2009年03月12日

考えない

「悩む」と言うことはどういうことなのでしょう。普段私はよく「この世に悩みの無い人はいません。」という話を聞きます。よくよく「悩み」について考えてみると、「自分はこうしたい。自分はこうありたい。」という自分に対する思いに現実の情景が違う場合に人間は悩むみたいです。要するに思う通りにならない時に悩むのです。

私の家には「トラ」という猫がいます。家と外を行ったり来たりしながらもう13年も一緒に住んでいます。私の家は山の上にありますので車にひかれる心配もありません。私は「トラ」をよく観察するのですが、全くといっていいほど悩みはなさそうですね。かなり自由に生きていますが、やはり家族の一員として一緒に住んでいるので全部が全部「トラ」の思い通りにはなりません。

例えば外に行きたいと思っても、誰かが玄関を開けてくれないと外には出られません。寒い日に家に帰りたいと思っても家族が外出していれば外にいなければいけません。お腹が減っても家の者がいなければ帰って来るまでお腹を空かせて待っています。

でも、「トラ」には悩んでいる様子はありませんし怒ってもいません。もちろん猫と人間では脳の容量も違うので全く比較の対象にはならないのですが、私は「トラ」から時々学ぶことがあります。

「トラ」は「自分はこうしたい」という思いがあって現実にそうならなくても、その「思いが叶わない」ことについて何も考えていないのです。ただじっと待つ。この何〜にも考えていないのが「トラ」が幸せそうに生きている秘訣ではないかと思います。

例えばお腹を空かせて誰もいない家で待っていても、家人が帰ってきてキャットフードを貰えると嬉しさいっぱいになって、嬉しさ以外には何も無くなってしまうのですね。

これが人間だと大変です。「いったい何時になったら帰って来るんだ!この俺を何と思っておる!相手のことを考えないからこんなに遅くまで帰ってこないのだ!」とずーっと考えながら、ぷりぷり怒りながら待っている人もいるでしょう。そしていざ奥さんが帰ってくると「いったい今何時だと思っているのだ!遅くなりそうだったら電話しろよ!早く何か食わせろ!」と帰ってきた奥さんに怒ったりします。

奥さんが帰って来たら何か食べるものを作ってくれるから嬉しいはずなのに、放って置かれた怒りの方が嬉しさより優先されるのです。だから幸せではない。

私は「トラ」から自分の思い通りにならなくてもそのことについてずーっと考えないことを学んだ気がします。そして、思いが叶うとただそのことについて喜ぶ。すると結構猫みたいに穏やかに一日が暮らせるものです。

坐禅では「二念を継がず!」と言います。坐禅をしていると「アッ、あの人に電話をするのを忘れた!」みたいな雑念がボコっと頭に浮かびます。普通だと「すぐに電話をしなければ。電話が無いから心配しているかな?」という風に次々と念が頭に浮かんできて考えが広がっていきます。坐禅ではボコッと雑念が浮かぶのはそれは仕方が無い。でもそこでその念を捨てよと言われます。次に続けない。したがって、坐禅の修行をするという事は何万発も頭に浮かぶ考えを捨てる訓練なのです。

深く考えられる事は人間の特権です。この特権を感謝や嬉しさに使うか、怒りや不安に使うのかで天と地の差が出てきますよね。同じ特権があるのなら、感謝や嬉しさにこの特権を使って、怒りや不安などのマイナスの考えは捨ててしまいましょう。きっと猫みたいに穏やかに一日が過ごせるようになりますよ。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 23:08| Comment(2) | 自我