2009年02月02日

「人間本来無一物」

禅ではよく「人間本来無一物」という言葉が出てきます。「お前が生まれた時は、裸一貫で何も持ってこなかっただろう」という意味です。
私たちは毎日自分の損得で心を右往左往させていることが多いです。遺産問題で身内が骨肉の争いをするのはよく見たり聞いたりする話です。
しかし、よく考えると本当に自分の物って有るのでしょうか?自分には家がある。車がある。体がある。心がある。と普通に思っているのですが、何か人生で破産など重大な事件が起こると、家や財産は無くなってしまいます。自分が悪くなかっても、取引先が倒産したり、不渡り手形をつかまされたりする事はよく有ることです。

自分の体にしても事故に遭ったり、病気で不自由なることも世の中では日常茶飯事に起こっています。これは、私にもいつ起こってもおかしくは無いのです。たまたま、今のところまあ無事に過ごしているだけです。

この世のもので本当に自分のものがあるとすれば自分の思い通りになりそうなものなのに、自分の体ですら自分の思い通りにならないのです。

自分のものと思っていても、もっと思い通りにならないのは自分の心です。「もう決して家族には怒りの感情を持たないぞ!」と誓っても何かあると怒りの感情がメラメラ湧いてきます。「もう決して人を恨まないぞ!」と思っても、ハッと気がつくと恨めしく思っていることも多々あります。

要するに自分のものと思っていても自分の思い通りになるものは何一つ無いのです。有るとしても、思った通りになっているように今のところ見えているだけです。いつ何時どうなるのか分からないのです。

なぜなら、これらはみんな借り物なのです。この世に出てきた時に、色々な因縁で自分が借りているのです。じゃあ、誰から借りているのか?私は「天から借りている」と思うようにしています。自分がこの世で自分らしく生きていく小道具として、天が自分に貸してくれたと思うようにしています。

不思議なことにそう思うと、自分の思い通りにならなくてももともと貸していただいているものだから仕方が無いなと思えます。そして、もともと何一つ持たずにこの世に出てきた自分に、無条件で貸していただいたものは大事に使っていこうという気持ちも起こります。もし、何かあって自分から取り上げられても、もともと借りているものですから無くなっても文句を言う筋合いは無いのです。「自分が一生懸命働いて手に入れたものだから、これは自分のものだ!」と思いがちです。しかし、まず、一生懸命働ける体や頭脳、才能をただで貸していただいたお陰で、それを元手にして稼いでいるのです。

こう考えると自分に与えられたものはコップ一つにしてもありがたく思えます。もともと裸一貫で何も持たずに生まれてきたのですから、毎日飢えることなく御飯がいただけて、屋根の下で眠ることができ、大きな病気もせず、それなりに一日が終われば、もうそれだけで感謝ですね。だから朝起きただけで「ありがとうございます」と感謝できます。

よく考えると、自分を周りと見比べて、自分には無いものばかり追いかけている人が多いのではないでしょうか。「人間本来無一物!」を自分のものにすれば、それはもう自分に与えられているものに本当に感謝の念が生まれてきます。それどころか、「もう十分頂いています。ありがとうございます!」とそれまで自分が思っていたよりずっと自分に与えられているものが多かったのだということに気づきます。

「小欲知足」とは足るを知るという意味ですが、それは本当は欲しいけど自分の欲望を抑えろという、我慢の意味ではなく、「人間本来無一物」を自分のものにして、与えられたものに自然に感謝の念が湧いてくるということだと思います。

合掌
仏光
posted by 仏光さん at 23:39| Comment(2) | TrackBack(0) | ありがとう、ありがとう
この記事へのコメント

 ほんとうに 欲ばりで 苦しんでいます

 その 欲で 自分を家族をどんどん

 追い込んでいます

 ほんとうに 感謝できる心で生きたい

 なんとか きょうも 起きれて

 お仕事にいけます

 ありがとうございます

 出かける前に ブログ見て

 深呼吸できました!
Posted by さらさら at 2009年02月03日 08:22
大丈夫、大丈夫。少しづつ進歩していけばいいのです。大丈夫ですよ。焦らないでね。

合掌
仏光
Posted by 仏光 at 2009年02月03日 19:31
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