2009年04月01日

やはり人生は修行かな

日々生活していると、嫌なこと、苦しいこと、悲しいことがやはり起こります。私は以前、本当の幸せとは何だろうと考えに考えたことがあります。それで禅の道に入ったわけですが、その頃の自分は本当に苦しんでいました。

そして修行をしていく中で、本当の幸せとは「絶対的な安心」なんだと気づきました。では、絶対的な安心とは何でしょう。お金とか地位とかあれば絶対的な安心でしょうか?今なら公務員の人達のように仕事を失う心配がないのが絶対的な安心でしょうか?自分や家族が健康であれば絶対的な安心でしょうか?

今、自分に、お金、地位、仕事の保証、健康などが無い人は、それが手に入ると安心と思うでしょう。でも、そうでは無いのです。それは、お金持ちが絶対的な安心をしているかというと、それとはかけ離れた人生を送っている人が多いです。お金持ちはお金を失う不安の中に生きています。日本全国の公務員の人が絶対的な安心を持って生きていますなんて事もないですよね。それぞれ悩みを持って生きています。

もし、幸せが「絶対的な安心」であるならば、それは何処にあるのでしょう?ここが、私が一番判らなかった所です。私は以前、お金も地位もありましたが、全然安心ではなかったです。だから、そこには無いことはよく判っている。絶対的な安心が何処に有るのか判らないとこの人生で本当に「幸せ」にはなれないぞ。幸せな気分の時もあれば不幸せな気分の時もあって、一生心を右往左往して生きていかねばならない。「こりゃたまらんな〜。」と思ったわけです。

禅の修行をしていく中で、一つ分かった事は「幸せ」とか「安心」とかは自分の心の「状態」の中にあって、財産、地位、仕事など自分の置かれている「状況」の中には無いのです。

今の私に判っている事は、失業や病気など、どんな苦難が襲ってきても、それにひるまず、ぶち当たっていく時の心の状態。一日がまあ無事に過ごせればそれに感謝し、周りに感謝する時の心の状態。困っている人がいたらできる範囲で助ける時の心の状態。「幸せ」「安心」とはこのような積極的な心の状態の中に存在するということです。一言で言えば「平常心」です。一日24時間一瞬も怠ることなくこの心の状態が保てたらそれが「絶対的な安心」ですね。それができるのが禅の「老師」ですよ。目の前にいますから、見ていて「すごいな〜。」とつくづく思います。

いくら禅の修行をしていても、辛いことがあれば逃げたくなるし、理不尽なことがあれば腹も立つ。以前より相当ましになっているかもしれないけど、まだまだ修行は続きます。だって、私も生きている間に一度でもいいから「絶対的な安心」を経験してみたいと思いますから。長い道に見えるけど、人類の歴史の中で禅の修行がどうもそれを獲るための一番の近道のようです。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 07:32| Comment(0) | 人生を楽に過ごす方法
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