2009年01月22日

お釈迦さまと蓮の花

泥水が濃ければ濃いほど、はすの花は大輪の花を咲かせます。
泥水とは人生におきかえれば、つらいこと、悲しいこと、大変なことです。
ほとんど泥水ではなく、真水に近いようなきれいな水である場合、
蓮の花は本当に小さな花しか咲かせません。
大輪の花を咲かせるためには、ものすごく汚い泥水が必要です。
蓮の花は泥水の中からしか立ち上がってこないのです。


蓮の花とは、まさに人生の中で花を咲かせること、
そして、その花の中に実があるのが 「悟り」 です。
つらく悲しい思いがなければ、人間は悟ることがないのだ、
ということをお釈迦さまは教えたかったのだと思います。

人は 「悟る」 ことが出来れば、迷い苦しみはなくなり      
まわりのこと、人、もの、現象が、
みんな 「幸せに思える」 ようになります。

★ お釈迦さま は うつくしい花を咲かせるためには泥は必要であるということを
伝えたかったようです。私たちはいろいろな悲しみ・つらさ・大変なことを経験しない
限り、悟ることはできないという教えです。そんな苦難なときが来たら、

「ああ、この結果として私は大きな悟りに、美しい世界に導かれていくのだな」

と思うことが大切です。そう思えれば、自分自身にとってものすごく嬉しく楽しく、
幸せで素晴らしいこと、そして、有難いことだと気が付いてきます。

それをお釈迦様は後世の人に伝えたかったようです。
その象徴として、蓮の花が台座に選ばれました。
※ 「悟り」 とは受け入れること。受け入れるためには3秒あればよい。

1秒目、過去のすべてを受け入れること。
2秒目、現在のすべてを受け入れること。
3秒目、未来のすべてを受け入れること。

「こうありたい」 あるいは 「こうあってはならない」 と思うことは、
そのどちらも執着ということにほかなりません。執着していることが、
自分にとってのストレスになり、ストレスが体を壊していくようです。

※ 悟りを開くとは「仏」すなわち「真理に目覚めた人」に成ることをいいます。
心の迷いが解けて、真理を会得することの意。
悟りの世界=迷いのない心の安住の地。

悲しい・つらいことを否定せず、悟るために必要なもの として受け止めると、
この経験が、心を豊か にして、いつでも幸せを感じ取る事が出来ます。
人の悲しみや苦労も解る 豊かな心 になります。 

「心が豊かな人は、いつでも幸せです。」  立花敏伸氏HPより



私も、本当に死ぬほどつらい思いをして、苦しかったからこそ禅との縁ができ、そこで仏道に触れて今幸せに毎日を過ごさせてもらっていると思います。辛い思いをしなかったら絶対坐禅なんかしなかったと思うし、こんな考え、ものの見方、要するに仏道の智慧などに触れることもなかったでしょう。そして今でも自分の感情に引きずられるままに、毎日右往左往していたと思います。

面白いことに、今から思うと「あの頃の自分は、なぜあんな程度のことで死ぬほど辛かったんだろう?」と不思議に思います。その場その場では「これほど辛いことがあろうか?」「これほど悲しいことがあろうか?」と思っていてもその中にきっと自分がより成長するための種が巧妙に仕組まれているのです。そしてあらゆる困難に対する答えは、既に自分の中にちゃんと用意してあるのだと思います。それに気づくためには、やはり先人の正しい教えを見聞きし、そして少しづつでも良いから実践していくことが近道ですね。

「この世の地獄」と思って這いまわっている時でも、心の中に仕組まれた善き種が成長したら、きっと大きい綺麗な蓮の花が皆さんの心の中に咲くのでしょうね。

合掌
仏光


ランキング参加中。クリックをお願いします↓
仏光さんのバナー




posted by 仏光さん at 12:08| Comment(1) | TrackBack(0) | お釈迦様
この記事へのコメント
仏光さんのブログに出会えたことに、感謝です。
半年前、私にとっては、一大事件がおこり、
心を穏やかにする方法をあさっていました。
それが、きっかけで、お邪魔するようになりました。
半年、いろいろ勉強させていだいていますが、
今も、もがき苦しんでいます。
執着と自我で心も身体もヘロヘロです。
でも、少しづつですが、本当に少しづつですが、
前向きになれそうです。
これからも、心の支えにさせて下さい。
Posted by at 2013年06月27日 00:01
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/25775102

この記事へのトラックバック