2009年02月22日

お前も「ろくなもんじゃねえ」ことを知れ

★ 人は、落ち込んだり有頂天になったり、中々心のコントロールができない。
この気分の起伏というものを何とかできないものだろうか ──。

● 解決策は簡単です。
落ち込んでしまうのは、自分が「大したものだ」と思っているのに、さほどの
評価を得られなかったからです。逆に有頂天になるのは、自分が「大したものだ」
と思っているところに「大したものだ」「素晴らしい」と賞賛を浴びるからです。

どちらも同じ心の状態がそういう心の起伏をつくっているということになります。
その心の状態とは、「自分が大したものである」「ちゃんとしたものである」と思う
ところから始まっています。

自分が「大したものじゃない」「ろくなものじゃない」「ちゃんとしたものじゃない」
と心を定めることができたら、人間はとても楽に生きることができます。
人間はもともと不完全で不十分で未熟。やること為す事完全にはできず、
ミスばかり。そういうものの積み重ねの結果として人間があるのだと思います。
「たいしたものじゃない」「ろくなものじゃない」「ちゃんとしたものじゃない」
と思うことができたら、非難されても否定的なことを言われても
落ち込むことがなくなるでしょう。

落ち込む人、同時に有頂天になっている人というのは、
すべて「自分の力がなかなかのものである」と思っている
ところからキテイルに思います。もしかすると、
その心は驕(おご)り、高ぶり、傲慢(ごうまん)というものに近いものかもしれません。

本当に謙虚になると、落ち込むことも
有頂天になることもなくなるような気がします。

小林正観氏著「ただしい人からたのしい人へ」より


★ もしも愚者が、自ら愚であると考えれば、すなわち賢者である。
  愚者でありながら、しかも自ら賢者だと思う者こそ愚者である。  (釈迦)

★ 「我必ずしも聖(ひじり)に非ず。彼必ずしも愚に非ず。
  是れ共に凡夫(ぼんぷ)なり」

と聖徳太子はいわれました。人間の争う原因は常に、『相手より自分のほうが正しい』
『相手より自分のほうがすぐれている』という発想なのである
自分が相手の立場だったらどうするだろうかと考えた時、そこには争いも
起こらずまた、怒りも起こらない。そしてそのためには、

『自分が必ずしも相手より優れているわけでもなければ、正しいわけでもない』
という反省と、自分は愚かである という自覚が 前提としてなくてはならない。
という教えである。立花敏伸氏HPより

私も昔は傲慢で本当に「ろくなもんじゃねえ」と言われても仕方が無い人間でした。財力があり、社会的地位があり、人を無意識のうちに見下して、本当にろくなものじゃなかったです。今から思うと心からに恥ずかしいですね。でも、今完全に「自分は大したものだ!」という思いがなくなったわけではないと思うのです。調子が良くなるとすぐに慢心したりしているのではないかと。

人と比べず、自分は「大したものじゃねえ!」と言い聞かせ、言い聞かせ、実践して生きて行きたいものです。その時に自分の「自我」が少なくなっているのでしょうね。道は長いけど一歩一歩です。

合掌
仏光
ランキング参加中。クリックをお願いします↓
仏光さんのバナー

コメントを送りたい方は下のCommentをクリックしてください。↓


posted by 仏光さん at 18:21| Comment(2) | 人生を楽に過ごす方法
この記事へのコメント

 仏光さん・・・たいしたもんじゃないと
 自分に言ったら ほんと 楽になりますね

 言葉はほんと すごい力があります
 自分本位に考えず 伝える相手の状況や
 場などを 出来るだけ見て 話すように
 したいと思います

 なかなか 思い通りにいかない毎日に
 焦ってばかりですが とにかく続けること

 それが出来るわたしに感謝です

 ありがとうございます
Posted by さらさら at 2009年02月23日 13:51
心に起伏が多い人はどこかで「自分はたいしたもんだ」と思っていますよね。それが、苦しみの元です。「たいしたもんだ」と思っているのに、現実がたいしたものと思えない時に苦しくなるのです。
みんな未熟で不完全じゃないですか。完全な人間なんて居やしないですよ。だから、みんな五十歩百歩。宇宙から見ればどんぐりの背比べです。だから、少々良くても嬉しがる事はないし悪くても落ち込むことは無いのです。
貴方が言うように続けることです。信じれば力になっていきます。大丈夫ですよ!

合掌
仏光
Posted by 仏光 at 2009年02月23日 23:29
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: