2009年03月16日

お釈迦様は何故仏祖なのか

ご存知のようにお釈迦様は仏祖です。仏教を創めたのがお釈迦様だから仏教の祖になるわけです。お釈迦様は実在の人物であった事はどうも確かです。後に色々な歴史、人々の願望から神のように神格化されていきましたが元々は生身の人間です。

私はお釈迦様が偉いと思うのは、まず「人生は苦である。」という真理を見極めた事。そして、その「苦」から逃れるには「こうしたら良いよ。」と苦しみから逃れる方法として坐禅を含めた「八正道」を見極めたことだと思います。詳しくは私のブログの「幸せに生きる八つの実践」を参照してください。http://gakunan-zen.sblo.jp/archives/20090310-1.html

お釈迦様はこれらの道を悟った後インド中を歩き回って人生の真理とその解決方法をあらゆる人に教えていきました。お釈迦様は「こうしたら良いのだよ。」と人々の苦しみを思うと教えざる得なかったのだと思います。苦しんでいる人々をどうしても救いたいと思う慈悲心ですね。

お釈迦様は亡くなる時に「これから私達はどうしたら良いでしょう?」と聞く弟子たちに「自燈明、法燈明」と答えられました。自燈明とは「自分自身を燈明とせよ。」要するに自分自身を頼りにせよということです。法燈明とは「釈迦が見極め教えた真理を燈明とせよ」という意味です。お釈迦様は「自分自身と真理を頼りとして生きていけ」と言われているのです。「真理」とは不変のものです。

人を頼りとせよ。世間の道徳を頼りとせよとは教えていません。まず、頼れるだけの自分自身を作っていかなければいけないし、釈迦の教えた真理を自分の物とする勉強も必要です。「修行は嫌いだけど、悟りは好き!」というわけにはやはりいかないのですね。

世間の道徳は世間とともに移り変わります。道徳というと「すごく確固たる正しい道」みたいに思われている場合もありますが、歴史ではそうではないことがはっきりしています。

世間では反道徳的な人が刑務所に入るのですが、昭和の時期に起こった太平洋戦争では、戦前、戦中、戦後に牢屋へ入った人は全部違う種類の人です。戦前、戦中は戦争や体制にに反対した人が牢屋に入ったし、戦後は戦争に賛成した人が牢屋に入っています。たかだか10年の間にこれだけコロコロ変わるのです。アメリカのテロ容疑者の刑務所もたぶん同じようなものでしょう。不変の真理と比べると、こんなにコロコロ変わるものを絶対的に頼りにする事はやはりできないのです。

私にとって「禅」はお釈迦様の教えを学びを実践する効率の良い教育システムです。禅を実践していくうちに自分にぶれない背骨ができていくような感じがします。お釈迦様の説いた真理を勉強して、実践していくと「なるほどなー!」とどうしても感心してしまうのです。

仏教の本やお経に書いてある事は文字からしても難しいのでうんざりします。このブログで少しでもお釈迦様の教えが分かりやすく伝われば幸いです。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 22:47| Comment(2) | お釈迦様