2009年01月07日

苦しみの元は自分の自我

野球の試合で、あなたがピッチャーをつとめることになったとします。

最終回の裏、同点でツーアウト満塁。しかもツーストライク、スリーボールです。

「もし、フォアボールを出してしまったらどうしよう」
「落ち着け、自分ならやれる」
「恥はかきたくない。いや、そんなことはどうでもいい。
ベストを尽くせばいいじゃないか」・・・・・・・

次々と心に雑念がわいてきます。
これでは、ボールのコントロールを云々(うんぬん)する前に、
心のコントロールができなくなってしまいます。

このように、わたしたちが悩むのは、
失敗と成功、名誉と不名誉、損と得、苦と楽、勝ちと負け・・・・。

二つの感情や考えの間で、心が一方へ行ったり、反対へ行ったりする。
あるいは、一方だけに執着してしまうからです。

誰だって、自分のことを良く思われたい。得をしたい。いやな目に遭(あ)いたくない。
と、考えるものです。

この「自分は」「自分だけは」という気持ちこそ、
相対する感情や、考えの間をうろつかせたり、
一方へ固執(こしつ)させたりして自己を苦しめる犯人なのです。

これを「自我」と呼びたいと思います。言い換えると、
わたしたちが普通、心と呼んでいるのは、
この「自我」にほかなりません。

そして、釈迦は、
苦しみの根源は「欲望と執着」であると説かれています。

人間の欲には果てしがない。
それはちょうど塩水を飲む者が、
いっこうに渇(かわ)きが
とまらないのに似ている。
彼はいつまでたっても
満足することがなく、
渇きはますます
強くなるばかりである。


                                      釈迦 

posted by 仏光さん at 14:43| Comment(0) | TrackBack(1) | 自我
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Excerpt: Tm@彟䉟薗、
Weblog: 桴瑰㨯⽷睷⹶慬牡猭灬慧攮湥琯浡砭瑥獴⵵汴牡
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