2009年01月23日

無欲の大欲

道端のアスファルトを突き破って新芽が出ているのをみたことがあるだろう。
アスファルトにぶつかった新芽は、一瞬にしておしつぶされてしまったはずである。
けれども、じわじわと無限小の速度で、無限大の時間をかけて、
新芽が押し出ようとすれば、それが無限大の力となってアスファルトにひびが入り
それが少しずつ割れていき、ほんの小さな隙間からでも、そこから新芽は伸びてくる。
つまり、新芽のように「無限小」の速度でも「無限大」の時間をかけて行動すれば、
そのエネルギーは「無限大」となり、不可能も可能になるのである。

◎ 欲望を捨てれば不可能が可能になる発想法 (正木和三先生著書)
人間には限りない欲望がある。欲に目がくらむといわれるように、
欲望を持っていては、それに とらわれて 創造性などは生まれてこない。
「無欲の大欲」 とは目先の欲望を捨て
自分のすべきことを黙々とこなしていけば、大きな成果が得られることを意味している。
欲望は心の外に捨て、目標 (理想) を心の底にしっかりと置き、一歩一歩確実に、
自分のなすべきことだけを果たしていくことが大切なのである。
目先の欲望に目も心もすべて奪われている間は、実行力も判断力も創造力も、
みな宙に浮いたままである。
お釈迦さまは悟りを開いた時「悟りを得たい」
という欲望があるうちは、心の目は盲目である。

----「修行」とは自分の行ったことが、自分以外の人に幸せを与えることなり------

他の人に幸せを与えるエネルギーが、自分の中にある生命体エネルギーを高め、
自分に還元され人間性が向上していくのである。

自分さえよければいいと他人を不幸にすることが、生命体に負のイメージとなり
蓄積されれば、その人の人間性は向上しないのである。人生は坂道を登るがごとし、
誰しも長い坂道や、何十段もある階段は登る前からうんざりするものであろう。
人生の階段も同じである。
頂上を見ながら登ると「まだか、まだか」と思い、それだけで疲れてしまう。
しかし一歩一歩足元をみつめ堅実に登っていけば、いつの間にか
頂上に達しているものである。頂上ばかり見ている人は
頭だけ高く、ふんぞり返っている。足元だけをみながら、一歩一歩着実に進んでいく人は
頭が低く、自然と高い所へと登っている。昔の人の教えに「道の上にある黒い石を踏むな」
というものがあるが、これも同じである。遠くにある目標は見なくても決まっている。
下を見て、地面の黒い石を踏まぬようにこまやかに観察し、
一歩一歩堅実に歩め、とのことである。

人間は誰しも人生、生き方における 「理想」 を持っているだろう。
その理想を 「目標」 としているならば、欲望 は捨てなさい、ただ絶対に到達しないような
大きな 願望 を持ちなさい。そして忘れなさい。
そうして自分の足元の一歩一歩を確実に歩んでいきなさい。そうすれば自然と目標へと
近づいていく。一歩ずつ確実に進むには「一生懸命」これが大切である。

※ 欲望・希望・願望・陰徳
欲望は目標がなく今の現実を避けており、希望は現実性があり、
願望は明確な目標があり夢を描がいているのです。
夢は希望につながるから悪いことではありませんので大いに持つことです。
しかし欲望は自己満足で自分さえよければと、思っているので個人的な感情だけで、
世間から見てもあまり評価されません。「陰徳」とは、かくれた徳である。
人にみせびらかさない善(よ)い行い のことをいう。自分はこういう善いことをしたなどと
得意がり、人にみせびらかしては、たとえそれが善いおこないであっても、
決して陰徳とはいえないのである。どんな小さなことでもよい、
人から喜んでもらえるようなことをしてただ、もう、うれしくてならないのが陰徳なのである。

 若いときに、血のにじむような努力をし、陰徳を積み
 多くの人々に幸福を与え、自分の利益や 欲望を捨て去って はじ めて
 この世に不可能はなくなるということなのである。
立花敏伸氏HPより

禅ではよく足元を照らせという話があります。暗い夜道に、ずっと先には何があるのだろうと一生懸命先を照らしても、その分足元が暗くなり石に躓いて転んでしまいます。

自分が不安なものだから、先先と見たくなるものですがぐっと我慢して今目の前にあること、今しなければいけないこと、今日会う人を大事にすることが先決でしょう。明日生きている保証は誰にも無いのです。今日の自分の行動が人に喜んでもらえるなら、こんなに幸せな日はありません。同じ一日、自分の欲に使うより、人に喜んでもらうために使いたいものです。

合掌
仏光


posted by 仏光さん at 15:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 空の心
この記事へのコメント
 
 きょうも仏光さんの お言葉で 自分の

 愚かさにきずいた次第です

 怪我をして 着替えが不自由な父の

  お世話するのがあたりまえの

  態度に腹を立ててしまったり 

 人のために 働ける幸せを感じれなくって

 あーあ きょうも やっちゃったと

 おちこんでしまってます

 こんな わたしですが 仏光さんのブログを

 読むと 心を入れ替えて 生きようと

 思えます・・・だって わたしも人の喜ぶ

 顔が大好きですもの!


 
 

 

  

 

 
Posted by さらさら at 2009年01月23日 21:20
色々気づけたのだから、良いではないですか。今までのコメントを見ていると貴方は本来とっても素直な人だと思いますよ。

さらさらさんのお陰で私のブログ書きにも精が出ます。こうして一生懸命見てくれている人がいると思うと「自分も頑張らなくっちゃ」と思います。

そしてこのブログを見てくれている人の数はどんどん増えています。コメントは書かなくてもそれぞれ気づくことがあるから見てくれるんだと思いますよ。

貴方は、知らないところで既に多くの人を救っているのかもしれませんね。

合掌
仏光
Posted by 仏光 at 2009年01月24日 20:02
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