2009年04月17日

ブログを引っ越します。

「禅僧 仏光さんの心の相談室」をご愛読頂きありがとうございます。

ブログが下記のURLへ移転しました。
ブックマークなどの再登録をお手数ですが、お願い致します。



引き続き「仏光さんの心の相談室」を宜しくお願い致します。
posted by 仏光さん at 11:01| Comment(1) | お知らせ

2009年04月16日

閔子騫(びんしけん)

50番札所 繁多寺 にて   閔子騫(びんしけん)
閔子騫(びんしけん)は孔子の弟子で母親に仕えて至考であった人。
閔子騫(びんしけん)は幼くして母を亡くした。父と後の妻とその二人の連れ子と
5人暮らしとなった。後の妻はわが子を深く愛して継子(ままこ)の閔子騫(びんしけん)を憎み、
寒い冬にもわが子にはあたたかい綿入れを着せたのに、継子には蘆(あし)の穂を入れたものを
着せた。父は見るに見かねて、後の妻に離縁を迫った。その時、閔子騫(びんしけん)は
「継母が去ってしまうと3人の子は寒さに震える。今私が寒さを我慢すれば
弟二人はあたたかだろう」と父を諌(いさ)めたので、継母も反省し、隔てなく慈(いつ)くしみ、
もとの母と同じようになったという物語。継子物語は、古今東西の物語にたくさん出てくる。
その物語の円満解決は家族の語らいと、私心を調和する努力かと思われる。

● あなたがもし、末期がんで、「余命半年です」と医師からいわれたら・・・。
あなたが、医師から「アルツハイマーです。これからどんどん記憶がなくなります」といわれても、
今まで生きられたことを感謝し、残された人生を感謝の心で生き抜くことができますか?

● 弘法大師は
「きれいに咲いたあの花も時がくれば散っていく。人も同じ草でも木でもこの世の中に
変らないものは何一つとない。桜の花のように咲くときにはうんと美しく咲き
おいしい実をならせて人の為になり役目がすめばきれいに散っていく
人の世もこうでありたいものだ。いつでもできるだけのことを力いっぱいやり
人のため世のためにつくし、どんなことがおきても心配のないようにしっかりとしておく
そうすれば歳をとって、花のように散っていくことも少しも苦しみにはならないのだ」
ということを我々に教えてくれています。

★望みを一つだけ叶えてくれるとしたらあなたは何を望みますか
・・・・・・私はどんなことにも「感謝できる心」を与えて欲しいです。(心を育てる会会報より)

何事があっても感謝できる心を育てるのが禅の修行です。私は以前、もうお亡くなりになった入門当時の老師に「愚痴や不平不満で生きるのではない!感謝報恩の心で生きよ!」ときつく戒められたことがあります。その時は「でも世間で生きていたら愚痴の一つも言いたくなるよ!」と思いましたが、修行が進んでくると老師が言っていた事がよく判るようになりました。「なるほどなあ」と思います。だから今の自分に愚痴や不満が無い訳ではありませんが、やはり減りましたね。要するに自我が減ったのでしょうね。その分幸せになったと思いますよ。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 21:22| Comment(0) | ありがとう、ありがとう

2009年04月15日

青虫は蝶になれるか

発心(ほっしん) ― 悟りを求める心を起こすこと
(人間は、なまけものです。だけどやる気のスイッチは自分以外には押せません)

野原に二匹の青虫がいました。
一匹は空を飛び回るアゲハチョウを見上げて、

自分も早くあんなになりたいと、一生懸命葉っぱを食べました。

もう一匹は言いました。

「バカだなぁ。そんなまずい葉っぱを一生懸命食べなくたって、
青虫はそのうちアゲハチョウになれるんだよ。」

一匹は毎日葉っぱを食べ続け、もう一匹はお腹がすいたときに、
自分の好きな葉っぱをすこしだけ食べて、あとは遊んでばかりいました。
何日かたった ある晴れた日、あの野原に やせ細った一匹の青虫がいました。

「なぜぼくはアゲハチョウになれないの ?」 

小さい声でつぶやく青虫の上を、大きなアゲハチョウがとんでいきました。

● 精進(しょうじん)― 自分の仕事を怠らずに全力で続けていくこと
  (やる気のスイッチを押しても、全自動ではありません。続けましょう)


自分からはじめなくては、だれもはじめてくれません。
つづけなければ、どんなことも身につかないですね。


誰も代わることのできない、自分の人生なのです。
どんな人生にしたいですか?
どうするかは自分の心がけ次第です。
たった一度の人生です。くりかえすことのない「今」を「生かされて」いるのです。

この世は思い通りにならないことばかりで、くじけそうになることもあるでしょう。
それでもやる気を出していきましょう。
なまけぐせも限度を越すと、人間は人間としての生き方をふみはずしてしまいます。(立花敏伸氏HPより)

みんなの毎日が、そして人生が実り多いものでありますように。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 19:50| Comment(5) | 真剣に一日生きる

2009年04月14日

受け入れる

イライラしたり、不安になったり、怒ったり、悲しくなったり、マイナスの感情が出る時は自分がその状況を受け入れられない時です。受け入れられない状況とは、自分の思うようになっていない状況です。受け入れればそのような感情は湧いてきません。でも、受け入れるということと諦めるということは全く本質が違います。

世の中には受け入れるということを諦める、妥協すると解釈する人もいます。でも、それではどこか納得がいかない、釈然としない気持ちが残るでしょう。それはマイナスの感情です。

では、受け入れるということはどういうことでしょうか。それは、現状を冷静に見つめるということです。人生では自分の思うようにならないことがいっぱいあります。しかし、それが当たり前なのです。別に諦めるわけでもなく妥協するわけでもなく、現状を冷静に見て何処が間違っていてこのような結果になったのか振り返ることです。そしてその部分を直してもう一度やり直すのです。

普通なら「もうだめだ」とか「もう嫌だ」とか感情が先行してしまうのですが、間違っていた部分を直してもう一度やり直す、または改善する事は感情ではなく作業なのです。要するに感情の問題を作業にすり替えててしまうのですね。そこには感情が入る余地はありません。ただ、目的を達成するという作業があるだけです。

「もうこれ以上どうしようもない」と思ってしまい、やけになってもっと状況を悪くしたり、落ち込んだり、それが続くとうつになったりしますね。でも、見方を変えれば結構道は開けます。元々これ以上どうしようもないと思うこと自体自分の思い込みなのです。自分の思い込みで人生を台無しにするのは本当にもったいないことですね。

嫌なことがあれば、作業にすり替えてしまいましょう。状況変更作業です。心さえ乱れなければ世の中解決できない問題は、まあ無いでしょうね。どうせ寿命が来たら私達は死ぬのですから、わざわざ人生を難しくする必要はありませんよ。死ぬまで生きるのも一つの作業と言えなくもありません。それなら、その作業一つ一つを楽しみましょう。プラモデルも作る作業があるから面白いのです。編み物を編む作業が有るから面白いのです。最初から完成品を与えられても、すぐに飽きてしまうでしょう。

納得がいく人生を創る作業は山あり谷あり。「晴れてよし、曇ってもよし富士の山。元の姿は変わらざりけり」です。富士山は天候で高くなったり低くなったりはしません。「人生晴れた日も、曇った日も自分は自分。そんなことぐらいで右往左往はしないぞ!」と思ってみてはどうでしょうか。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 23:03| Comment(4) | 人生を楽に過ごす方法

2009年04月13日

相手を大事にする

このブログで言葉の大切さを何回も書いてきました。言葉はその人の態度となり、心構えとなり、その人の人生を創って行きます。
今日、私は仕事でアシスタントの募集を開始したのですが多くの人からお電話を頂きました。

もちろんその人達は仕事を求めているわけですから、その人なりに一生懸命良い所を出そうとされます。もちろん私も逆の立場ならそうするでしょう。電話ですからその人の表情はわかりません。言葉だけのコミュニケーションになるわけですが、その人の人となりが会ってもいないのに不思議とわかりますね。

受付アシスタント業務ですから、専門的な知識の話は一切しません。人柄で選ぼうと思っていましたから、「この人はどんな人だろう?」と思いながら話していました。一応電話を頂いた方には皆さん面接をするようにしました。

私が心がけたのはまだ会ってもいない初めて電話をくれた方々に誠意のこ持った言葉で対応することでした。そうすると皆さん安心されるのか色々な質問をしたり、家庭の事情を話してくれたりします。私には余計その人の人柄が判るようになります。

雇う雇わないは面接しないと最終的には判りませんが、私のアシスタントとして良い人だなと思ったのはほんの数人でした。皆さん使っている言葉はほぼ同じような言葉ですが、同じせりふを言ってもこちらは全く違う印象を受けるのです。「何故同じような言葉を使っているのにこんなに違うのだろう?」少し考えてみました。

私が良いなと思った人達は、共通してまず私の事を気遣っているのが判りました。今の世相の中で仕事を探すのは結構大変だとは思います。皆さんこの仕事が欲しいのです。でも、「仕事が欲しい」と自分の都合を思う以上にまずは相手のことを気遣う姿勢が普段から身に染みているのでしょうね。こういう人は多分私のお客さんに対しても同じように気遣ってくれるだろうなと思います。

いくら丁寧な言葉を使っても普段の自分は隠せないものです。よく就職するのに面接マニュアルを読んでいる人がいますが、面接する側にとってはそんなものはすぐに見破れるし、一生懸命マニュアル通りにしようとしている姿は滑稽にすら見えるときもあります。

私は仕事に限らず世の中を生きていく上で「相手を大事にする」心の姿勢が結果的には一番自分を助けるのではないかと思います。私は前にブログで「その日自分が会う人は赤の他人でも大事にする」という話をしましたが、普段からこのような心がけでいると必ず結果的には自分を救うことになるのだなと、今回の募集を通して逆の立場から思いました。皆さんももう一度この事を振り返ってみたらどうでしょう。いつかは自分を救うことになると思いますよ。

合掌
仏光
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2009年04月11日

自燈明、法燈明

これもまた、お釈迦さまが日々、さまざまな場で幾度となく口にされている言葉である。
「自灯明 (じとうみょう) 法灯明 (ほうとうみよう)」 (自帰依・法帰依) の教えといい、
法はいまでいう法律の法ではなく、仏の教え のこと。

そして、続けていわれたのが、 「この世において移ろい変らぬものは何一つない」 という事。
つまり、この世は無常ということだ。だから
「みずからを拠(よ)りどころとし、他を拠(よ)りどころとしてはいけない」といわれたのだ。
そして 「仏の教えを拠(よ)りどころにしなさい」と。

みずからを拠(よ)りどころとするためには、みずからが依(よ)って立たない心構えが必要だ。
といっても 「自分がいちばん」 というわけではないのはもちろんである。
むずかしいことではあるが、地に足をつけ、すくっと立っていたい。

お釈迦さまは 「頼りになるのは自分であるぞ」 と教えられました。
他人を拠り所にしたのでは、その他人から見放されれば、
あるいは、その人がいなくなってしまえば、途方にくれるほかありません。
あくまでも 自分で立ち、自分で歩まなければいけないよ、と諭(さと)されたのです。

法灯明 とは 「法を灯明とし、法を拠(よ)り所としなさい」 という意味です。
自分は何を拠(よ)り所にして生きればいいのか。「法」よりほかはない。
「真理」よりほかにはない。他を拠り所にしてはならないよ、とお教えになったのです。

法 とはお釈迦さまの教えであり、仏の教え、即ち 仏教という真理 を意味します。(立花敏伸氏HPより)

心が弱ると人や他を頼りにしたくなるものです。しかし、それでは頼りにしている人や会社がこけると自分もこけることになります。本来は自分自身を頼りにしなければなりません。それを深く自覚して自分ができる事をこつこつ行うことが大地に足がついた、裸一貫になっても大丈夫な自分を作り上げます。

でも、それだけでは独りよがりになる可能性も有るので、お釈迦様は真理をよりどころにせよと言われたのです。何が真理なのか正しい教えを受けることも大事ですね。私は釈迦の教えがなるほど正しいと思っていますよ。「千里の道も一歩から」まず自分のできる範囲から自燈明、法燈明を始めましょう。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 22:14| Comment(4) | お釈迦様

「善因善果、悪因悪果」

人の昇沈(しょうちん)は 定(さだ)んで 道にあり   (遍照発揮性霊集より)
人が出世するか没落するかは、道理に基づいた生き方をするかどうかで決まる。

昔は、お日さまのことを 「お天道(てんどう)さま」 といっていました。
子供がちょっとでも悪いことをすると、

「お天道さまが見ていますよ。お天道さまに恥ずかしいと思いなさい!」 と叱ったものです。

この人間社会では、人にうそをついたり、人をだましたりすると、
たちまち信用を失ってしまいます。だから私は道理にかなった、
誰もが納得できる行動をしたいものですが、なかなかそうはいきません。
真言宗を興した弘法さんは、天長5年(828)に、日本で最初の庶民のための
「綜芸種智院 (しゅげいちいん)」 という学校を創設されました。
そのとき、つくった校則の中で、こんなことを述べています。

「人が出世するか没落するかは、道理に基づいた生き方をするかどうかで決まる」

この校則は 『遍照発揮性霊集』 という書物の中に残っています。遍照というのは
弘法さんのことです。発揮性霊集とは心情を包み隠さずに書いた詩文などを
集めたもの、という意味です。道理とは天道のことです。
慶応義塾大学を創設した福沢諭吉も、

「天道さま のおきてと申すは、昔むかしその昔より今日の今に至るまで、
少しも間違いあることなし。麦をまけば麦が生え、木の舟は浮き、土の船は沈む。
きまりきったることなれば、人もこれを不思議と思わず。
されば、今善き事をすれば善き事が報い、悪きことをすれば悪きことが報う も、
これまた 天道さまのおきて にて、昔の世から間違いしことなし。然るに天道知らずの
馬鹿者が、目前の利益に迷って、天のおきてを恐れず、悪事を働いて幸いを求めんと
するものあり。この土の舟に乗りて海を渡らんとするに同じ。こんなことで
天道さまが、だまさるべきや。悪事をまけば、悪事が生えるぞ。壁に耳あり、
ふすまに目あり。悪事をなして罪を逃れんとするなかれ」と書き残しています。

弘法さんも福沢さんも、こんなことを書かれるということは、平安時代にも
明治時代にも、ものの道理をわきまえない大ばかものがずいぶんいたのでしょう。
善因善果、悪因悪果(因果の道理)は、仏教の根幹 であり、運命のしくみである。

                   (高野山真言宗 大阿闍梨 大栗道榮著「空海の言葉より引用」)

● 「善因善果、悪因悪果」とは、まとめて言うと、
「幸福という運命は、善い行いが生み出したものであり、
不幸や災難という運命は、悪い行いが引き起こしたものである。善いのも悪いのも、
自分の運命のすべては、自分の蒔いたタネが生み出したもの なのだ」 ということです。(立花敏伸氏HPより)

当たり前のことを当たり前にしていたら、当たり前の結果が得られます。ところが、人間、追い込まれたり、目の前の利益に惑わされたり、自分の我が出て自己顕示欲に凝り固まったりすると、当たり前のことができなくなります。自分がしていることが如何に正しいかと飾られた理屈を並べますが、やはり真理と照らすと間違っているのです。そういう人は心のどこかに自分は間違っていると思いながら道理にかなわぬ事をしているのですね。

結局一時は良く見えても、挙句の果てに悪い種の花が咲き自分に災難が降りかかってきます。だから普段から正しいことをするのです。時には正直者が馬鹿を見るように見えることもありますが、結局はよい種の花が咲き、自分に幸せが訪れるでしょう。まあ、当たり前のことですけど。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 00:15| Comment(3) | 真剣に一日生きる

2009年04月09日

自分がいつも正しいとは限らない

普通人間は自然に自分が正しいと思うようにできているみたいです。それ自体に何ら問題はありません。自分はいつも間違っていると思うほうがよほど問題があります。しかし、自分は常に正しいとは限りません。ところが社会では自分が常に正しいと思っている人が案外多いのです。

特に立派な肩書きができてくると、「自分はあなた達よりか正しいから、このようにあなた達より立派な肩書きと収入があるのですよ。」と意識しないまでも潜在的に思うようになります。みんながみんなという事ではないですが、このような人は案外多いですね。

私は仕事で新幹線をよく使いますが、車内の会社員の人達の会話は大概の場合自分の会社の話で、誰がどうだとか、あの部署はこうだとかず〜と話し込んでいるのが聞こえてきます。人の会社の話など私には全く興味は無いのですが、話している人の基本スタンスに共通性があるのは面白いと思います。

殆どの人が如何に相手や会社が間違っていて、自分が如何に正しいかを直接的、間接的に話している会話が殆どです。「俺がやればもっとできるのに、あの部署はああだからだめなんだ。」という類の話です。私は今まで「いや〜、間違っていたのは自分です。やはりあの人のほうが正しかった。私のせいで大変皆さんにご迷惑をかけた。申し訳ないと反省しています。」なんて話は電車の中で余り聞いた事はありませんね。

私も最近自分が正しいと思い込んでいたことが、実は自分が間違った考えをしていたと反省したことがあります。半信半疑で相手の言っている事の事実確認をしたら、相手の言っていることが正しくて自分が間違っていました。だから、自分と意見が違ってもすぐに相手を否定するのではなく、相手の話は一応よく聞いてみることです。人間であれば、いつも必ず正しいなんて事はありません。「自分はいつも正しい」と思い込むのはその人の自我が出ているだけだと思いますね。

「自分は正しいと信じて生きてはいるけれど、常に正しいとは限らない」と認識するのが人としてすごく妥当なところだと思います。
こういうスタンスでいると余り人と争いにはなりませんね。やはり、相手の話もきっちり聞くようになりますから。「俺は正しいんだ!」と言い張るよりかは、よほど平和的で効果的な結果が得られます。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 22:18| Comment(3) | 物事は必ず好転する

2009年04月08日

お詫び

プロバイダーのサーバーの問題で画面が見にくくなっています。今復旧作業をしていますのでしばらくの間ご辛抱をお願いします。

合掌

仏光
posted by 仏光さん at 22:28| Comment(0) | 人生を楽に過ごす方法

一秒でも多く心を楽しくしたほうが勝ち

自分を取り巻く環境が厳しくなり、心が落ち込んでいる人は世の中に大勢いますね。社会状況は多かれ少なかれ多くの人に影響します。私も寺の坊主をしているわけではないので、自分の食い扶持は自分で稼いでいます。私も今の社会状況の影響を大きく受けている一員です。

昔の私であれば不安になり、落ち込んでもよい状況なのですが、毎日楽しく過ごさせてもらっています。幸せは心の状態です。一分一秒でも心を楽しくする努力を自分でします。落ち込んでイライラしながら状況が良くなるのであれば、私も朝から晩まで落ち込みますが、絶対にそういうことは起こらないのでそうしないだけです。

心を楽しくしていると面白いことが起こります。平常心が保てるので、状況を打破するアイデアが次から次と湧いてきます。それを一つ一つ実行していくと状況も一つ一つ良くなっていきます。ほんの少しの進歩でもいいのです。

考えてみてください。落ち込んでじっと不安とともに頭の中で考えてばかりいて行動を起こさないのと、心楽しく「さてどうしたら一番良い結果が出るか」と考え、実行に移すのとでは一日の進歩に天と地の差が出ます。

結局は全て自分の心なのです。自分が何とかしないと誰も最終的に助けようがないのです。人に頼っても、その人があなたの思う通りに動いてくれるとは限りません。でも、心楽しく自分の身体を動かして色々なプランを実行していくと、こちらが頼まなくても助けてくれる人が出てきます。電話一つでもいいのです。建設的なことを一つすることが大切ですね。

心さえ楽しくする努力をしていれば必ず道は開けます。そのような能力が我々一人一人に与えられているのです。だから,自分をもっと信用してください。心さえ楽しくしていれば本当に天地のエネルギーが自分に入ってきて自分を助けてくれます。自分を頼りに、正しい「道」を頼りに堂々と道の真ん中を歩いていこうではありませんか。大丈夫ですよ!

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 22:25| Comment(2) | 人生を楽に過ごす方法

2009年04月07日

辛さ、悲しさを潜在意識で変える(2)

一昨日ほど前、「私たちの考え、行動は私たちの意識には出てこない潜在意識によって殆どの部分がコントロールされていると考えていいみたいです」という話をしました。今日はそのつづきを書きたいと思います。

まず潜在意識で辛さ、悲しさなどの意識のベースを変えるのに下記の寝る時の心得を書きました。

寝る時の心得 (心のトレーニングから抜粋)
1)
「腹が立つこと」『悲しいこと『辛いこと』『心配なこと』など消極的な言葉で作られる概念は決して寝床に持ち込まない。考えれば考えるほど『楽しくなること』を思い浮かべて寝る事。
2)
寝る前に鏡の前で自分の顔に向かって、自分のなりたい状態を命令的な言葉で話す。たとえば『お前はもっと元気になる!』『お前はもっと信念が強くなる!』『お前はどんな状況でも笑って生きるようになる!』などと発声する。
・ 真剣に命令すること。
・ つぶやきくらいの声でよい。
・ 一回だけ命令すること。(2度3度と繰り返さない)
・ 命令事項は一つだけにすること。
・ 命令したことが現実化するまで命令を変えてはいけない。
・ 寝る直前にするのが効果的。

そして起きる時は次のことを実行してください。

目覚めの心得
前夜命令したことをすでに具体化された状態で断定した言葉で表現する。たとえば『お前はもっと元気になる』と命令したら、それを『今日私はもっと元気になった!』と自分に聞こえるように言う。
・ 目覚めた直後に言うこと。
・ 鏡を見ても見なくても良い。
・ 一日中回数を多く言うほうが良い。

これは何をしているかというと、自分が思い描く穏やかで幸せな状態を自分の潜在意識に刷り込むために、正しい言葉で自己暗示をかけるのです。一旦自分の幸せな状態が潜在意識に刷り込まれると、われわれが元々持っている「大いなる力」が発揮され思い描いた状態が実現していきます。

私達の潜在能力には計り知れないものがあります。それを自由に使えるようになると、今はどのような状態であっても素晴らしい道が開けていきます。その計り知れない人間の大いなる力を引き出すのが自分の潜在意識なのですね。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 21:27| Comment(2) | 人生を楽に過ごす方法

2009年04月06日

驚くべき人間の力

私たち人間には驚くべき力が既に備わっています。ただ、それを出す方法を知らないだけなのです。チベットのラマ僧の修行や、ヒマラヤに近いインドの修行者の中には、「こんなことが人間にできるのか!」と驚かされることがあります。

例えばチベット僧の修行は、厳寒のヒマラヤで毛布一枚を渡され外で坐禅の修行をします。普通であればすぐに凍死するのですが、僧が坐禅をしている周りの雪がだんだん溶けていき、一日経つと僧侶は雪の竪穴の中で坐禅をしているようになります。

これは本当の話で、人間が一途に修行をすると常識では考えられないことができるようになるみたいです。でもこれは超能力みたいなものではなく、誰でもちゃんと修行をすればそのような力を出すことができます。だから、私達は元々持っている能力を十分発揮していないのですね。

私はヒマラヤで坐禅をした事はありませんが、山の上に住んでいるので冬の間は氷点下の中で毎日坐禅をします。修行中は暖房を一切使いません。ある程度坐禅修行をすると不思議なことが起こり始めます。氷点下の中で坐禅をしていても寒さを感じなくなっていきます。そして手の平が薄っすらと汗ばむようになるのですよ。だから、ヒマラヤで修行している僧侶が、毛布一枚で周りの雪を溶かしながら坐禅をすることは十分ありえることです。

臨済禅の中興の祖である白隠和尚は、若い頃神経症と肺結核にかかり死にそうになっています。その時白幽老人という半分仙人みたいな生活をしていた人に「内観の法」という心身を整える方法を教えてもらい命拾いしています。これには多くの文献が残っており、現代の医療機関でもその効果が検証され確認されていますから、本当にあった話です。

詳しい説明は省きますが、この白幽老人は比叡山の洞穴の中で生活し、少ない木の実や渓流の水を飲んで生活していました。この人は元々は徳川家に仕えていた武士です。何日も食べられないことも続いたみたいですが、別に飢える事もなく病気一つしなかったそうです。

この話も私は納得できます。禅の修行の間は食事は一汁一菜で、普段家で食べている食事よりカロリーは確実に低いです。坐禅に集中してくると食事を抜くこともあります。でもそんなに腹が減るという事はありません。また、坐禅だけではなく外での作務の作業や老師の用事などで身体は一日が終わると結構へとへとになります。このような日々が一週間続くのです。しかし、家に帰って体重を量ってみると全然減っていません。増えていることもあります。私は未だにこの事を不思議に思います。

特に好んで餓えようとは思いませんが、心を静かに落ち着け、雑念が少なくなると元々私たちの身体に眠っている大いなる力が出てくるみたいです。「仙人は霞を食べて生きている」と言われますが、まんざら嘘ではないと思いますね。

普段私達は日常の生活の中で心を右往左往させながら雑念にまみれて生活しています。だからこのような大いなる力が出てくる余地がないのですが、禅のような心と身体のトレーニングを真剣にすると
、信じられない力が出てくる事もあります。

だから皆さんに坐禅をせよとは言いませんが、常識に囚われず、人間には誰でもこのような力が内蔵されているということを知る事は良い事だと思います。だから、何があってもマイナスの感情を少なくし、心穏やかに、心静かに日々過ごす事は幸せを引き寄せる力があるのだと思いますよ。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 23:58| Comment(2) | 人生を楽に過ごす方法

2009年04月05日

恨みの心は持たない

恨みの心ほど人間にとって破壊的な心は無いでしょう。中には復讐のために一生を台無しにする人もいます。復讐は復讐の連鎖を呼び、終わることがありません。イランとイラクはず〜と戦争状態にありますが、これは過去2000年以上のペルシャ民族とアラブ民族の争いの続きなのです。可哀想に延べ何百万の人がこの争いにより死んだことか。

個人でも、意地悪されたり、身内を殺されたりしたら恨みの心がめらめらと湧き上がり、「あいつをやっつけないと気がすまない!仕返しをしないと気がすまない!」ということになります。また、それが当たり前だと思われている時もあります。だから人間は2000年以上も報復の繰り返しの戦争を続けたりしています。何を隠そう、私も昔はそういう人間でした。

しかし、真理は恨みの心を持っている間は決して幸せにはなりません。復讐は復讐の連鎖を呼び終わるところがありません。不正義な事があれば、それは淡々と白日の下に皆が見えるようにしなければなりません。しかし、それをしている個人に対して恨みの気持ちや仕返しの気持ちを持つことは不要です。なぜなら恨みの心は相手より貴方をより多く痛めつけますから。これは天に向かってつばを吐くようなものです。いつかは自分に返ってきます。

約束を破ったり、人を陥れたり、恩を仇で返したり平気でする人間も居るでしょう。しかし、正義は勇気を持って公平に実行しなければなりませんが、その人間を恨むことや罰する事は必要のないことです。そんなことで自分のかけがえのない一生を台無しにしてはいけないのですね。

その人に対する罰は天に任せて置けばいいのです。貴方は貴方のしなければならない事をして人生を幸せに生きねばなりません。実際にこれは頭でわかっても実行するのは至難の業ですね。でも、恨み=不幸がよく理解できれば、そんなに努力しなくても実行できます。

「人を恨んで穴二つ」という言葉があります。双方とも墓穴を掘るという事です。自分がどんな目に遭おうとも勇気を持って不正義は証明しなければなりませんが、決して人を恨んではいけないのです。罰は天に任せて、自分はあっさりくだらない事は忘れましょう。同じ人生の時間を使うなら、恨みより幸せのために使った方が百万倍以上価値がありますから。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 22:20| Comment(2) | 怒りは病の元

2009年04月04日

やはり言葉は大事だな

仕事上である人に「貴方はなかなかビジネスセンスがありますね」と言った上で、ある用件に関して「忌憚のない意見を聞かせてください。」と言ったらどう考えても好き勝手な意見を書いたメールを送ってきました。それまでは、それなりに常識的な人かなと思っていましたが、いっぺんにその人に対する私の評価は変わりました。

多分、私が褒めたのでちょっと本人はいい気になったのだと思います。そんなつもりで褒めたのつもりはなかったのですが、その人の内面がポロッと出た瞬間でした。同じ意見を言うにも、やはり使う言葉を考えないといけないなと反面教師として自分を戒めました。

私達は知らず知らずのうちに同じようなことをしているのではないでしょうか?「自分」という自我が強いと、私はこうだああだと言い出します。言葉というのは本当に大事です。相手を傷つけない言葉を使う訓練をすると、そのうち相手を傷つけない人間になります。周りを見て「まあこんなものくらいだろう。」と自分を合わせていると、いつかボロがでます。普段からの人間を磨く精進が大事ですね。

ただ、世の中では自分は傷つけない人になっても、相手が同じようなことを貴方にするとは限りません。人を傷つけてもなんとも思わない人間は大勢居ます。そういう場合、怒るのではなく気にしないで放っておいたらいいのです。色々な人間がいるのですから。仕返しをしようなんて思う必要はありません。きりがありませんから。何しろ気にしない。気にならない。そういう自分を良い言葉を使いながら作る。これが大事だと思いますよ。

合掌

仏光
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2009年04月03日

辛さ、悲しさを潜在意識で変える

私たちの考え、行動は私たちの意識には出てこない潜在意識によって殆どの部分がコントロールされていると考えていいみたいです。潜在意識の中に「辛さ」「怒り」「悲しみ」などが根強く色々な形で刷り込まれていると、やはりその人の思考パターンや行動パターンは「辛さ、怒り、悲しみ」がベースとなってきます。

普通は意識が働くので社会に出ている時は、他人を意識して「良い人、楽しそうな人」になれるのですが、本人が一人になった時、または自分にとって都合が悪くなっていくとだんだんその人の本質が現れます。何事もない時は殆どの人は良い人になれるのですが、その人の本質を見極めるには、もしくは自分の本質を見極めるには、追い込まれていざとなった時にどの様な思考パターン、行動パターンを取るかを見ていればよく判ります。

人間は得てして意識的に作り上げた自分を自分と思い込んでいますから、いざとならないと本人も自分の本性が判らないのです。

そこで、消極的な潜在意識を積極的なものに変えていくには普段の言葉使いとともに寝る時に注意すれば、自分で変えていくことができます。寝ている時に潜在意識が現れる、または作られるといっても過言では無いのです。次の寝る時の心得を実行するとかなり自分が変わりますよ。ただ、潜在意識は、反復によって変わっていくので、続けないと余り意味がありません。

寝る時の心得 (心のトレーニングから抜粋)
1)
「腹が立つこと」『悲しいこと『辛いこと』『心配なこと』など消極的な言葉で作られる概念は決して寝床に持ち込まない。考えれば考えるほど『楽しくなること』を思い浮かべて寝る事。
2)
寝る前に鏡の前で自分の顔に向かって、自分のなりたい状態を命令的な言葉で話す。たとえば『お前はもっと元気になる!』『お前はもっと信念が強くなる!』『お前はどんな状況でも笑って生きるようになる!』などと発声する。
・ 真剣に命令すること。
・ つぶやきくらいの声でよい。
・ 一回だけ命令すること。(2度3度と繰り返さない)
・ 命令事項は一つだけにすること。
・ 命令したことが現実化するまで命令を変えてはいけない。
・ 寝る直前にするのが効果的。

まず、これだけのことを毎日やると自分が自分が本当になりたい自分に変わっていきますね。明日は、起きた時の心得を書きたいと思います。(つづく)

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 20:52| Comment(2) | 心のトレーニング

2009年04月02日

取り越し苦労厳禁

殆どの人は、この先こうなるのではないか、ああなるのではないかとまだ現実にはなっていない将来のことを心配するのではないでしょうか。私も心配しそうになる時があります。でも、これは全く無駄なことです。心配してもしなくても未来の事は誰にも判らないのです。

一旦心配が始まると心配の無限ループにはまり込んで、猜疑心が強くなったり、落ち込んだりします。これは心配を通して脳が悲惨な状態のシュミレーションをしているうちに、脳に浮かぶ情景や考えが現実に起こりうるものと脳が判断し始めるからです。

要するに現実には起こっていないのだけど貴方の脳の中では起こっている事になります。これはバーチャルリアリティー、「架空の現実」なのです。同じ架空なら自分が面白いシュミレーションを自分の脳の中でしたらいいのですね。

だから、寝る前には取り越し苦労をしないで、考えれば考えるほど楽しくなることを想って寝ることです。寝ている間に考えが潜在意識に入り込んでいきますから。

よほどの超能力がない限りは我々凡人はこう考えていればいいと思います。

「過去の事は忘れなさい。過去はもう済んだことです。何万回考えても過去は変わりません。」

「未来のことも忘れなさい。未来はまだ来ていないのです。誰も未来がどうなるかはわかりません。」

「はっきりしているのは今、この瞬間だけです。今、自分の持てる体力と知力からなる能力を出し切りましょうよ。やはり我々にはそれが最善の策です。」

結局、「般若心経」が言っていることもこういう事だと私は思いますね。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 22:17| Comment(2) | 空の心

2009年04月01日

怒らないと物事はうまく行く

私達はよく心に怒りの感情が芽生えます。何か気に入らないと怒りの感情が出る人が多いです。最近では怒ることを「切れる」といいますが、「切れる若者が増えている」なんて記事を新聞などでよく見ます。

人間の怒りの感情は、自分が「こうでなければいけない」と思っている事に対して、思った通りにならないことが事が起こったり、相手が自分の思っている通りに動いてくれない時に出てきます。

よく怒る人は、「こうでなければいけない」とか「こうあって欲しい」という思いが強いのですね。これ自体は悪い事では無いのですが、それを周りに期待したり強要する気持ちが無意識にでもあると、怒りの感情が芽生えてきます。

しかし、よく考えてみると怒って良い事は一つもありません。まず感情が高ぶっているので良い判断ができないですよね。自分の気分は悪く、周りの気分も悪くなります。怒る事によって周りはしぶしぶ貴方の言うことを聞くかもしれません。でも、貴方に対する嫌な思いはその人の脳裏に刻まれます。

中には一旦怒り出すとなかなか自分で止められない人もいます。また、すぐにカッとなる人もいます。要するにこのような人は「自我」が強すぎるのです。自分中心の考え、感情が強すぎるのですね。親に怒られて育った人は、大きくなってから人に怒るようになります。

怒りの感情が出てきたら、一番良いのはまずその場を離れることです。そして時間を置くと落ち着きます。しかし「そんなことは判っている。それができないから困っているのだ!」という人もいます。

そのような人は、小さなメモに「さあ、私はこれから怒るぞ〜!」と書いて、怒りの感情が出てきたらそのメモを取り出して読んでください。「怒らないぞ〜」ではなく「怒るぞ〜!」です。面白いほど怒りの感情が無くなっていきますよ。

世の中怒っていてもろくな事はありません。怒っている時間は限られた人生にとって大変もったいない時間です。怒らないと物事は大変うまく行きます。最低限、怒っているよりかはうまくいきます。

せっかく一回こっきりの人生、できるだけ怒らず、ありがとう、ありがとうと感謝しながら穏やかにいきましょうや。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 23:58| Comment(0) | ありがとう、ありがとう

やはり人生は修行かな

日々生活していると、嫌なこと、苦しいこと、悲しいことがやはり起こります。私は以前、本当の幸せとは何だろうと考えに考えたことがあります。それで禅の道に入ったわけですが、その頃の自分は本当に苦しんでいました。

そして修行をしていく中で、本当の幸せとは「絶対的な安心」なんだと気づきました。では、絶対的な安心とは何でしょう。お金とか地位とかあれば絶対的な安心でしょうか?今なら公務員の人達のように仕事を失う心配がないのが絶対的な安心でしょうか?自分や家族が健康であれば絶対的な安心でしょうか?

今、自分に、お金、地位、仕事の保証、健康などが無い人は、それが手に入ると安心と思うでしょう。でも、そうでは無いのです。それは、お金持ちが絶対的な安心をしているかというと、それとはかけ離れた人生を送っている人が多いです。お金持ちはお金を失う不安の中に生きています。日本全国の公務員の人が絶対的な安心を持って生きていますなんて事もないですよね。それぞれ悩みを持って生きています。

もし、幸せが「絶対的な安心」であるならば、それは何処にあるのでしょう?ここが、私が一番判らなかった所です。私は以前、お金も地位もありましたが、全然安心ではなかったです。だから、そこには無いことはよく判っている。絶対的な安心が何処に有るのか判らないとこの人生で本当に「幸せ」にはなれないぞ。幸せな気分の時もあれば不幸せな気分の時もあって、一生心を右往左往して生きていかねばならない。「こりゃたまらんな〜。」と思ったわけです。

禅の修行をしていく中で、一つ分かった事は「幸せ」とか「安心」とかは自分の心の「状態」の中にあって、財産、地位、仕事など自分の置かれている「状況」の中には無いのです。

今の私に判っている事は、失業や病気など、どんな苦難が襲ってきても、それにひるまず、ぶち当たっていく時の心の状態。一日がまあ無事に過ごせればそれに感謝し、周りに感謝する時の心の状態。困っている人がいたらできる範囲で助ける時の心の状態。「幸せ」「安心」とはこのような積極的な心の状態の中に存在するということです。一言で言えば「平常心」です。一日24時間一瞬も怠ることなくこの心の状態が保てたらそれが「絶対的な安心」ですね。それができるのが禅の「老師」ですよ。目の前にいますから、見ていて「すごいな〜。」とつくづく思います。

いくら禅の修行をしていても、辛いことがあれば逃げたくなるし、理不尽なことがあれば腹も立つ。以前より相当ましになっているかもしれないけど、まだまだ修行は続きます。だって、私も生きている間に一度でもいいから「絶対的な安心」を経験してみたいと思いますから。長い道に見えるけど、人類の歴史の中で禅の修行がどうもそれを獲るための一番の近道のようです。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 07:32| Comment(0) | 人生を楽に過ごす方法