動かして色々なプランを実行していくと、こちらが頼まなくても助けてくれる人が出てきます。電話一つでもいいのです。建設的なことを一つすることが大切ですね。

心さえ楽しくする努力をしていれば必ず道は開けます。そのような能力が我々一人一人に与えられているのです。だから,自分をもっと信用してください。心さえ楽しくしていれば本当に天地のエネルギーが自分に入ってきて自分を助けてくれます。自分を頼りに、正しい「道」を頼りに堂々と道の真ん中を歩いていこうではありませんか。大丈夫ですよ!

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 22:25| Comment(2) | 人生を楽に過ごす方法

2009年04月07日

辛さ、悲しさを潜在意識で変える(2)

一昨日ほど前、「私たちの考え、行動は私たちの意識には出てこない潜在意識によって殆どの部分がコントロールされていると考えていいみたいです」という話をしました。今日はそのつづきを書きたいと思います。

まず潜在意識で辛さ、悲しさなどの意識のベースを変えるのに下記の寝る時の心得を書きました。

寝る時の心得 (心のトレーニングから抜粋)
1)
「腹が立つこと」『悲しいこと『辛いこと』『心配なこと』など消極的な言葉で作られる概念は決して寝床に持ち込まない。考えれば考えるほど『楽しくなること』を思い浮かべて寝る事。
2)
寝る前に鏡の前で自分の顔に向かって、自分のなりたい状態を命令的な言葉で話す。たとえば『お前はもっと元気になる!』『お前はもっと信念が強くなる!』『お前はどんな状況でも笑って生きるようになる!』などと発声する。
・ 真剣に命令すること。
・ つぶやきくらいの声でよい。
・ 一回だけ命令すること。(2度3度と繰り返さない)
・ 命令事項は一つだけにすること。
・ 命令したことが現実化するまで命令を変えてはいけない。
・ 寝る直前にするのが効果的。

そして起きる時は次のことを実行してください。

目覚めの心得
前夜命令したことをすでに具体化された状態で断定した言葉で表現する。たとえば『お前はもっと元気になる』と命令したら、それを『今日私はもっと元気になった!』と自分に聞こえるように言う。
・ 目覚めた直後に言うこと。
・ 鏡を見ても見なくても良い。
・ 一日中回数を多く言うほうが良い。

これは何をしているかというと、自分が思い描く穏やかで幸せな状態を自分の潜在意識に刷り込むために、正しい言葉で自己暗示をかけるのです。一旦自分の幸せな状態が潜在意識に刷り込まれると、われわれが元々持っている「大いなる力」が発揮され思い描いた状態が実現していきます。

私達の潜在能力には計り知れないものがあります。それを自由に使えるようになると、今はどのような状態であっても素晴らしい道が開けていきます。その計り知れない人間の大いなる力を引き出すのが自分の潜在意識なのですね。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 21:27| Comment(2) | 人生を楽に過ごす方法

2009年04月06日

驚くべき人間の力

私たち人間には驚くべき力が既に備わっています。ただ、それを出す方法を知らないだけなのです。チベットのラマ僧の修行や、ヒマラヤに近いインドの修行者の中には、「こんなことが人間にできるのか!」と驚かされることがあります。

例えばチベット僧の修行は、厳寒のヒマラヤで毛布一枚を渡され外で坐禅の修行をします。普通であればすぐに凍死するのですが、僧が坐禅をしている周りの雪がだんだん溶けていき、一日経つと僧侶は雪の竪穴の中で坐禅をしているようになります。

これは本当の話で、人間が一途に修行をすると常識では考えられないことができるようになるみたいです。でもこれは超能力みたいなものではなく、誰でもちゃんと修行をすればそのような力を出すことができます。だから、私達は元々持っている能力を十分発揮していないのですね。

私はヒマラヤで坐禅をした事はありませんが、山の上に住んでいるので冬の間は氷点下の中で毎日坐禅をします。修行中は暖房を一切使いません。ある程度坐禅修行をすると不思議なことが起こり始めます。氷点下の中で坐禅をしていても寒さを感じなくなっていきます。そして手の平が薄っすらと汗ばむようになるのですよ。だから、ヒマラヤで修行している僧侶が、毛布一枚で周りの雪を溶かしながら坐禅をすることは十分ありえることです。

臨済禅の中興の祖である白隠和尚は、若い頃神経症と肺結核にかかり死にそうになっています。その時白幽老人という半分仙人みたいな生活をしていた人に「内観の法」という心身を整える方法を教えてもらい命拾いしています。これには多くの文献が残っており、現代の医療機関でもその効果が検証され確認されていますから、本当にあった話です。

詳しい説明は省きますが、この白幽老人は比叡山の洞穴の中で生活し、少ない木の実や渓流の水を飲んで生活していました。この人は元々は徳川家に仕えていた武士です。何日も食べられないことも続いたみたいですが、別に飢える事もなく病気一つしなかったそうです。

この話も私は納得できます。禅の修行の間は食事は一汁一菜で、普段家で食べている食事よりカロリーは確実に低いです。坐禅に集中してくると食事を抜くこともあります。でもそんなに腹が減るという事はありません。また、坐禅だけではなく外での作務の作業や老師の用事などで身体は一日が終わると結構へとへとになります。このような日々が一週間続くのです。しかし、家に帰って体重を量ってみると全然減っていません。増えていることもあります。私は未だにこの事を不思議に思います。

特に好んで餓えようとは思いませんが、心を静かに落ち着け、雑念が少なくなると元々私たちの身体に眠っている大いなる力が出てくるみたいです。「仙人は霞を食べて生きている」と言われますが、まんざら嘘ではないと思いますね。

普段私達は日常の生活の中で心を右往左往させながら雑念にまみれて生活しています。だからこのような大いなる力が出てくる余地がないのですが、禅のような心と身体のトレーニングを真剣にすると
、信じられない力が出てくる事もあります。

だから皆さんに坐禅をせよとは言いませんが、常識に囚われず、人間には誰でもこのような力が内蔵されているということを知る事は良い事だと思います。だから、何があってもマイナスの感情を少なくし、心穏やかに、心静かに日々過ごす事は幸せを引き寄せる力があるのだと思いますよ。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 23:58| Comment(2) | 人生を楽に過ごす方法

2009年04月01日

やはり人生は修行かな

日々生活していると、嫌なこと、苦しいこと、悲しいことがやはり起こります。私は以前、本当の幸せとは何だろうと考えに考えたことがあります。それで禅の道に入ったわけですが、その頃の自分は本当に苦しんでいました。

そして修行をしていく中で、本当の幸せとは「絶対的な安心」なんだと気づきました。では、絶対的な安心とは何でしょう。お金とか地位とかあれば絶対的な安心でしょうか?今なら公務員の人達のように仕事を失う心配がないのが絶対的な安心でしょうか?自分や家族が健康であれば絶対的な安心でしょうか?

今、自分に、お金、地位、仕事の保証、健康などが無い人は、それが手に入ると安心と思うでしょう。でも、そうでは無いのです。それは、お金持ちが絶対的な安心をしているかというと、それとはかけ離れた人生を送っている人が多いです。お金持ちはお金を失う不安の中に生きています。日本全国の公務員の人が絶対的な安心を持って生きていますなんて事もないですよね。それぞれ悩みを持って生きています。

もし、幸せが「絶対的な安心」であるならば、それは何処にあるのでしょう?ここが、私が一番判らなかった所です。私は以前、お金も地位もありましたが、全然安心ではなかったです。だから、そこには無いことはよく判っている。絶対的な安心が何処に有るのか判らないとこの人生で本当に「幸せ」にはなれないぞ。幸せな気分の時もあれば不幸せな気分の時もあって、一生心を右往左往して生きていかねばならない。「こりゃたまらんな〜。」と思ったわけです。

禅の修行をしていく中で、一つ分かった事は「幸せ」とか「安心」とかは自分の心の「状態」の中にあって、財産、地位、仕事など自分の置かれている「状況」の中には無いのです。

今の私に判っている事は、失業や病気など、どんな苦難が襲ってきても、それにひるまず、ぶち当たっていく時の心の状態。一日がまあ無事に過ごせればそれに感謝し、周りに感謝する時の心の状態。困っている人がいたらできる範囲で助ける時の心の状態。「幸せ」「安心」とはこのような積極的な心の状態の中に存在するということです。一言で言えば「平常心」です。一日24時間一瞬も怠ることなくこの心の状態が保てたらそれが「絶対的な安心」ですね。それができるのが禅の「老師」ですよ。目の前にいますから、見ていて「すごいな〜。」とつくづく思います。

いくら禅の修行をしていても、辛いことがあれば逃げたくなるし、理不尽なことがあれば腹も立つ。以前より相当ましになっているかもしれないけど、まだまだ修行は続きます。だって、私も生きている間に一度でもいいから「絶対的な安心」を経験してみたいと思いますから。長い道に見えるけど、人類の歴史の中で禅の修行がどうもそれを獲るための一番の近道のようです。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 07:32| Comment(0) | 人生を楽に過ごす方法

2009年03月29日

商は笑にして勝なり!

なんと「笑うことが商売の要諦(ようてい)だ」ということです。

 斎藤一人さんも
  「斎藤一人のツキを呼ぶ言葉」で以下のように
  述べられています。

幸せになるコツは「笑う」こと。
  笑うと顔に ○ がある人になり、しかめっ面でいると
  顔に × がある人になる。 
  顔に ○ がある(笑顔になる)と第三の目(心の目)が開き、
  顔に × がある(しかめっ面)と心の目が閉じてしまう。
 
  この心の目が閉じていると、誰も助けてくれないし、
  かわいがってくれない。

 だから,口元を上げて笑顔でいようね。と

 皆様、笑って笑って幸せになりましょう。(立花敏伸氏HPより)

 ●正しい経営とは
「どうしたら売り上げがあがるか、利益を確保できるか」 を考えるのではなく
どうしたらお客さんに喜んでもらえるかを考えることが大切です。


笑うことは別に商売がうまく行くだけではありません。健康になるし、人間関係はうまく行くし、心は穏やかになるし、周りは幸せになるし、子供は朗らかに育つしと、これほど元手がただで得する事は人生そう多くはありません。

私達は別に笑うのにお金がかかることはありませんので、笑おうと思えばいつでも笑えるのです。だったら、しかめっ面はやめて笑うことを癖にしましょうよ。今、どの様な境遇にいようとも笑っていれば、その境遇が貴方にとって今より向上していくことをお約束します。

幸せになるのに、笑い、微笑みに勝る特効薬はありません。さあ、今日から意識して笑いましょう、微笑んでいきましょう。
天はちゃんと私達に元手がかからずみんなが幸せになる道を作って置いてくれていたのですね。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 19:00| Comment(4) | 人生を楽に過ごす方法

2009年03月20日

斎尽きて魯現る

"斉(さい)" という国を行きつくして 「もう道がない」。
ところが、行きつくしたと思えばさらにその先に
"魯(ろ)" という国が現れた。
行きづまったのは自分の知 (あたま) であり 知 (あたま) を捨てて
虚 (から) になれば道は無限に続く。
虚であればそれに応じて知恵は無限に変化して出てくる。
行き先は無限にあるという事である。

長い人生誰しも大変な試練を迎える事がある。
そんな時このまま行くとこの先どうなるのか不安になる事がある。
誰もが大なり小なり経験する事だと思う。

戦国の武将武田信玄は、この戦いは無謀と家来達が止めるのも聞かず
「物は定りて定らぬものなり」と言って戦いに挑(いど)み
勝利を収めたという。
先の事は分からないのである。

仏教では右に行くか、左に行くか迷ったら「サイコロを転がして決めよ」
というのがある。 困難な道も良し、平坦な道も良し。という意味だと思う。
自分の心の持ち方次第ですべて 吉 とする事が出来ると思う。

人間成長する上で苦しい体験は必要である。 大切なのは、
とり越し苦労をせず「何があっても平気で生き抜くぞ」という勇気と「災いを転じて福とする」という精神を持つ事ではないか。


山頭火の言葉に
「雨が降ったら傘さして、傘がなかったらぬれて行く。
そんな人生がちょうどいい」
大変好きな言葉の一つである。
人生「ケセラセラなるように成る」と笑って生きて行きたいと思う。 立花敏伸氏HPより

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 23:34| Comment(2) | 人生を楽に過ごす方法

2009年03月19日

自分は愚かだ、未熟だと認める

人が自分は愚かだと悟るとそれは賢者である。
人が自分は人より優れていると思っている間は愚者である。

私は三十代で大手外資系企業の社長になり、家や高級車を購入して海外リゾートで休暇を過ごしていました。自分は優れた人間と人と比べることばかりしていました。

四十三才で奈落の底に突き落とされ、底辺を這い回るうちに人の情けを知り、人の悔しさ、苦しさ、悲しさを知り、こんな傲慢だった自分に情けをかけてくれる人がいることを知りました。

禅の道に入り、正しい生き方を聞き、判っていても顔を出すプライドに苦しみ苦しみ坐禅をする。道場で叱られ叱られ坐禅をする。そのうち坐禅で自分の愚かさを知りました。

自分が愚かであると知った時、私は始めて心が満たされる思いがしました。決して社長をしながら得意満面の時には感じなかった満たされる思い。そして、肩から力が抜け重い荷物を降ろしたような気持ちよさ。

自分が愚かだと心から認めると、人や世間と比べることも無くなり、競うことも無く、そしりを受けても気にならず、腹が立つことも無い。ただ、坐禅をして、自分ができる仕事を一生懸命やり、困った人が居れば力になる。

ただそれだけの人生の何と楽しい事か。何と穏やかなことか。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 23:46| Comment(3) | 人生を楽に過ごす方法

2009年03月18日

自分を作らない

誰でも人に良く思われたいものです。小さな子供は特にそうです。小さな子供は親、特に母親に良く思われたいのです。だから最初は親の言うとおりに良い子になろうとします。

これが自分をよく見せるために自分を作り出す始まりです。小さな子供は仕方が無いですが、大人になったらもう一度考え直した方が良いと思います。私達は学校に行った時、社会に出た時、敏感に自分が所属する集団が何を求めているかを感じ取ります。そして、それに自分を合わせていこうと無意識に思うのです。合わないとグレたりします。

でも、そうして自分を作っていく間に本当の自分と作り上げた自分のイメージとの間にギャップが生まれてきます。英語ではセルフイメージと言っていますが、「周りから見られた時の自分を作り出し、それを保とう」という意識が働きだします。

そうすると、どんどんギャップが大きくなって、そのうち本当の自分が作り出された自分のイメージの奴隷になっていくのです。例えば「私はハイソよ!」というイメージを作ったとします。そうしたら本当は貧しかった子供の頃に食べた「たこ焼」が食べたいのだけど、イタリアンで「ピザ」にするみたいな行動を取りだします。「たこ焼なんかとんでもない。私のイメージが崩れる!」となるわけです。プライドなどは、結局はこういう類のものです。

これを意識的にやっている間はかわいいのですが、無意識にやりだすと病は深刻です。「いったい本当の自分とは何か?」というのが判らなくなります。そして、自分が作り出した自分のイメージの奴隷のまま一生を終わることになります。

可哀想な話ですね。いったい本当の自分とは何だというのが分からず奴隷の人生を生きていくのです。中には自分の作り出したイメージの自分と現実の自分とのギャップが大きすぎて、うつになっていく人もいます。

禅では本当の自分の事を「本来の面目」と表現します。臨済禅に入門すると最初の「公案」が「父母未生以前における本来の面目は如何?」です。公案とは老師との禅問答の問題みたいなものです。「お前のお父さんお母さんが生まれる前のお前はいったい何だったんだー!」という意味です。これを一生懸命坐禅しながら工夫して見つけていくのです。

本当の自分を見つけると、如何に今まで自分は自分を作っていたのかがわかります。そして普段の生活があるがままの自分の生き方に近くなっていきます。これでやっと自分が自分の主人公になれるわけです。

やはりあるがまま生きる方が楽ですね。私はそう思いました。一度皆さんも本当の自分とは何かを心の中で工夫してみてはどうでしょう。作り物の自分ではつまらん話ですよ。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 22:47| Comment(2) | 人生を楽に過ごす方法

2009年03月11日

心と健康

日本ではよく「健康な身体に健康な心が宿る」と言われます。だから一生懸命頑強な身体を作ろうとする人もいます。しかしこれは間違いですね。「健康な心に健康な身体が宿る」のです。

今、殆どの病気は自律神経の乱れから来ているという学説が大変有力になっています。自律神経とは意思とは関係なしに、心臓や呼吸、内臓を働かせている神経です。

自律神経は昼間の神経とも言われる交感神経と夜の神経の副交感神経の総称です。朝起きると心拍数が上がり、身体が活動を始めるのは交感神経のお陰です。逆に、夜リラックスして眠りにつけるのは副交感神経のお陰になります。両者のバランスが取れていれば身体はちょっとやそっとで病気にはなりません。血液検査でデータを取ると、免疫機能をつかさどる白血球、顆粒球、リンパ球の数値が最適な状態になります。したがって、免疫機能がフルに働くのです。

しかし、ストレスを受けて交感神経優位となり自律神経のバランスが崩れると免疫機能が低下し病気になります。がんもこの自律神経の乱れから発症します。今まで、肺がんなどは喫煙が原因とかよく言われてきましたが、欧米諸国で禁煙が進みタバコを吸わない人の人口が急増しました。しかし、肺がん患者は減るどころではなく逆に増えているのです。ではどういう人が肺がんになっているかと言うとタバコを吸わない人です。

社会のストレス状況は確実に悪化しています。自律神経のバランスが乱れる人も急増しています。不眠をはじめ、がんやその他の内臓疾患が増えています。これは心が健康でないからです。あれやこれやと悩み自律神経のバランスを崩して不眠になり、そして病気になっていきます。

皆さんよく考えてください。悩むことなどは全く必要の無いことです。悩んで状況がよくなるのであればどうぞ朝から晩まで悩んでください。でも、悩んで状況がよくなるわけ無いでしょう。逆に病気になって状況をもっと悪くします。しかし、心を楽にして自律神経が整うと免疫力が回復して、癌ですら想像を超えるスピードで治ります。

簡単なやり方で自律神経のバランスをとる方法がありますので以下のURLを見て下さい。これは新潟大学医学部で開発された方法です。効果覿面ですよ。http://www.umi-kaze.com/index/naiyou/seikatu_sido/tume_momi.htm
そうそう、坐禅も効果覿面です。禅堂で不眠で悩んでいる人は未だ嘗て見た事がありません。みんな死んだ様に寝ています。


合掌
仏光
 
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posted by 仏光さん at 23:43| Comment(0) | 人生を楽に過ごす方法

2009年03月09日

今の状況は過去の行いが返っているだけ

釈迦はいわれる
いかなる世界においても、ことばによっても、心によっても、
身体によっても、いかなる悪をもしてはならない。

いかなる世界とは、どんな悪しき状況におかれても という意味。
人に対しては、暴力だけでなく、ことばによっても傷つけてはならなにいという。
心の中だけで憎んだとしても、やがてその心から出るいじめや、差別感が生じるが、
それを、人になしてはならない。なぜなら、なしたことは全部還ってくるからである。
善き事も、悪しきことも、心には力があって返って来る。

今ある私たちの状況は、過去にずっと世間に投げたものが返ってきているに過ぎない。

もし、あなたが今とても苦しいならば、今、心の想いを善にかえ、一番憎い人のために
善きことを祈ることを習慣とするがいい、その上、さらに少しずつでも回りの
人々に善きことをなして生きようとするとさらにいい。きっと未来は善くなる。
私たちは人の上に立ったり、親として子に接したり、子供たちに教える時、
その子らが、自分の思う所と違う返事や行為を返した時や、期待はずれの結果を
出したり、反抗的態度を示した時、それらの弱い人たちに対して、ことばや身体によって、
傷をつけてしまうことがある。その弱い人が精一杯した仕事にもかかわらず、
自分の利に合わない時は認めず、その人をそのグループを、傷つけてしまう。
だから、心して、日常において、次の釈迦のことばを掲げ戒めとしなければ苦しむ。

釈迦はいう
「好ましい言葉のみを語れ。口をつつしみ、ゆっくりと語り、心がうわつかないで、
善い言葉を口に出せ。悪い言葉を口に出すな。悪い言葉を口に出すと悩みをもたらす。
いつも いつも、死が私たちを包むまでこれを戒めとするがいい」

北川八郎氏著 ブッダのことば「百言百話」より 立花敏伸氏HPより

世の中には色々な人が居るものです。いい年をして人にいやみを言ったり、慇懃無礼な言葉を吐く人も居ます。ただ、自分が認められなかったら相手が悪いと思う人もよくいます。でも、そういう人は放って置いてあげればいいのです。気にしない、気にしない。悪い言葉を発する事は天に向かってつばを吐くようなものですね。全部いつかは自分に返ってきます。だからその人たちの為に自分の心を悪しき方向に向ける事は無いのです。心無い悪しき言葉も自分にとってはいい勉強です。いつも感謝の心でいればいいのでしょう。本物は誰が何と言おうとやはり本物です。本物とは何かを良く見極める目を育てることが大事なのでしょうね。
合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 23:03| Comment(2) | 人生を楽に過ごす方法

2009年03月01日

幸せの秘薬

立花敏伸氏HPより
★ この秘薬は、使い方を誤ると大変な事になりますが、効目は確かです。
★ 悲しい時や辛い苦労の時にでも幸せを感じ取る事が出来ます。

〈使用上の注意〉
この秘薬は、心豊かで素直な方のみに効果が現れます。
薬が合わず副作用で苦しむ方もいるようです。くれぐれもお気を付け下さい。

[幸せの秘薬 = 悲しみや苦労を経験する事です。]

悲しみや苦労は、悪い事でも不幸でもありません。
誰でも経験する事なので、否定せず素直に受け止める事です。

この経験が、心を豊かにして、いつでも幸せを感じ取る事が出来ます。

悲しみや苦労を経験する事で、どの様な時にでも幸せを感じ、
人の悲しみや苦労も解る豊かな心になります。経験の少ない人は、
楽しい事や嬉しい事だけが幸せだと思い込み幸せ探しの旅を続けます。
心が豊かな人は、いつでも幸せです。

秘薬の副作用 
悲しみや苦労を自分の為と思えぬ人は、この良き経験を、
自分の心で受け止めず、全てを人のせいにする事で、心を狭め、
恨みや悲しみの中で生活する事になります。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 22:35| Comment(2) | 人生を楽に過ごす方法

2009年02月22日

お前も「ろくなもんじゃねえ」ことを知れ

★ 人は、落ち込んだり有頂天になったり、中々心のコントロールができない。
この気分の起伏というものを何とかできないものだろうか ──。

● 解決策は簡単です。
落ち込んでしまうのは、自分が「大したものだ」と思っているのに、さほどの
評価を得られなかったからです。逆に有頂天になるのは、自分が「大したものだ」
と思っているところに「大したものだ」「素晴らしい」と賞賛を浴びるからです。

どちらも同じ心の状態がそういう心の起伏をつくっているということになります。
その心の状態とは、「自分が大したものである」「ちゃんとしたものである」と思う
ところから始まっています。

自分が「大したものじゃない」「ろくなものじゃない」「ちゃんとしたものじゃない」
と心を定めることができたら、人間はとても楽に生きることができます。
人間はもともと不完全で不十分で未熟。やること為す事完全にはできず、
ミスばかり。そういうものの積み重ねの結果として人間があるのだと思います。
「たいしたものじゃない」「ろくなものじゃない」「ちゃんとしたものじゃない」
と思うことができたら、非難されても否定的なことを言われても
落ち込むことがなくなるでしょう。

落ち込む人、同時に有頂天になっている人というのは、
すべて「自分の力がなかなかのものである」と思っている
ところからキテイルに思います。もしかすると、
その心は驕(おご)り、高ぶり、傲慢(ごうまん)というものに近いものかもしれません。

本当に謙虚になると、落ち込むことも
有頂天になることもなくなるような気がします。

小林正観氏著「ただしい人からたのしい人へ」より


★ もしも愚者が、自ら愚であると考えれば、すなわち賢者である。
  愚者でありながら、しかも自ら賢者だと思う者こそ愚者である。  (釈迦)

★ 「我必ずしも聖(ひじり)に非ず。彼必ずしも愚に非ず。
  是れ共に凡夫(ぼんぷ)なり」

と聖徳太子はいわれました。人間の争う原因は常に、『相手より自分のほうが正しい』
『相手より自分のほうがすぐれている』という発想なのである
自分が相手の立場だったらどうするだろうかと考えた時、そこには争いも
起こらずまた、怒りも起こらない。そしてそのためには、

『自分が必ずしも相手より優れているわけでもなければ、正しいわけでもない』
という反省と、自分は愚かである という自覚が 前提としてなくてはならない。
という教えである。立花敏伸氏HPより

私も昔は傲慢で本当に「ろくなもんじゃねえ」と言われても仕方が無い人間でした。財力があり、社会的地位があり、人を無意識のうちに見下して、本当にろくなものじゃなかったです。今から思うと心からに恥ずかしいですね。でも、今完全に「自分は大したものだ!」という思いがなくなったわけではないと思うのです。調子が良くなるとすぐに慢心したりしているのではないかと。

人と比べず、自分は「大したものじゃねえ!」と言い聞かせ、言い聞かせ、実践して生きて行きたいものです。その時に自分の「自我」が少なくなっているのでしょうね。道は長いけど一歩一歩です。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 18:21| Comment(2) | 人生を楽に過ごす方法

2009年02月20日

仏様の物差し

私達は人間関係で悩み苦しみます。相手に対して、
憎しみや怒りを覚えることもありますが、人は、
それぞれにエゴイズムに基づいた物差しをもっています。
われわれはそのような利己的な物差しは捨ててしまって、
仏様の物差しでものを見なくてはなりません。
というのが仏教の教えです。しかし、人間の物差しを
完全に捨ててしまうことはできません。そんなことを
すれば、わたしたちはこの現実社会で生きてはいけません。
でも、かといって、人間の物差しだけでよいかといえば、
それは違います。わたしたちは人間の物差しのほかに、
仏様の物差しを持ちなさいというのが、仏教の教えです。
仏様の物差しは 慈悲のこころ を持った物差しです。

今私たちに一番欠けているものではないでしょうか。
自分と同じと思うから、相手の言動が気にいらないと
傷ついたり悩んだりするのです。みんな、それぞれの
心の世界が違うということが解ると、相手を責める気持ちは減少します。
自分が成長していく過程において、
その時々にふさわしい善き人達との出会いがあります。
すべての出会いは、自分を成長させていく上で
大切な人たちです。

※慈悲心・・・相手を思いやる心 立花敏伸氏HPより

本当に「人間万事塞翁が馬」です。良いと思っていた人が豹変したり、嫌な人とも人生の中では遭わなくてはなりません。でも、そのお陰で学ぶことも多いでしょう。
私は「自燈明、法燈明」という言葉を嫌だなと思う状況の中で学びました。「人を頼りにするな、自分を頼りにせよ。仏法を自分の行く道の拠り所とせよ。」ということですが、自分が人を頼りにして嫌な目にあって、苦しんだ後に初めて知識ではなく肌身で分かったことです。こうなると嫌だなと思っていた人は、私が気づいた瞬間から私の恩人になりました。

もちろんその人はそれに気づくすべも無いでしょう。でも、私にとっては大変大きな悟りでした。だから良い事、悪い事などは無く何に対してでも感謝なのですね。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 23:44| Comment(2) | 人生を楽に過ごす方法

2009年02月19日

荷物を捨て、楽しく人生を散歩しよう

釈迦はいう(こよなき幸せ)
尊敬と謙遜(けんそん)と適当な時に教えを聞くこと、耐え忍ぶこと、
ことばのやさしいこと、諸々の道の人に会うこと、
適当な時に理法について教えを聞くこと、これがこよなき幸せである。

いつも、いつも、ずーっと年を取って90歳になっても、謙遜しまだまだ・・・」
いちからやり直しと反省して生きると幸せであるという。自分より若き人にも、
年を経た人にも、同年の人にも、能力があって、心澄んだ人に
尊敬の念を持つのは幸せであるという。
そして、いつも迷いの森にとどまらないように、光る足である人の教えを聞いて、
道を踏みはずさないことは幸せである。心が落ちつかない時、
何か心があわてふためいている時、そして、時に落ち込んだ時に、
理法についての教えを聞くことは こよなき幸せ であるという、
なぜなら、道の人の歩んだ後を歩けるからである。

釈迦はさらに教えについていう。
「この世で教えをよく説き、多く学んで、何物をも、持たない人は楽しい。
見よ、人々が何物かを持っているためにかえって悩んでいるのを。
重い荷物を捨てたあとは、荷物をさらに受けるな。荷物を投げ捨てることは楽しい」

釈迦の教えを聞いて人生の荷をトラックから降ろし、出来る限り地位や名誉や財産も
名声も投げ捨てて、何も持たなくなると楽しいという。
貧で、威張るものを持たない時は楽でいい。
何か地位や賞讃にふさわしい家や態度や高級車を持つのは大変である。

人生の散歩は手ぶらが楽しい。人生の旅も、インドの旅もリュック一つが楽でいい。
北川八郎氏著 ブッダのことば「百言百話」より引用 立花敏伸氏HPより

私も含めて、なかなか自分の財産、地位、生活に対する執着は捨てられないものです。でも、執着を捨てれば楽だろうなと思います。お釈迦様は皇子の地位と生活を捨てられ出家しました。当時の出家とは頭を丸めて寺に入るような甘いものではなく、一気にホームレスになることですよ。一般の人が出家するよりよほどすごいことだなあと思います。
でも、捨てることにより絶対的な心の平安を得られたのですから、地位や財産を握り締めて不安や悩みにおののいて生きているよりよほど幸せですね。絶対的な安心以上の幸せが何処にあるでしょう。捨てることはできなくても、できるだけ少なくシンプルにすることは私にもできそうです。

合掌
仏光
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2009年02月16日

開運への道

人はだれでも幸福を願っている。だからこそ自らの
運命を開拓しようとし、その方法を講じようとするのである。
「文字の霊があなたの運命を左右する」と聞けば、
驚いて姓名判断へと走り、「あなたの幸福のカギは、あなたの手筋にあらわれている」と教えられればあわてて手相術を研究しようとする。
家相、人相、占星、方位、改印など、みなそのたぐいであるが、
はたしてこれらのものが、己の運命を開拓してくれるであろうか。
ある人はこれを疑い、ある人はこれを信じ、ある人は真っ向から
これを否定しようとする。
一体、これは信ずべきことなのか、それとも信ずべからざるものか…と詰問されれば、「わたくしには、わからない」と、答えるほかはない。昔から「当たるも八卦(はっけ)当たらぬも八卦」といわれているが、
これは言いかえれば「所詮はわからぬもの」
ということにほかならない。だが、わからないからといって、
「そんなバカなことが……」と否定することはできないであろう。
わからない…ということは、否定も肯定もできない
神秘の世界だからである。それでもなお、ひとびとはわからないままに「どうしたならば……」と神秘の扉をたたき、
開運の道を知ろうとするのである。

仏教での「開運の道」としての教えは

運命を変えたくば、「 陰徳を積め」 と教えているのである。

「陰徳」とは、かくれた徳である。人にみせびらかさない
善(よ)い行いのことをいう。自分はこういう善いことをしたなどと得意がり、人にみせびらかしては、たとえそれが善いおこないで
あっても、決して陰徳とはいえないのである。
どんな小さなことでもよい、人から喜んでもらえるようなことをして、ただ、もう、うれしくてならないのが陰徳なのである。
陰徳は、火にも焼けず、水にも流されずにのこっていく、
それはちょうど、池の面(おも)に投げられた小石が、
美しい波紋を描くように、どこまでもどこまでも、
大きく広がっていくように……。

観相中興の祖と仰がれた水野南北翁は『南北相法』を著して
人相の見方を教え、またのちに『極意修身録』では、
「ひそかにその食をへらし、常に腹八分にし置く人は、
たとえ凶(わる)い相の人であっても、
しだいにその相を変え、相がよくなるにつれて運命も必ず
開かれていく」と断言しているのである。

  「諸々(もろもろ)の飯食(おんじき)を受くる事、
      当(まさ)に薬を服するが如くすべし」と、

『遺教経』に説かれていることばであるが、
ひそかに食をつつしむこともまた、大きな陰徳である。


陰徳と 腹八分は、まさに

 「開運の道しるべ」である。 立花敏伸氏HPより

日本では「人の迷惑にならない人間にならなくてはいけない。」と子供に教えますが、インドでは違うみたいです。インドでは子供たちに「貴方が生きていくことは既に周りに迷惑をかけているのですよ。」と教えるらしい。なるほど、私たちが一生、生きていく間に、どれほどの牛肉や豚肉。何羽の鶏、何匹の魚を食べているのでしょう。これだけでもすごく周りに迷惑をかけていますよね。

だから、少しでも迷惑を減らすために腹八分目、おかけしている迷惑を少しでも償うために陰徳を積む事が必要かもしれません。と言うよりかは、「自分が生きていくという事は、既にこの地球で色々周りにご迷惑をおかけしながら生かさせて貰っているのだ。」という気づきと自覚が、謙虚に生きる気持ちを生み出すのではないでしょうか。そのような生き方をしている人になるほど不幸は訪れませんね。どんどん幸福になっていくことでしょう。

合掌
仏光
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2009年02月15日

いのちのたくましさ

人の欲望は底知れぬもので、財を築いた人はさらなる富を求め、容姿に恵まれた人は
もっと美しくと、果てのない幻を追い続けます。しかし、しょせんは幻ですから
満たされることがなく、得体のしれない不満を抱えたまま
生きていかなければなりません。私もそうでした。
ベビーブームの真っ只中で生まれ、他人と競い、抜きん出ることばかりを考えながら大人になったのです。勉強をして良い大学に入り、一流企業に就職をして裕福な家庭を築くことをめざして生きてきました。
ですから自分の子供にも多大な夢を抱いていました。
ところが、長男は出産時の事故で脳に大きな傷を受け、
重い障害を持って生まれてきたのです。歩くことも、立つこともできません。
話すことも、笑うことも出来ないといわれました。

人口呼吸器を着け、身体中をチューブやコードで覆(おお)われたわが子を見て、途方にくれました。痛々しい姿が可哀想(かわいそう)で、いっしょに死んでしまおうかと心が揺れたこともあります。
息子の障害を受け入れることのできなかった私は、その障害を治すことばかりを考えました。「効果があるらしい」と言われる訓練や治療を求めて日本中を飛び回り、
なんでも試しました。しかし、障害が治ることはなく、
それどころか息子の体調は日増しに悪くなっていったのです。
過度のストレスによる悪性症候群。
ものを言うことができない息子の、必死の抵抗だったのかもしれません。
ようやく目が覚めました。重い障害を持ちながら、
懸命に生きようとしていた息子の生命の芽を、
愚かな母は、摘み取ろうとしていたのです。
障害や病気を持ちながら、それでも生まれてくる生命は、
人一倍たくましい生命なのだと 気づきました。そんな尊い生命が、この世に在(あ)るということが、何よりも大切なことなのです。
私の祖母は明治の終わりに生まれ、
大正、昭和を経て百年の時を生き抜き、昨年他界しました。早くに夫を亡くし、
小さな染物工場を女手一つで切り盛りしてきた祖母は、
嫁いだ母が苦労するほど、仕事にもお金にも厳しかったそうです。
ところが、その祖母が数年前に心臓の疾患で倒れ、一命はとりとめましたが、
重い認知症を患うこととなりました。厳しく口うるさかった祖母は、一変しました。
毎日ニコニコと穏やかに笑ってばかりいるようになったのです。
ほとんど話すこともできなくなりましたが、なぜか「ありがとう」だけは
口にします。朝起きると「ありがとう、ありがとう」、
粗相(そそう)をして怒られた時でさえ、
手を合わせて「ありがとう、ありがとう」と感謝の言葉を吐くのです。

そんな祖母の介護を厭(いと)う人はいませんでした。
家でも病院でも、祖母は誰からも
好かれ可愛がられます。「いいボケ方をしたねえ」と、うらやむ人もいました。
ただ、私には、祖母が本当は何もかも分かっているのではないかと
思えることがありました。
以前の祖母より、たくましく生きているような気がしたからです。ニコニコと笑いながら、
したたかに生きている。そんな強さを感じたのです。
欲を捨て、怒りやねたみや驕(おご)りなど、心にまとわりついた垢(あか)のような
鎧(よろい)を剥(は)ぎ取ることで、生命のたくましさは
輝きだすのではないでしょうか。
息子は8年と7ヶ月、自分の命を守りつづけました。
「もうだめだ」と何度も言われながら、
最後の最後まで自分の命を自分の力で守り抜こうとしたのです。その姿に、
私たちはどれほど多くの力や勇気を与えられたことでしょう。
この世に生を受ける喜びと、その生命を、ただただ、精一杯生きることの素晴らしさを、
息子は教えてくれました。
祖母や息子の残してくれた、たくましい生命のカケラを心に留め、自分自身の人生を、
謙虚に、たくましく生きたいと思っています。

女優 石井めぐみ 第5回心を育てる会 平成20年6月2 日より

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 01:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 人生を楽に過ごす方法

2009年02月13日

木の根の話

木の芽が顔を出す 同時に地中では木の根も少しずつ伸びている
その伸び始めた木の根が 大きな石にぶつかった
完全に行き先を阻(はば)まれた状態だ。

しかし、木の根は諦(あきらめ) ない
上手にその大きな石の形に沿(そ)って根を伸ばして成長する
そして ついには大きな石を抱え込むように
しっかりと根をはる。 木は日一日成長していった。

突然ハリケーンがやってきた
強い風が何度も吹き付け大雨が降って地表の土が流される

しかし木はしっかりと大地に根を下ろしている

「大きな石よ ありがとう 私は必死であなたにしがみついて根をはった
あなたのお陰でしっかりと根をはることが出来て 風にも水にも負けなかった」

「木の根よ こちらこそ ありがとう あなたが私にしっかりと
巻きついてくれたお陰で 私は土と一緒に流されずに済んだ」
と互いに感謝し喜んだ。

木の根は「こんなところに石があって邪魔だ」と不平を言わず
石を上手に利用する形で 互いに共存共栄した。マイナスを見事に
プラスに転じ、お互いがお互いを生かし合ったのである。

◎ 老子の教えの一つに"上善は水の如し(上善如水)"というのがあります
「上善」とは、最も理想的な生き方 のことで,
"最も理想的な生き方は 水のあり方 のような生き方である"との教えです。

1.水は入れる器に従って、実に柔軟にその姿を丸くしたり四角くしたりして合わせる。
2.水は人が好まない低い位置へ低い位置へと流れていく。
3.水はものすごいエネルギーを秘めているということである。

洪水ともなれば、木や家も流してしまう。 つまり,水の持つ大きな三つの要素
柔軟性・謙虚・秘めた力 を身につけることの重要性を説いたものです。

「柔軟に心を養い、人の嫌がる低いところにさえも身を置くことができる謙虚さを持ち、
時に応じては何者にも屈さない秘めたる力を蓄えなさい」という教えのようです。      
第2話 第2回 心を育てる会より

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 22:57| Comment(4) | TrackBack(0) | 人生を楽に過ごす方法

2009年02月12日

苦しいまま苦しみから救われる

●「苦しみ」をタマネギの皮をむいていくように除く法
愚痴に覆われ、快楽を追い求めると、人生は苦になります。
「論語」に自分には厳しく、他人に寛大であれば、怨みごとから離れられる。
とあります。
あの人がこうした、この人がこうだと、他の人を怨みに思っている限り、
自分の心は辛く苦しい状況が続きます。その時、他の人に寛大な心を持ち、
許していけば、いつの間にか自己の苦しみは除かれているものです。
苦しい時、一つひとつその苦しみにとらわれるから、苦しみはさらに増していくのです。
そのとらわれの思いを、ちょうどタマネギの皮をむいていくように取り除いていくと、
芯がないのと同じように、苦しみの障(さわ)りはなくなるのです。

苦しい中にあって、とらわれを除く ことによって、
苦しいままで苦しみから救われる方法です。

◎ 戦国時代の武将、上杉謙信公(1530年〜1578)の訓言に次のものがあります。

1 心に何も思わないときは、体はのびやかである
2 心に慢心があるときは、人を愛し敬う心を失う
3 心に欲なきときは、正しい道理を行う
4 心に私心なきときは、疑うことがない
5 心に怒りなきときは、言葉はやわらかである
6 心に勇あるときは、クヨクヨしない
7 心に忍耐あるときは、物事がうまくいく
8 心に貪(むさぼ)りなきときは、人に諂(へつら)わず
9 心に迷いなきときは、人を非難しない
10 心に誤りなきときは、人を畏(おそ)れない
11 心に曇りなきときは、心静かである
12 心に驕(おご)りなきときは、人を敬う

心にこのような知恵を生じた時、まさに「一切の苦を除く」ことが出来るのです。

私達は肉体を持っています。肉体だけならどうもないのでしょうが、
心に思いを生じることによって、のっぴきならない状況に陥(おちい)るのです。
むし暑い夜、床に入りますと、肉体が汗ばんできます。
すると、心が むし暑いなぁ と感受し、さらにこれでは眠れそうもない。
明日、睡眠不足では仕事に支障がありそうだと想念をめぐらせていきます・・。
暑さ寒さがないところとは
「寒いときは徹底して寒さになりきり、暑いときは徹底して暑さになりきることだ」
つまり、寒さ暑さから逃げるのではなく、寒さ暑さを そのまま受け止めていく ことです。
夏の暑さとはこんなものだと 雑念を打ち消していけば暑いままでいいのです。

公方俊良著 「心に響く般若心経」より引用 立花敏伸氏HPより

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2009年02月09日

辛い時・・・

辛い時は必ずあります。まあ、自分の心が「辛い」と勝手に決め付けているだけなのですが、そうは言っても辛いものは辛い。禅の老師クラスになるとこの「辛い」が本当に無いみたいです。いつも「大安心」。自分の心が自由自在なのですね。

私も含めて、皆さんも禅の老師ではないので、その「辛い」時の過ごし方、回復の仕方を工夫しなければなりません。私は、まず微笑むことにしています。それから「大丈夫、大丈夫」と「ありがとうございます」を念仏のように口の中で唱えます。

そういう風に過ごしていると、やはり「諸行無常」ですから状況が変化してきてその辛さが無くなっていきます。実際子供の頃から「辛い」事は何回もありましたが、その「辛さ」は時間とともに無くなっています。子供の頃の宿題を忘れて立たされた辛さを今も感じることはありませんよね。当たり前です。

という事は、今感じている辛さもいつかは無くなるのです。今は辛いけどいつかは無くなる。それまで「大丈夫」と「ありがとうございます」を連発して、目の前にある自分のしなればならないことに微笑みながら専念するのです。もう、その姿は既に誰が見ても辛い姿ではありません。何があっても微笑んで一生懸命働いている姿です。

微笑みながら一生懸命自分がしなければならない事をしていると、必ずいいことが起こるので、辛いことがいつの間にやら無くなるのです。

この世の同じ景色が心の置き所一つで、極楽にもなり地獄にもなるわけです。私はやはり地獄より極楽がいいので自分の心の置き所に気をつけています。

まあ、人生何があっても大丈夫ですよ。何とかなります。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 22:44| Comment(6) | TrackBack(0) | 人生を楽に過ごす方法

2009年01月24日

今日一日

長い人生を、全て平穏無事に過ごそうと思うと大変難しい事に思えてきます。実際それは難しいでしょう。多くの人が落ち込んだり、絶望したり、うつになるのは、たぶん自分の生活や人生を考える期間が長すぎるのです。

世界の殆どの人は、その一生を平穏無事に過ごすことはできないのです。お釈迦様は人間は生まれた時から必ず根源的な「苦」が有ることに気づかれました。それを四苦といいます。それは生、老、病、死の四つの「苦」です。生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病気にかかる苦しみ、そして死ぬ苦しみです。

人間は誰でもこの「四苦」から逃れることはできません。したがって人間は生きていく上で苦しみから逃れることができないのです。普段私たちは「四苦八苦」という言葉を使いますが、この四苦は「四苦八苦」の四苦です。有る意味、みんな平等で、自分だけが苦しいわけではありません。

さて、長い期間で自分の人生を考えたりすると、最低限この根源的な「苦」に必ず行き当たります。「生まれてくる子が五体満足でなければどうしよう」とか「年を取ってよぼよぼになったらどうして生活していこう?」とか「死ぬ時に一人では嫌だ」とか「癌になったらどうしよう」とか普段普通に不安に思う事は、結構「四苦」に関係してくるのです。そして、自分で自分の将来の不安をわざわざ今日作り上げて、自分で落ち込んでいくのです。考えてみたら結構ご苦労さんな事だと思いませんか?将来の不安をわざわざ今日に持ってくるのですから。将来の不安は将来に置いておけばいいのです。

一生を長い期間でいつも考えていると「苦労の連続」になるのですが、明日以降はよく解らないけれど「今日一日だけは、平穏無事に過ごそう!」と思えば結構過ごせるものです。もし人から(まあ、天でも神様でも仏様でも誰でもいいのですが)、「明日以降は考えなくてもいいから、貴方は今日一日だけ平穏無事に過ごしてもらえませんか?」とお願いされたらどうでしょう。結構多くの人が「今日一日」だけはけんかもせずに、人を恨むことも無く、将来の不安も忘れて平穏無事に過ごせるのではないでしょうか。何てったって、「今日一日」だけでいいのですから。

私は毎朝、「今日一日だけは平穏無事に過ごそう」と自分に言い聞かせます。「今日一日だけなら何とかなるぜ!」ってね。それを毎朝やるのです。一日の終わりには「今日も何とか病気もせず、争うことも無く、死なずに一日を過ごすことができました。ありがとうございました。」って寝る前に感謝します。

そして死ぬまでこれを毎日やったら、結構平穏無事に一生過ごせそうな気がします。

合掌
仏光


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posted by 仏光さん at 20:50| Comment(7) | TrackBack(0) | 人生を楽に過ごす方法

2009年01月21日

弘法大師 空海の教え

人は限りない欲望(よくぼう)、怒(いか)り、むさぼり(いくらでもほしがる)
などのさまざまな「悪い心」の働きが起こり、
それによって、人は迷い苦しみます。

弘法大師はそうした人の心を、花のつぼみにたとえられました。
そんな未完成な私たちの心に対して「仏の心」は欠けるところのない満月であると、弘法大師は言われました。

月は暗闇(くらやみ) の新月から 日々満ちてゆき、満月となります。
つぼみも春になるときれいな花を咲かせます。
つまり人の心は日々の生活の中で汚れていますが、本来は、
清く正しい仏心を、誰もが持ち合わせているし、その心を開く可能性が備(そな)わっているというのです。弘法大師の教えは、
自分自身が本来持っている「仏心」「さとりの世界」を
呼びおこすことなのです。そのためには自分自身の心を深くみつめ、仏のような心で仏のように行い、仏のように語ることが
大切だといいます。また、
より多くの人と、そのような気持ちを高めあって努力していくことを弘法大師は目指しておられるのです。

失う苦しみから逃れる為に、弘法大師空海は次のように
「施 (ほどこ)しの行」を説かれています。

   むさぼり、惜(お)しむ心に勝てず、
   人のために財(ざい)を使うことがなければ
   いつも餓(う)える心に苦しむ。


少しの食物も分かちて、甘(あま)さを割(さ)き与えるものはこの苦しみから脱(のが) れることができる。
        
            (弘法大師空海)  立花敏伸氏HPより

                      
むさぼり惜しむと、結局は自分がさみしく苦しむだけですね。私は社会人になったころ、「はたらく」という言葉は「端(はた)を楽にさせる」と言うことだよと教わったことがあります。自分のためだけではなく、周りにいる家族や同僚を楽にさせるために自分が「働く」のです。自分が一生懸命働くことは周りに対する労働力の布施です。禅の修行に入った今は心から「なるほどなあ」と思えます。一生懸命「はたらき」ましょうや。

仏光



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posted by 仏光さん at 14:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 人生を楽に過ごす方法

2009年01月19日

人の幸せを喜ぶ

私は人が幸せそうにしているのを見るのが大好きです。こっちまで幸せな気分になるのですが、人が幸せそうにしていると妬んだり嫉妬したりする気分になる人が結構居られます。だから日本では「出る杭は打たれる」という言葉もあります。

勿論なかには「こんな大きな家に住んでいるんだぞ」とか「こんな立派な肩書きが有るんだぞ」とさりげなく見せ付ける人も居ますが、それでも私は「それは良かったですね。よく頑張りましたね」と喜んであげることにしています。なぜなら、その人が大きな家に住んでいたり、立派な肩書きが有ることと、私の人生には全く何の関係もないからです。見て欲しいから誇示されるのですから「ハイハイなるほどそうですね」と心から見てあげたらいいのです。

ところが世の中には、自分の利害とは何の関係も無いのに「人が得をするのを見ているのは嫌だ」と思う人が案外多いです。「人が得をしているのなら自分も得をしたい。」「自分が損をしたら人にも損して欲しい。」と思うのですね。

これは一生自分が幸せになれないから、今すぐやめられたほうが良いです。地球上には60億人以上の人が居ますから、人と比べていても全くきりが無いのです。

今の世の中は、生まれたときから親から、学校から、社会から人と競い合うことを学びます。人と競い合い、打ち勝ち、弱ければ努力をし、それを「向上心だ」とか「自己啓発だ」と呼びながら人から抜きん出る事を幼い時から強要されるのです。受験戦争を勝ち抜き、多数の応募から就職に競り勝って、職場では同期と競い合い何としても「勝ち組」と呼ばれているグループに所属したいと思うのです。これは赤ん坊の時から教育されるわけですから潜在意識に深く刷り込まれるので本人は無意識の中で、勝てないと悩んだり、ひねくれたり、落ち込んだりするのです。勝たなければならないプレッシャーからうつになる人も居ます。そして勝った人はその「勝ち」を皆から賞賛されたいと思ってさりげなく見せ付けたり、立派な家に招待したりします。世の中の多くの人がこのようなことに一生を費やすのです。

仏教では「与楽抜苦」という教えがあります。「人に楽を与えて、人の苦しみを取ってあげなさい」と教えているのです。自分の利得など一言も言ってはいません。「そんな悠長なことをしていたら人に負けてしまう!」と言った人も居ましたが、私は自分を誰とも比べないのでもともと勝ち負けというものが存在しません。こんな気楽なこともありません。

自分ができる範囲で人の「苦」を取って上げて、人が喜んでくれることをするのです。こういう生き方をしていると、本当に毎日幸せな気持ちで過ごすことができます。そして結果として人から与えてもらうことも多くなります。だから食いっぱぐれることもありません。リターンを期待するのではなく、真心で一生懸命自分が今しなければならないことをしていると、そういうことが不思議に起こります。

ヒマラヤのブータンという国は仏教国で他の文化を極力入れないようにしています。日本より物質的には全く恵まれてはいないのですが、ある国連機関が「幸せ度」の調査をしたところ国民の95%が「自分は幸せである」と感じているとの事です。物質的に何十倍、何百倍も恵まれている日本で同じような調査をしたらどんな結果になるでしょう?

幸せな国を作るのには、子供の時から「向上心をもって努力し、人に打ち勝ち、人生の勝者となるのだ!」と家や学校で教えるよりは「自分のできる範囲で精一杯人に楽を与えて、人の苦しみを取ってあげなさい」と教える方が断然近道のようです。

仏光


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posted by 仏光さん at 22:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 人生を楽に過ごす方法

2009年01月18日

思い通りにならない人生に疲れたら

●相手を丸ごと認める
目の前の人が、自分の考え、生き方、価値観とは違うということを認めること。
それを学びに生まれてきている。例えば妻と夫がお互いに全然違うということを
認識すると、喧嘩をしなくなる。わかり合おうとか、説得して理解をして
もらおうとか、思わないほうがいいようです。相手を丸ごと認める と、
お互いにラクになれるのです。
悩み、苦しみ、苦悩、煩悩とは、何かを自分の思い通りにしようとした瞬間に生まれるのです。
そして、その思いが強ければ強いほど、その強さと同じ分だけ、痛みが
自分の胸に突き刺さるようになっています。「思い」がなければ、どこにも、
突き刺さりません。「思い」がある人ほど、心が「重い」。

●目の前のこと・人・ものを大切に
結婚運がない、就職が決まらない、末期がんで余命3ヶ月・・・・
この質問に対して、私はすべて同じことを言いました。
「今、自分が置かれている状況がどうであるかということに、感想を持つ必要はないし、
評価、評論はいらない。今、自分がやるべきことというのは、自分の目の前にいる人を
大事にすることです。やるべきことがあったら、それをやることであって、結婚も就職も死も、
自分の目の前にないのだから、考えなくてよいのではありませんか」

3ヶ月後に死ぬということに、関心を持たなくていいのです。そんなことは、
あなたには関係がない。今すべきことは、目の前のこと、人、ものを
大事にするだけ。ガンであと3ヶ月の命、と宣告されたら、それをどうやって
半年、一年に延ばそうかと思うのではなくて、その3ヶ月の間に、
「どれだけ人に喜ばれたか」ということを、足跡として残していくほうがいいと
思います。「喜ばれること」は、自分が「喜びを感ずる」こととイコールです。
ガンは余命幾月というのがわかりますから、「神様、死ぬ時期を教えてくださってありがとう」
と感謝することもできます。ある医療機関の報告ですが、ガンで余命3ヶ月と宣告されてから、
奇跡的にがん細胞が消滅して治った人たちの共通項と、治らずにそのまま死んでしまった
人たちの共通項というものがあるそうです。

前者は、「がんをどう治すか」ではなくて「残された3ヶ月という時間をどう生きるか」に
考えを切り替えた人たちです。余命3ヶ月と言われて、その3ヶ月を、自分のやりたいこと、
例えば絵とか、俳句をつくって遺そうとか、その3ヶ月間の日記を書いて、同じような境遇の
人を勇気づけるようなものを遺していこうとか、「自分の生きている時間をどうするか」に
考え方を切り替えた人が、ガン細胞を体の中から消滅させるということがあったらしいのです。
そして、その生き残った元がん患者さんたちは、
「もう何も人生で心配することはなくなった」と全員がおっしゃいました。
余命3ヶ月といわれた時の状態で毎日を過ごしているので、日々の一瞬一瞬を楽しんで
生きているので、残された余命がどれくらいかということは、
もう関係がなくなり、とても幸せを感じて生きているとのことでした。

立花敏伸氏HPより
posted by 仏光さん at 19:48| Comment(10) | TrackBack(0) | 人生を楽に過ごす方法

2009年01月15日

安楽は苦しみ 苦しみは安楽

釈迦は説かれる
人々が 「安楽」 であると称するものを、諸々の聖者は 「苦しみ」 であるという。
人々が 「苦しみ」 であると称するものを、聖者は 「安楽」 であると知る、
解し難き真理を見よ、無智なる人々はここに迷っている。

それを解るだけ、あげてみよう。
繁栄とは、もらうことではなく与えること。たくさん良きものを与えた人は、
たくさん与え返されて栄える。たくさんのお金はありすぎると、人は減ることを恐れ始め、
その恐れによって苦が生じ始める。たくさんの食事、おいしい食事は、
食べすぎて胃を壊し、ガンのもととなり病を得る。どんなことも手を抜き、楽をすると、
手を抜き、楽をした分、あとで二倍の手間を要して苦しむ。
安楽におぼれると肥り始め、さまざまな病を呼びよせる。
旨いものは大体酸性食品であり、体の疲れと、目覚めの悪さを引きつける。

車や、パソコンや、計算機は安楽な分、歩くことが出来なくなり、
漢字が書けなくなり、足腰が弱くなって糖尿病を招く。
安楽な分、やがて苦しむことになる。
このように安楽と思われたものは、やがて苦のもととなる。
白米は食べるにおいしいが、玄米は、今では健康のもとである。

最初は苦で始まる登山も、頂きに立つと爽快感にかわる。

貧しき新婚家庭も苦ではなく、貧しさも 楽しき苦労 にかわる。
苦い薬や苦い青野菜汁は元気のもととなる。一人歩くは苦しみではなく、
自由でゆったりとして気がとても楽である。 お金は苦 であり、
稼ぎ続けるのは大変である。トラブルは苦であるが、学ぶことも多い。
少ない食事は苦ではなく、腹八分で身も軽く丁度良い。

しかし、ジャリ道を努力して抜ければ、
釈迦のいわれる 安楽な舗装道路に入ることが出来る。

北川八郎氏著 ブッダのことば「百言百話」より

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風流な人

風流な人
(迷ったときは動かない)

(小林正観著 幸せの宇宙構造より引用)

よくいろんな人に質問をされますが、
「こういう場合にはどうしたらいいだろうか。
今こういう状態なのだけれど、やった方がいいだろうか。
やらないほうがいいだろうか」というようなことです。そのようなとき、
私はいつも答えます「風が吹いてますか、川が流れていますか」と。
風が吹いているとか川が流れているというのは、自分の好みとは
関係なく、「それはあなたがやった方がいいですよ」と言うように
風が吹いているか、あるいは、川が流れて自分をそのように押し流して
くれているか、という意味です。もし、自分の意志とは関係なく、
そういう方向性が流れてないという場合には、新しいことを
( 自分がやりたいうと思ったことでも ) なるべくやらない方がよいよう
に思います。逆に、なんとなくそちらの方に流されている、あるいは、
やる羽目になっているようだ、と言う場合にはやった方がよいと
思います。そのひとつひとつのことについて自分の好きだ、嫌いだ
という自我をなくすこと、それが、神や仏のメッセージを聞くことの
ような気がします。それに従ってやっていくことが、人生を楽にし、
楽しくするようです。そういう人を私は「風流な人」と呼ぶことに
しました。「私」の好き嫌いでものを選ばず、社会的に、宇宙的に、
ある方向を指し示されていると感じた場合に、是非そちらに
足を踏み入れてみてください。大変楽しい人生が展開するはずです。

posted by 仏光さん at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生を楽に過ごす方法

2009年01月06日

人生を楽に過ごす方法(当たり前の思想)

当たり前の思想

人生が楽になる方法・幸せになる方法として、「当たり前の思想」というものがある。
仮に、「晴れるのが当たり前だ」というふうに考えている人が、毎日天気予報を見るとすると、 曇りだと「つまらない、嫌だ」と思い、雨が降ったら「もっと嫌だ、とっても嫌だ」
という レベルになると思います。
逆に、雨が当たり前だと考えている人には、曇りがちょっと嬉しく、
晴れたときにはものすごく嬉しい、ということになります。

すべて自分の目の前のことが 思いどおりにならなければ嫌だ と
思っている人は、「嫌だ」か、当たり前だ」しか来ないわけです。
実現することが当たり前であり、実現しないことが
嫌なわけですから、「当たり前」か「嫌だ」の二つしかありません。
思いどおりにならなければ嫌だと思っている人は、常に 「当たり前」 と 「嫌だ」 の
二つしか待っているものはないのです。

逆に、思い通りにならなくて当たり前 と思っている人は、思いどおりになったり
思いがかなったりしたときには、
それが「嬉しい、楽しい、有り難い」ということになります。
「思いどおりにならなくて当たり前。だけど叶ってくれたら嬉しいな」と思っている人には、
ゼロか 「嬉しい、楽しい、幸せ」 しかやって来ません。

自分の思ったことが叶うことが当たり前ではなく、叶わないことの方が当たり前であり、
叶ったときには有難いし感謝できる。という心の置きようが実現できたときには、
喜べることが増えて、人生がとても楽しく明るいものになります。

何が当たり前で何が嬉しくて、何が有難いのか。この三つの心の置き所というのをよく
考えてみてください。晴れることが当たり前であったならば、
曇りや雨はつらいものになり、
雨が当たり前ならば、曇りや晴れることはとても嬉しいことであり、感謝になる。

立花敏伸HP 小林正観氏著「ただしい人からたのしい人へ」より



posted by 仏光さん at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生を楽に過ごす方法