2009年03月30日

人生とは・・・・

小さな草

「人に踏まれた 
小さな草も
思い思いの花を咲かせる」

「辛いことに耐えて
夢を種に 努力の水と 感謝の肥料で
人は幸福の花を咲かせる」




「この道を行けば
どうなるものか 危ぶむこと無かれ
危ぶめば道はなし 踏み出せば その一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ 行けばわかるさ」


幸せ

「幸せはいつも 自分の心が決める」
「人生とは 心の道場である」
「人の一生は 心の富を 蓄えるためにある」
「うまくいかない理由は 自らにあり」
「ひとは 人に生かされ ひとは 人のために生きる」
「雨が降ったら 傘さして 傘がなかったら ぬれて行く
そんな人生がちょうど良い」      (立花敏伸氏HPより)


何も言うことなし!そのまま、あるがまま。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 23:59| Comment(2) | 塞翁が馬

2009年03月29日

商は笑にして勝なり!

なんと「笑うことが商売の要諦(ようてい)だ」ということです。

 斎藤一人さんも
  「斎藤一人のツキを呼ぶ言葉」で以下のように
  述べられています。

幸せになるコツは「笑う」こと。
  笑うと顔に ○ がある人になり、しかめっ面でいると
  顔に × がある人になる。 
  顔に ○ がある(笑顔になる)と第三の目(心の目)が開き、
  顔に × がある(しかめっ面)と心の目が閉じてしまう。
 
  この心の目が閉じていると、誰も助けてくれないし、
  かわいがってくれない。

 だから,口元を上げて笑顔でいようね。と

 皆様、笑って笑って幸せになりましょう。(立花敏伸氏HPより)

 ●正しい経営とは
「どうしたら売り上げがあがるか、利益を確保できるか」 を考えるのではなく
どうしたらお客さんに喜んでもらえるかを考えることが大切です。


笑うことは別に商売がうまく行くだけではありません。健康になるし、人間関係はうまく行くし、心は穏やかになるし、周りは幸せになるし、子供は朗らかに育つしと、これほど元手がただで得する事は人生そう多くはありません。

私達は別に笑うのにお金がかかることはありませんので、笑おうと思えばいつでも笑えるのです。だったら、しかめっ面はやめて笑うことを癖にしましょうよ。今、どの様な境遇にいようとも笑っていれば、その境遇が貴方にとって今より向上していくことをお約束します。

幸せになるのに、笑い、微笑みに勝る特効薬はありません。さあ、今日から意識して笑いましょう、微笑んでいきましょう。
天はちゃんと私達に元手がかからずみんなが幸せになる道を作って置いてくれていたのですね。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 19:00| Comment(4) | 人生を楽に過ごす方法

2009年03月28日

心を磨くとは、周囲に感謝し、人に喜ばれる存在になる。(釈迦)

私達は一日に心の底から何回感謝しているでしょう。このように世の中が不景気なってくると、よく愚痴を言っている人は見かけますが、感謝している人を見るのが少なくなったような気がします。

白隠禅師が作った坐禅和讃に、「六趣輪廻の因縁は、己が愚痴の闇路なり。闇路に闇路を踏みそえて、いつか生死を離るべき」という一段があります。

要するに「愚痴を言っている間はこの世の地獄だよ。そんなことは人生が終わる前に早く止めようよ。」と言っているのですね。私もそう思います。

愚痴を言って状況がよくなるなら、朝から晩まで愚痴を言い続けたらいいのですが、必ず状況はもっと悪くなります。でも愚痴を言いたくなる心境も判らないでもありません。

私はこう思ったらいいと思います。自分に試練が与えられると自分を鍛えるために天が用意してくれた心の授業なのだと。人生がうまく行かないと悲観的な気持ちになりますが、授業だと思うと「さあさあ、天は次に何を私に教えようとしているのかな?」と思えます。自分で問題を解くのです。人に助けてもらって答えが間違っていると人を責める気持ちが湧いてきますから。それがまた愚痴になります。

こうなると試練も自分を鍛えて育ててくれるので感謝です。順風満帆の中で人格なんて絶対に育ちませんから。

がんの末期になると普通に息をして食べて生きていることだけで感謝の念が湧いて来ます。がんで去年亡くなった私の母親が言っていました。「収入が減ったので腹が立つ!」なんてそのような状態では思うことは絶対ありません。普通に生きているだけでありがたいのです。思い通りに行こうと行くまいと、何があっても普通に生きていればやはり感謝でしょうね。

考えてみてください。愚痴を言って一生暮らすのと、感謝の心で一生暮らすのと、自分の一生でどちらが良いか。順風満帆では何でもうまく行くのが当たり前で、感謝の念など湧きませんよ。何に感謝したら判らない人の特効薬は死ぬほど苦労することです。普通に生きていることが何よりもありがたくなります。

日常を感謝の心で暮らそうと思うと、やはり人に尽くすことですね。そうすると人も貴方に感謝します。感謝と感謝が合掌しあっているようなものです。

私は、多分これを極楽というのだと思います。それなら自分で極楽を作ることができますね。困った人がいれば自分ができる範囲で助けて、人に感謝してもらったら、感謝してくれる相手の心に感謝すればいいのですから。「心を磨く」とはこういう事でしょうね。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 20:43| Comment(2) | お釈迦様

2009年03月27日

心を作るのは言葉、言葉は心のあらわれ (釈迦)

言葉と心

言語には、すこぶる強烈な暗示力が固有されている。
だから積極的人生の建設を志す者は
消極的な言語をたとえ戯れにも口にしてはならないのである。

具合が悪いときに具合が悪いといったら
具合が悪いのが治るかい?


正しい心を作る言葉の大切さ


私は今後かりそめにも、わが舌に悪を語らせまい。
否、一々わが言葉に注意しよう。
同時に今後私は、もはや自分の境遇や仕事を、消極的な言語や、悲観的な言葉で、批判するような言葉は使うまい。
終始、楽観と歓喜と、輝く希望と溌剌たる勇気と、平和に満ちた言葉でのみ活きよう。

これらは明治の哲学者、中村天風の言葉で、私の「心のトレーニングマニュアル」に取り入れています。私はこれを実践しています。腹が立つこともあるし、悲しく落ち込む時も人間ならあります。しかし、自分の気分の赴くままにマイナスの言葉を発していても決して状況は良くならないのです。

だから次の言葉をよーく読んで落ち込んだ時には思い出してください。

自分は力だ

私は力だ。
力の結晶だ。
何ものにも打ち克つ力の結晶だ。
だから何ものにも負けないのだ。
病にも、運命にも、
否、あらゆるすべてのものに打ち克つ力だ。
そうだ!
強い、強い、力の結晶だ。


笑うこと

さあ今日から、努めて笑うことにしましょうや。
特に悲しいことや辛いことがあったら、
いつにもまして笑ってごらん。
悲しいこと、辛いことのほうから逃げていくから・・・・・

私はどれほどこれらの言葉で救われたことか・・・。天風先生に大感謝です。
さあ、皆さんも落ち込んでいる閑があったら笑いましょうや。笑っていれば必ず状況は好転します。辛ければ辛いほど、悲しければ悲しいほど、苦しければ苦しいほど笑うのですよ。私達は今どのような境遇にいる人でも本来「力の結晶」なのです。それに早く気づきましょうよ。どんな苦難にも打ち克つ力が本当に湧いてきますよ!

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 22:49| Comment(2) | お釈迦様

2009年03月26日

人間の修行とは、他人に喜びを与えることである (釈迦)

私達はよく心を磨くとか人格を磨くとか言いますが、果たして心や人格を磨くとはどういうことなのでしょう。「真に立派な人」というのは、資産をたくさん持っている人や、社会的肩書きの素晴らしい人、自分の良い行いを宣伝している人を指す事で無い事は確かですね。それは今までの私のブログを見て頂いたら良く判ると思います。

世の中一般の人間は人生の主な目標を物質的に豊かになることに置き、それがある程度叶えられると地位や名誉を一生涯をかけて求めていきます。中には最初からどれもこれもみんな欲しいという強欲な人間もいます。

お釈迦様は悟りを開いた後、インドの村々を説法をして回りました。多くの人がお釈迦様に帰依していきましたが、その中には王族諸侯も多くいました。そして、お釈迦様に土地や大きな寺を与えようとしました。

「真理を説くのに伽藍殿堂は要らぬ!」と、お釈迦様は一切このような申し出を断りました。自分の修行のため、また大衆に道を説くのに立派な寺など要らないということです。そして自ら数名の弟子と共に田舎の村々を回り説法をしていきました。説法の旅の途中、ある村で病に倒れ亡くなっています。悟りを開いてからは、仏道を何処までも大衆に説いて回る事を自らの修行としていたのです。

お釈迦様の説法で多くの人の心が救われました。人生で何が一番大事なのかを説法を聞いて人々が気づき、自らの心、人生を救っていったのです。私はこのように人に真の喜びを与えることができるお釈迦様こそ、本当に立派な人格者であり、磨き抜かれた心の持ち主であると思います。

私は、もちろんお釈迦様のような説法はできませんし、その人格も足元にも及びません。ただ、人に喜んでもらえることはできると思っています。自分の周りで困っている人の助けになることはできると思います。それらを一つ一つ実践していって、私なりに自分の心を磨いていきたいと思います。それが人間として生まれた者の修行でしょうね。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 20:55| Comment(2) | お釈迦様

2009年03月25日

人生の終わりに何を持っていく?

人は人に与えた喜び、悲しみだけをもってあの世に逝くのだ・・・釈迦

人は皆、頭ではお金や家などの財産、社会的肩書きなどを死ぬ時に持っていけない事を知っています。でも、生きている間はそれらに執着し、それら財産を得るため、また守るために必死になります。分かっているのにやっちゃうのです。でも、もっともっとよく考えた方がいいと思いますよ。

ちょっと想像して下さい。もし、貴方が癌で余命を告知されて死の床に寝ていたとしましょう。いくら立派な家に居ても、いくら預金通帳の残高があってもそれが貴方にとってどれほどの意味が有るでしょうかね。

貴方は身体を横たえながら何を想うでしょう?死の床にあって「俺の家は何と立派なんだろう。」「預金通帳の残高は増えたかな!」なんて想う人は変人奇人の部類に入ると思います。

人間死ぬ時は家族との思い出、今までの人生の出来事、楽しかったこと、悲しかった事、嬉しかった事、子供の頃の事を想うのが普通です。

要するに人は死ぬ時にもし持って行けるものがあるとすれば、生きていた時の思い出しか無いのです。では、どの様な良い思い出を持って行きたいですか?自分が出世した思い出?金持ちになった思い出?

私は自分の行いで人に喜んでもらった思い出が、「自分はこの世に生まれて来た価値があった。自分は精一杯生きた!」と自分の人生に納得できる一番の思い出だと思います。結局人に尽くすことは自分のより良い人生に尽くすことになるのですね。

見せ掛けの善行ではこの思い出は作れません。人の為に真心から自然に行った行為のみ納得の行く思い出に変わっていってくれます。
さて、私は今日いくつ納得のいく思い出が作れたかなぁ?

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 23:34| Comment(4) | お釈迦様

2009年03月24日

お釈迦様の教え

○ 人は人に与えた喜び、悲しみだけをもってあの世に逝くのだ・・・釈迦

釈迦は来世のために今、世の中に善い事をたくさんして功徳を積めと説かれています。

○ 人間の修行とは、他人に喜びを与えることである

○ 心を作るのは言葉、言葉は心のあらわれ

  人の心を楽にする言葉をいつも心がけて使うことが大切です

○ 心を磨くとは、周囲に感謝し、人に喜ばれる存在になる。

○ 心とからだにいいことをしよう


★ 身体にいい事(暴飲・暴食に気をつける。禁煙・適度な運動・バランスのいい食事・休養・など)

★ 心にいい事(プラス思考・ストレスを残さない・皆さんに喜んでもらえることをする。
正しい行い・正しい言葉使い・苦難を感謝の心でうけとめる等)

★ 仏心(魂)が一番喜ぶ心とは・・・・慈悲の心(他に対する思いやりの心)感謝の心など。
 
★ 仏心(魂)が一番嫌う心とは・・・・欲望・怒り・愚痴(道理をわきまえない愚かな心の事)

◎ 仏心とは、本来一切の衆生(しゅじょう)に本来備わっている仏性のことで、自分のことはさておいても、世のため人のためにつくそうという心です。自分を中心とするから苦しむのです。
仏心に目覚めれば苦労も生き甲斐に変わるのです。

★ 衆生(しゅじょう)とは、この世に生を受けたもの全てを意味する仏教用語。特に、業の深き人間を指すことが多い。

◎思うままにならないことを思うままにしようとすると、四苦八苦 になるわけですよ。思うままにならないことを思うままにしようとしなければ、それなりに 楽しく生きる 方法はあるわけです。
(立花敏伸氏HP著者:ひろ さちや こころが軽くなる御仏の智恵 より)


お釈迦様は多くの教えを説きましたが、ここに書かれた事は普段私たちが生活していく中で、心がけ一つで守っていけることです。一回しかない一生を生きるのなら、私はできるだけより良く生きたいと思っています。誰もたった一回しかない人生をより悪く生きたいとは本心では思わないでしょう。
だったらより良く生きましょうよ。今、心が曇って欲に負けて「悪いことしているな〜」と言う自覚があればそれは良いことです。心がけ一つでゴロッと良くなりますから。

明日からは、ここに書かれた教えを一つ一つ見て行きたいと思います。(つづく)

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 23:08| Comment(4) | お釈迦様

2009年03月23日

超能力?

仏教では超能力のことを「法力」と言います。弘法大師など色々な超能力を物語る逸話も日本には結構あります。人間はどうもこの手の能力には弱いみたいですね。やはり憧れなどがあるからでしょう。特に心が弱っている時は超自然的なものにすがりたい気持ちになるものです。

確かに、病気や怪我を治す力は人間にあるみたいです。私も自己紹介に書いたようにこのような能力があります。国立大学でのこの類の能力のテストや測定にも協力しています。日本語で治療のことを「手当て」と言うのも昔このようにして人の不具合を治していたのでしょう。

しかし、このような能力は人の為に使うもので自分が得するために使うものではありません。世の中には結構こういう事を売り物にしておられる方も居ますが私は間違っていると思います。私も当初は、自分が何か特別な人間のように思えて、自己顕示欲の道具にしていた時期もありました。でも、禅の修行を続けるうちに自分の間違いに気付き大いに反省したものです。

禅で養うのは「眼力」と「道力」です。「眼力」とは真実を見極める力。「道力」とは正しい行いを実行する力です。私はちっぽけな超能力などではなく、本当に「衆生無辺誓願度」、困った人に尽くせるのは「眼力」であり「道力」であると気付きました。いくら「法力」、超能力があっても「眼力」と「道力」には遠く及びませんね。

神話ではなく、実際の歴史の中で一人の人間の超能力が大きく人々に貢献したという事実は私の知る限りありません。歴史を作ってきたのは人々の「思い」です。お釈迦様もそのような能力があったみたいですが、こんなものは余り重要ではないと言っておられます。まあ、基本的には「どうでもよい」と。

孫悟空が自分の超能力を自慢して、雲に乗って果てしない所まで飛んでいき、雲から突き出ている柱に自分の名前を書いたら、実はお釈迦様の中指だったという話を知っている方も多くおられるでしょう。結局その程度のものなのですね。

不安な時代だからこそ「眼力」と「道力」を各々がそれなりに鍛えていかなければいけないと思いますね。たとえ超自然的な能力があったとしても、人の「善の心」には遠く及ばないのです。人の心には計り知れないパワーが秘められています。早くそれに気付いて信じることです。困っている人が居れば、自分ができる事をする。一人の人を助ける方が、超能力をひけらかしているより、よほど尊いのです。やはり鍛え抜かれた「眼力」と「道力」に勝る超能力は無いみたいですね。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 22:49| Comment(2) | 人間の煩悩

2009年03月22日

お経を読む

般若心経というお経はもっとも知られているお経でしょう。「般若心経を唱えていると心が落ち着く。」とか「不思議な力が有る。」とかよく聞きます。でも、その意味を現代語でよく理解している人は少ないかもしれません。「ちょっと訳が分からないところもあるけど、ありがたうそうなので唱えよう。」中には全くその意味を知らず、何しろありがたいので唱えるという人も居るでしょう。

私はそれはそれでもいいと思っています。しかし、これが現代文に訳されて、例えば「弟子の捨利子さん、五感で人間が感じているものは実は空なんだよ。そんなもんに騙されちゃいけないよ。人間にはその内なるところに素晴らしいものを持っているのだから、それを十分発揮して幸せになりましょうね。」と訳されたりすると「何だ、そんなことか。」と有難みが急に薄れてきたりします。

何か難しそうで、どこか神秘的なところを残しておかないと有難みが湧かないのです。人は神秘的なものに惹かれますね。

でも、よく考えてください。御釈迦様は悟りを得たと確信してから、インドの貧しい村々を回ってその教えを説いていきました。そして、それを聞いた人々は「なるほどそういうことかい。」と納得して帰依していったのですね。歴史的事実として、その当時の貧しい村々で教育も受けていない人達が納得するように説いたのだから、その内容が難しいわけが無いと思います。

その説いた話が、弟子たちによって書きとめられて、それが中国に渡って漢字に訳されて、それが日本に渡って日本の古文に訳されていくうちにえらく難解な内容のお経になって、学者でもよく判らないということになってしまったのですね。そして、お経などその判らないところが何となく神秘的で、もっと神秘的な雰囲気をかもしだすお堂で、立派な袈裟を着たお坊さんが何人も一緒に読経されると「何かわけは判らんけど有り難い!」という風になるのです。

しかし元々は2500年前のインドの貧しい農民に説かれた内容ですから、やはりシンプルに考えた方が、もしくはシンプルに感じた方が良いのではないかと思います。まあ、神秘的でないとありがたみが無いから困るという人も中にはいるでしょうから、それはそれでその人達には良いのではないかと思います。

臨済禅では「神秘を語らず、迷信を説かず。」とはっきり言っています。「神秘や迷信で人を惑わすな!」と。「自分で坐禅してお釈迦さんの言っている真理を自分で確認しろ!」という事ですね。知識でわかるというような生易しいものでは無いのです。私は自分が実際に禅をやってみて「なるほど!」と思えます。だから私にはこっちの方が良いですね。

人それぞれの生き方はあると思います。私は何でもかんでも科学的に解明しなければだめとも思いませんが、神秘的なことを追い求めて訳がわからんままに死ぬのもやっぱり嫌だなと思います。自分ができることはやろうと思えばできるのだから、やっぱり禅をやりながら人生を過ごしたいですね。

ただ、皆さんに「禅をしろ」を言っているわけではありません。できる人はすれば良いだけの話です。しかし、心が弱った時に神秘的なものにすがりたいと思うのは分からないでもありません。でも、世の中にはそれに付け込んでもっともらしい雰囲気をかもしだしながらごまかしをする人間も多いので、やはりお釈迦さんが説いた「自燈明、法燈明」です。自分を拠り所に、仏法を拠り所に生きて行った方が間違いは無いみたいですね。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 11:04| Comment(2) | お釈迦様

2009年03月20日

斎尽きて魯現る

"斉(さい)" という国を行きつくして 「もう道がない」。
ところが、行きつくしたと思えばさらにその先に
"魯(ろ)" という国が現れた。
行きづまったのは自分の知 (あたま) であり 知 (あたま) を捨てて
虚 (から) になれば道は無限に続く。
虚であればそれに応じて知恵は無限に変化して出てくる。
行き先は無限にあるという事である。

長い人生誰しも大変な試練を迎える事がある。
そんな時このまま行くとこの先どうなるのか不安になる事がある。
誰もが大なり小なり経験する事だと思う。

戦国の武将武田信玄は、この戦いは無謀と家来達が止めるのも聞かず
「物は定りて定らぬものなり」と言って戦いに挑(いど)み
勝利を収めたという。
先の事は分からないのである。

仏教では右に行くか、左に行くか迷ったら「サイコロを転がして決めよ」
というのがある。 困難な道も良し、平坦な道も良し。という意味だと思う。
自分の心の持ち方次第ですべて 吉 とする事が出来ると思う。

人間成長する上で苦しい体験は必要である。 大切なのは、
とり越し苦労をせず「何があっても平気で生き抜くぞ」という勇気と「災いを転じて福とする」という精神を持つ事ではないか。


山頭火の言葉に
「雨が降ったら傘さして、傘がなかったらぬれて行く。
そんな人生がちょうどいい」
大変好きな言葉の一つである。
人生「ケセラセラなるように成る」と笑って生きて行きたいと思う。 立花敏伸氏HPより

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 23:34| Comment(2) | 人生を楽に過ごす方法

2009年03月19日

自分は愚かだ、未熟だと認める

人が自分は愚かだと悟るとそれは賢者である。
人が自分は人より優れていると思っている間は愚者である。

私は三十代で大手外資系企業の社長になり、家や高級車を購入して海外リゾートで休暇を過ごしていました。自分は優れた人間と人と比べることばかりしていました。

四十三才で奈落の底に突き落とされ、底辺を這い回るうちに人の情けを知り、人の悔しさ、苦しさ、悲しさを知り、こんな傲慢だった自分に情けをかけてくれる人がいることを知りました。

禅の道に入り、正しい生き方を聞き、判っていても顔を出すプライドに苦しみ苦しみ坐禅をする。道場で叱られ叱られ坐禅をする。そのうち坐禅で自分の愚かさを知りました。

自分が愚かであると知った時、私は始めて心が満たされる思いがしました。決して社長をしながら得意満面の時には感じなかった満たされる思い。そして、肩から力が抜け重い荷物を降ろしたような気持ちよさ。

自分が愚かだと心から認めると、人や世間と比べることも無くなり、競うことも無く、そしりを受けても気にならず、腹が立つことも無い。ただ、坐禅をして、自分ができる仕事を一生懸命やり、困った人が居れば力になる。

ただそれだけの人生の何と楽しい事か。何と穏やかなことか。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 23:46| Comment(3) | 人生を楽に過ごす方法

2009年03月18日

自分を作らない

誰でも人に良く思われたいものです。小さな子供は特にそうです。小さな子供は親、特に母親に良く思われたいのです。だから最初は親の言うとおりに良い子になろうとします。

これが自分をよく見せるために自分を作り出す始まりです。小さな子供は仕方が無いですが、大人になったらもう一度考え直した方が良いと思います。私達は学校に行った時、社会に出た時、敏感に自分が所属する集団が何を求めているかを感じ取ります。そして、それに自分を合わせていこうと無意識に思うのです。合わないとグレたりします。

でも、そうして自分を作っていく間に本当の自分と作り上げた自分のイメージとの間にギャップが生まれてきます。英語ではセルフイメージと言っていますが、「周りから見られた時の自分を作り出し、それを保とう」という意識が働きだします。

そうすると、どんどんギャップが大きくなって、そのうち本当の自分が作り出された自分のイメージの奴隷になっていくのです。例えば「私はハイソよ!」というイメージを作ったとします。そうしたら本当は貧しかった子供の頃に食べた「たこ焼」が食べたいのだけど、イタリアンで「ピザ」にするみたいな行動を取りだします。「たこ焼なんかとんでもない。私のイメージが崩れる!」となるわけです。プライドなどは、結局はこういう類のものです。

これを意識的にやっている間はかわいいのですが、無意識にやりだすと病は深刻です。「いったい本当の自分とは何か?」というのが判らなくなります。そして、自分が作り出した自分のイメージの奴隷のまま一生を終わることになります。

可哀想な話ですね。いったい本当の自分とは何だというのが分からず奴隷の人生を生きていくのです。中には自分の作り出したイメージの自分と現実の自分とのギャップが大きすぎて、うつになっていく人もいます。

禅では本当の自分の事を「本来の面目」と表現します。臨済禅に入門すると最初の「公案」が「父母未生以前における本来の面目は如何?」です。公案とは老師との禅問答の問題みたいなものです。「お前のお父さんお母さんが生まれる前のお前はいったい何だったんだー!」という意味です。これを一生懸命坐禅しながら工夫して見つけていくのです。

本当の自分を見つけると、如何に今まで自分は自分を作っていたのかがわかります。そして普段の生活があるがままの自分の生き方に近くなっていきます。これでやっと自分が自分の主人公になれるわけです。

やはりあるがまま生きる方が楽ですね。私はそう思いました。一度皆さんも本当の自分とは何かを心の中で工夫してみてはどうでしょう。作り物の自分ではつまらん話ですよ。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 22:47| Comment(2) | 人生を楽に過ごす方法

チャンスはピンチの顔をしてやってくる

百年に一度と云われる不況で、自分が思い描いていた人生の設計が大きく方向転換せざるを得ない人もたくさんいると思います。

その時は「大変だー!」と思うのですが大丈夫です。こんな事は人類の歴史の中で戦争や天変地異、飢饉として長い歴史の中で延べ何億人もの人達に起こっていたし、それが自分に起こっただけの話です。

そこで人生の分かれ目が出てきます。これをチャンスと取るかピンチと取るかです。皆さんこれは大変だけどチャンスなのです。まず、のほほんとしていられないので毎日真剣になります。何とかこの危機を乗り越えようと一生懸命生きるようになります。放って置けば失意でうつになる人もいるでしょうが、分からないでもないけどやはりそうなる必要はありません。

過去の危機的状況の歴史を見ると、全体から見れば亡くなる人は少しでやはり圧倒的多数が生き残り人生を続けていきます。マヤ文明は滅んだのですが人はインディオとして南米大陸に広がっています。

面白いのはこういう危機を乗り越えた後に飛躍的発展が見られることです。戦争で焼け野原になった日本が世界第二位の経済大国になるのですよ。今は不況ですが不況なりに世界第二位のままです。

これは国だけではなく個人も同じです。危機を乗り越えると実力が付き個人の飛躍的発展が見られるのです。こういう時は、がむしゃらに乗り越えなくても生き残るだけで実力がつきます。それは仕事かもしれないし、金、金、金の価値観が変わってやっと心の平穏が見つけられる価値観の土台が作られる事かもしれません。残業が減り、家族と過ごすうちに「何のために働くのか」本来の意味に気づく人もいるかもしれません。

価値観が変わると面白いですよ。例えば金や社会的地位などの価値観がゴロッと変わると、「セレブやってます」という顔をして生きている人が滑稽にすら見えてきます。私は別にお金を儲ける事が悪いと言っているのではありません。しかし、それにより自分が周りより偉いと思い出す人が多いのすね。、本人は得意満面の中にやはり不幸の種が芽生えていくから害も多いのです。たくさん儲かったら贅沢をせずに困った人へ喜捨すればいいのです。そうしたら不幸にならずに済みます。

こういう言葉があります。「チャンスはピンチの顔をしてやって来る!」ピンチの時が実はチャンスなのですが、チャンスとして自分のものにするためには自分の心を積極的な状態にしておくことですね。ピンチの時ほど積極的な良い言葉を使い、消極的なつまらん言葉は使わないことです。

いくら勇ましいことを言っても心を正しくして置く事が苦しい時にはもっと大事かも知れません。言葉は綺麗でも不正をしたり、人を傷つけていては何もなりません。

自分が苦しい時ほど周りの困っている人を助けましょう。これは結局人よりか自分が助けられることになりますから。何があっても大丈夫ですよ!人間何時からでもやり直しができます。もともと「人間本来無一物」なのですから。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 00:06| Comment(2) | 空の心

2009年03月16日

お釈迦様は何故仏祖なのか

ご存知のようにお釈迦様は仏祖です。仏教を創めたのがお釈迦様だから仏教の祖になるわけです。お釈迦様は実在の人物であった事はどうも確かです。後に色々な歴史、人々の願望から神のように神格化されていきましたが元々は生身の人間です。

私はお釈迦様が偉いと思うのは、まず「人生は苦である。」という真理を見極めた事。そして、その「苦」から逃れるには「こうしたら良いよ。」と苦しみから逃れる方法として坐禅を含めた「八正道」を見極めたことだと思います。詳しくは私のブログの「幸せに生きる八つの実践」を参照してください。http://gakunan-zen.sblo.jp/archives/20090310-1.html

お釈迦様はこれらの道を悟った後インド中を歩き回って人生の真理とその解決方法をあらゆる人に教えていきました。お釈迦様は「こうしたら良いのだよ。」と人々の苦しみを思うと教えざる得なかったのだと思います。苦しんでいる人々をどうしても救いたいと思う慈悲心ですね。

お釈迦様は亡くなる時に「これから私達はどうしたら良いでしょう?」と聞く弟子たちに「自燈明、法燈明」と答えられました。自燈明とは「自分自身を燈明とせよ。」要するに自分自身を頼りにせよということです。法燈明とは「釈迦が見極め教えた真理を燈明とせよ」という意味です。お釈迦様は「自分自身と真理を頼りとして生きていけ」と言われているのです。「真理」とは不変のものです。

人を頼りとせよ。世間の道徳を頼りとせよとは教えていません。まず、頼れるだけの自分自身を作っていかなければいけないし、釈迦の教えた真理を自分の物とする勉強も必要です。「修行は嫌いだけど、悟りは好き!」というわけにはやはりいかないのですね。

世間の道徳は世間とともに移り変わります。道徳というと「すごく確固たる正しい道」みたいに思われている場合もありますが、歴史ではそうではないことがはっきりしています。

世間では反道徳的な人が刑務所に入るのですが、昭和の時期に起こった太平洋戦争では、戦前、戦中、戦後に牢屋へ入った人は全部違う種類の人です。戦前、戦中は戦争や体制にに反対した人が牢屋に入ったし、戦後は戦争に賛成した人が牢屋に入っています。たかだか10年の間にこれだけコロコロ変わるのです。アメリカのテロ容疑者の刑務所もたぶん同じようなものでしょう。不変の真理と比べると、こんなにコロコロ変わるものを絶対的に頼りにする事はやはりできないのです。

私にとって「禅」はお釈迦様の教えを学びを実践する効率の良い教育システムです。禅を実践していくうちに自分にぶれない背骨ができていくような感じがします。お釈迦様の説いた真理を勉強して、実践していくと「なるほどなー!」とどうしても感心してしまうのです。

仏教の本やお経に書いてある事は文字からしても難しいのでうんざりします。このブログで少しでもお釈迦様の教えが分かりやすく伝われば幸いです。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 22:47| Comment(2) | お釈迦様

2009年03月15日

怒り、ストレスは病気の原因

釈迦 いわく
怒りをやめて、安らかに臥(ふ)す。
怒りをなくして、悩まない。
怒りを滅ぼすことを、聖者たちは賞讃する。
ヴァトラブーよ。それを滅ぼしたならば、悩むことがないのだ。

現代の人々にとって、怒らない日を過ごすことは生きる上で大切な指針とすべき
大切なことである。怒りやイライラや不安は多くの人にストレスとなって、
様々な病気を引き起こしているからだ。心も体もその人自身の怒りと、人から怒られる
ことで生じる恨みでズタズタになって、訪ねてこられる。その人は怒り続けることで
心に罪の意識が生じる。また、毎日の生活の中で怒りがなくならないことと、
怒りに執着する自分が許せない。このささいな心の争いが心の隅に残って気になり、
イライラが増してゆく。こうして怒りはさまざまな障害と心のねじれをもたらす。
怒りが収まって初めて、安らかに床につける。

釈迦が「ヴァトラブーよ」と呼びかける時、そこにあなたの名を入れ替えてみるとよい。
釈迦が、親しげに呼びかけてくれるのを感じるだろう。
「さあ、君は、怒りを減らしなさい。そうすると、今の悩みは消えてゆく。
もう、その人を許し、その人に、許しの光を送りなさい。」と・・・・・。
そうすると、あなたが救われる。怒りを収めて丹田を練り、ゆっくりと息を吐いて
心を静めてみるといい。どんな悪しき状況に置かれても、怒りを収め、許すことを覚えて
ゆくようにする。ボクシングの世界大会で解説の元チャンピオンが、体験を話していた。
リング上では怒った方が負ける。怒らせた方が勝つ。怒った人は理性を失い、
腕の振りも足なみも乱れてくるから、空振りが多くなると・・・・・。
あらゆる世界で怒りは、次のステップのチャンスを失う。

釈迦はさらに次のようにいわれる。
「怒らず、恨まず、欺(あざむ)かず、誹(そし)ることなく、
また戒(かい=いましめ、戒律)を保ち、良き友を得、良き知恵のある修行者は、
死んだのちに、来世で悲しむことはない」
怒りによって、人を傷つけたならば、次の転生に影響してくる。怒りは次の怒りを呼び、
来世でその怒りによる苦を自分が味わう。いつまでも怒りの業は消えず、
その与えた悲しみとつらさを深く味わうまで、業は追いかけてくるという。
ストレスと怒りは人の心のエネルギーを外に漏らしているのと同じだ、怒り、
不安になると、元気が失せ、寝込んでしまうことがあるように、
心のエネルギーが失われてゆくのを感じるだろう。
また、ガンは怒りによって発火する。人はみなガンの体質を持っているといわれる。
例えば、蒔きと紙だけで火がつかないように、ガソリンは怒りであり、
マッチはストレスである。 怒りとストレスは
マッチとなって激しい火を起こし、薪を燃やし細胞をガン細胞へといざなう。
北川八郎氏著 ブッダのことば「百言百話」より 立花敏伸氏HPより

天地の「気」というかエネルギーというのか、目には見えない今の物理学では測定できない何らかの力が有ることは確かだと思います。もっと素粒子とか、ブラックホールとか宇宙物理学が進むと少しづつ解明されていくと思いますね。このようなことを神秘的に考える必要は無いと思います。

ただ、自分の心の状態がこの天地の「気」のバルブになっていると私は確信します。心が安らかだとバルブが開いてプラスのエネルギーが入ってくるし、心が怒りや不安で乱れるとこのエネルギーの供給が少なくなり病気になります。完全にストップすると死にますね。

人生には苦しい時もあります。そういう時は思いっきりプラスの言葉を使って、塞ぐ心で閉まりがちなバルブを目いっぱい開きましょう。最終的には人は皆自分だけが頼りなのです。私は苦しい時こそこの天地の「気」をいっぱい取り入れるようにしています。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 22:35| Comment(2) | 自我

2009年03月14日

心で生きる

私が若い頃は幸せとはその人が置かれている立場、条件の中に有ると思っていました。

「社長になって、お金や地位があって、自慢できる家族がいて、大きな家があって・・・・・」その中に幸せが有ると思っていました。

でも、それは大きな、大きな間違いでした。

人間はいくら財産や地位があっても、心が貧しくては決して幸せは感じられないのです。

物質的には貧しくても心が豊かであればいつも幸せな気持ちで穏やかに暮らすことができます。

そう、幸せは自分が置かれた立場や条件の中には無く、自分の心の中にあったのですね。

いくら自分が置かれた状況が厳しくても、心の置き所一つで同じ景色が地獄にもなり極楽にもなる。

心豊かに生きることが如何に大切か、今半世紀にわたる自分の人生を振り返り、しみじみと良い事に気づいたと思いますよ。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 22:30| Comment(0) | 物事は必ず好転する

自分の使命

自分の使命を全く顧みることなく、欲の道にはずれると、
そのはずれた距離に応じて、いろいろと、苦と、虚しさに捕らわれる。

もし、いらいらが続き、いつも虚しい時は、自分の持って生まれた意味や使命や、
この目的から、遠くはずれていることを意味している。自分の使命を果たしているとき、
顔は生き生きとし、毎日は充実感に満たされ、たくさんの人の応援に出合う。
これだけはいえる。今世は、社長になり、また、お金持ちになり、自分の都合にだけ
生きるために、人としての生命を神から与えられたのではない。威張るために、
自己の勢力を張るために、人を苦しめても、自分だけはいい思いをするために
この世に来たのではないと断言できる。

私のこの小さな、九州の片田舎町に、そのことに気づき、独り歩む男性を知っている。
まだ若く、手さぐりだが郵政公社に勤め、それまでに、中学高校といつも失敗し、
笑われながら、人に喜ばれることを目指し、高校で誰も立候補しない生徒会長を自ら
選び、今も、山村に一人住むお年寄りを、暇にまかせて慰問し、声をかけ、さらに自分に
出来ることはないかと、手さぐりで素朴に生きている姿は、感動する。その若い人の、
周りに勇気を与え、純朴だが歩む力強さに、拍手を送ってしまう。
そういう人にめぐり会えて私は幸せである。 

北川八郎氏著 ブッダのことば「百言百話」より 立花敏伸氏HPより

私は人の使命は色々な過ちを犯しながらも、ついには人々のために尽くせる自分になることだと思います。その道から外れるといくら金や権力を握っても最後は悲しい、寂しい人生を送ることになります。そのような例は日本史、世界史にいっぱいあります。
だから、一日一日精進して、格好だけではなく本当に人のために尽くせる自分になれるよう願っていればいいのですね。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 00:18| Comment(0) | 暗いままの明るさに生きよ

2009年03月12日

考えない

「悩む」と言うことはどういうことなのでしょう。普段私はよく「この世に悩みの無い人はいません。」という話を聞きます。よくよく「悩み」について考えてみると、「自分はこうしたい。自分はこうありたい。」という自分に対する思いに現実の情景が違う場合に人間は悩むみたいです。要するに思う通りにならない時に悩むのです。

私の家には「トラ」という猫がいます。家と外を行ったり来たりしながらもう13年も一緒に住んでいます。私の家は山の上にありますので車にひかれる心配もありません。私は「トラ」をよく観察するのですが、全くといっていいほど悩みはなさそうですね。かなり自由に生きていますが、やはり家族の一員として一緒に住んでいるので全部が全部「トラ」の思い通りにはなりません。

例えば外に行きたいと思っても、誰かが玄関を開けてくれないと外には出られません。寒い日に家に帰りたいと思っても家族が外出していれば外にいなければいけません。お腹が減っても家の者がいなければ帰って来るまでお腹を空かせて待っています。

でも、「トラ」には悩んでいる様子はありませんし怒ってもいません。もちろん猫と人間では脳の容量も違うので全く比較の対象にはならないのですが、私は「トラ」から時々学ぶことがあります。

「トラ」は「自分はこうしたい」という思いがあって現実にそうならなくても、その「思いが叶わない」ことについて何も考えていないのです。ただじっと待つ。この何〜にも考えていないのが「トラ」が幸せそうに生きている秘訣ではないかと思います。

例えばお腹を空かせて誰もいない家で待っていても、家人が帰ってきてキャットフードを貰えると嬉しさいっぱいになって、嬉しさ以外には何も無くなってしまうのですね。

これが人間だと大変です。「いったい何時になったら帰って来るんだ!この俺を何と思っておる!相手のことを考えないからこんなに遅くまで帰ってこないのだ!」とずーっと考えながら、ぷりぷり怒りながら待っている人もいるでしょう。そしていざ奥さんが帰ってくると「いったい今何時だと思っているのだ!遅くなりそうだったら電話しろよ!早く何か食わせろ!」と帰ってきた奥さんに怒ったりします。

奥さんが帰って来たら何か食べるものを作ってくれるから嬉しいはずなのに、放って置かれた怒りの方が嬉しさより優先されるのです。だから幸せではない。

私は「トラ」から自分の思い通りにならなくてもそのことについてずーっと考えないことを学んだ気がします。そして、思いが叶うとただそのことについて喜ぶ。すると結構猫みたいに穏やかに一日が暮らせるものです。

坐禅では「二念を継がず!」と言います。坐禅をしていると「アッ、あの人に電話をするのを忘れた!」みたいな雑念がボコっと頭に浮かびます。普通だと「すぐに電話をしなければ。電話が無いから心配しているかな?」という風に次々と念が頭に浮かんできて考えが広がっていきます。坐禅ではボコッと雑念が浮かぶのはそれは仕方が無い。でもそこでその念を捨てよと言われます。次に続けない。したがって、坐禅の修行をするという事は何万発も頭に浮かぶ考えを捨てる訓練なのです。

深く考えられる事は人間の特権です。この特権を感謝や嬉しさに使うか、怒りや不安に使うのかで天と地の差が出てきますよね。同じ特権があるのなら、感謝や嬉しさにこの特権を使って、怒りや不安などのマイナスの考えは捨ててしまいましょう。きっと猫みたいに穏やかに一日が過ごせるようになりますよ。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 23:08| Comment(2) | 自我

2009年03月11日

心と健康

日本ではよく「健康な身体に健康な心が宿る」と言われます。だから一生懸命頑強な身体を作ろうとする人もいます。しかしこれは間違いですね。「健康な心に健康な身体が宿る」のです。

今、殆どの病気は自律神経の乱れから来ているという学説が大変有力になっています。自律神経とは意思とは関係なしに、心臓や呼吸、内臓を働かせている神経です。

自律神経は昼間の神経とも言われる交感神経と夜の神経の副交感神経の総称です。朝起きると心拍数が上がり、身体が活動を始めるのは交感神経のお陰です。逆に、夜リラックスして眠りにつけるのは副交感神経のお陰になります。両者のバランスが取れていれば身体はちょっとやそっとで病気にはなりません。血液検査でデータを取ると、免疫機能をつかさどる白血球、顆粒球、リンパ球の数値が最適な状態になります。したがって、免疫機能がフルに働くのです。

しかし、ストレスを受けて交感神経優位となり自律神経のバランスが崩れると免疫機能が低下し病気になります。がんもこの自律神経の乱れから発症します。今まで、肺がんなどは喫煙が原因とかよく言われてきましたが、欧米諸国で禁煙が進みタバコを吸わない人の人口が急増しました。しかし、肺がん患者は減るどころではなく逆に増えているのです。ではどういう人が肺がんになっているかと言うとタバコを吸わない人です。

社会のストレス状況は確実に悪化しています。自律神経のバランスが乱れる人も急増しています。不眠をはじめ、がんやその他の内臓疾患が増えています。これは心が健康でないからです。あれやこれやと悩み自律神経のバランスを崩して不眠になり、そして病気になっていきます。

皆さんよく考えてください。悩むことなどは全く必要の無いことです。悩んで状況がよくなるのであればどうぞ朝から晩まで悩んでください。でも、悩んで状況がよくなるわけ無いでしょう。逆に病気になって状況をもっと悪くします。しかし、心を楽にして自律神経が整うと免疫力が回復して、癌ですら想像を超えるスピードで治ります。

簡単なやり方で自律神経のバランスをとる方法がありますので以下のURLを見て下さい。これは新潟大学医学部で開発された方法です。効果覿面ですよ。http://www.umi-kaze.com/index/naiyou/seikatu_sido/tume_momi.htm
そうそう、坐禅も効果覿面です。禅堂で不眠で悩んでいる人は未だ嘗て見た事がありません。みんな死んだ様に寝ています。


合掌
仏光
 
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posted by 仏光さん at 23:43| Comment(0) | 人生を楽に過ごす方法

2009年03月10日

幸せに生きる8つの実践

お釈迦様は「人生は苦である」と見極められました。私は「なるほど真理だけど、それだけでは困るなぁ。もう生まれちゃっているんだから。」と正直思いました。それに対してお釈迦様は「これだけやれば人生ちゃんと生きられるよ」と言って8つの実践方法を教えています。つまりこれがお釈迦様が悟った「ちゃんと人生を生きる方法」なのです。この8つの実践方法を「八正道」と言います。それは次の通りです。

1. 「正見」・・・正しい見解
偏見や固定観念に固執せず原因と結果の関係を見極める。

2. 「正思推」・・・正しい考え
真実をありのままに正しく考える。

3. 「正語」・・・正しい言葉
うそ、間違ったこと、おべっか、悪口などを言わず、正しい言  葉を使う。 

4. 「正業」・・・正しい行い
盗み、無益な殺生、よこしまな行為をすることなく正しい行為をする。

5. 「正命」・・・正しい生活
規則正しい生活リズムを持ち、良い事は行い、悪いことは行わない。

6. 「正精進」・・・正しい努力
悟りを得るために怠り無く正しい努力をする。

7. 「正念」・・・正しい物事への取り組み方
正しい教えを心にとどめ、全ての行為をそのものになりきって雑念を交えず行う。(食べる時は食べるになりきる。働く時は働くになりきる。寝る時は寝るになりきって寝る。など)

8. 「正定」・・・正しい精神統一
正しく坐禅をする。  

なるほどこれだけ毎日やればちゃんと人生を生きられそうです。しかし「今すぐやれ」と言われてもすぐには誰もできません。

「禅」はこの八正道を日々の生活の中で行っていくための「教育システム」なのです。「教育システム」であるから良い先生につかなければなりません。先生が間違っていると間違った努力をして無駄な時間を過ごすことになります。お坊さんにならなくてもちゃんとした禅の修行ができるところがあります。「人間禅」というところで働きながら正しい臨済宗の禅の修行ができます。「人間禅」でウエブサイトを検索してみてください。

とはいえ、みんながみんな禅の修行はできませんから、この「八正道」を知って間違った事はしないようにする努力は各々ある程度はできるはずです。「こりゃ無理だ」と最初からあきらめない事。人生は一回しかありませんから、同じ人生を過ごすのなら、正しく過ごしてなるべく「苦界」の中で過ごしたくは無いものですね。放って置いたら「人生は苦」になっちゃうわけですから。

合掌
仏光
 
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posted by 仏光さん at 23:19| Comment(2) | お釈迦様

2009年03月09日

今の状況は過去の行いが返っているだけ

釈迦はいわれる
いかなる世界においても、ことばによっても、心によっても、
身体によっても、いかなる悪をもしてはならない。

いかなる世界とは、どんな悪しき状況におかれても という意味。
人に対しては、暴力だけでなく、ことばによっても傷つけてはならなにいという。
心の中だけで憎んだとしても、やがてその心から出るいじめや、差別感が生じるが、
それを、人になしてはならない。なぜなら、なしたことは全部還ってくるからである。
善き事も、悪しきことも、心には力があって返って来る。

今ある私たちの状況は、過去にずっと世間に投げたものが返ってきているに過ぎない。

もし、あなたが今とても苦しいならば、今、心の想いを善にかえ、一番憎い人のために
善きことを祈ることを習慣とするがいい、その上、さらに少しずつでも回りの
人々に善きことをなして生きようとするとさらにいい。きっと未来は善くなる。
私たちは人の上に立ったり、親として子に接したり、子供たちに教える時、
その子らが、自分の思う所と違う返事や行為を返した時や、期待はずれの結果を
出したり、反抗的態度を示した時、それらの弱い人たちに対して、ことばや身体によって、
傷をつけてしまうことがある。その弱い人が精一杯した仕事にもかかわらず、
自分の利に合わない時は認めず、その人をそのグループを、傷つけてしまう。
だから、心して、日常において、次の釈迦のことばを掲げ戒めとしなければ苦しむ。

釈迦はいう
「好ましい言葉のみを語れ。口をつつしみ、ゆっくりと語り、心がうわつかないで、
善い言葉を口に出せ。悪い言葉を口に出すな。悪い言葉を口に出すと悩みをもたらす。
いつも いつも、死が私たちを包むまでこれを戒めとするがいい」

北川八郎氏著 ブッダのことば「百言百話」より 立花敏伸氏HPより

世の中には色々な人が居るものです。いい年をして人にいやみを言ったり、慇懃無礼な言葉を吐く人も居ます。ただ、自分が認められなかったら相手が悪いと思う人もよくいます。でも、そういう人は放って置いてあげればいいのです。気にしない、気にしない。悪い言葉を発する事は天に向かってつばを吐くようなものですね。全部いつかは自分に返ってきます。だからその人たちの為に自分の心を悪しき方向に向ける事は無いのです。心無い悪しき言葉も自分にとってはいい勉強です。いつも感謝の心でいればいいのでしょう。本物は誰が何と言おうとやはり本物です。本物とは何かを良く見極める目を育てることが大事なのでしょうね。
合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 23:03| Comment(2) | 人生を楽に過ごす方法

2009年03月04日

雨にも負けず (引用宮沢賢治)


雨にも負けず風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだを持ち
欲はなく決していからず
何時も静かに笑っている
一日に玄米四合と味噌と
少しの野菜を食べ
あらゆる事を自分を勘定に入れずに
良く見聞きし判り
そして忘れず
野原の松の林の影の小さな萱葺きの
小屋に居て

東に病気の子供あれば行って
看病してやり
西に疲れた母あれば行って
その稲の束を背負い

南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくて良いと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し
寒さの夏はオロオロ歩き
皆にデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず、苦にもされず
そういう者に 私はなりたい。

私がまだ若い頃、この宮沢賢治の詩を読み「この人はいったい何を考えて生きているのだろう?人生を無駄に生きろということか!」と思ったことがあります。その頃は俗に言う立身出世が私のゴールでした。

それから、確かに私は経済的な余裕、物質的な豊かさ、社会的な肩書きをすべて手に入れました。十分すぎるくらい手に入れているにもかかわらず、「もっともっと」とあくせく生きていました。

手に入れた時には嬉しいのですが、すぐにそれが当たり前になり「もっと」と思うようになりました。決して穏やかな心で「自分は幸せだな〜」と感じたことは一度も無かったです。でも人より勝っていると思う優越感だけが生き甲斐みたいになっていました。

それが、急転直下苦しい思いをする期間が続く中で、初めて人の苦しさ、悲しさ、悔しさが判る人間になりました。また、そのころ出合った禅を通して人にとって何が一番大事であるかが分かった気がします。

今はこの「雨にも負けず」を見る度にこの詩の境涯の高さ、豊かさに感動を覚えます。そして今、「生きていて良かったなぁ」と心から思えます。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 21:01| Comment(49) | 足るを知る

2009年03月03日

自己を苦しめる自我

野球の試合で、あなたがピッチャーをつとめることになったとします。

最終回の裏、同点でツーアウト満塁。しかもツーストライク、スリーボールです。

「もし、フォアボールを出してしまったらどうしよう」
「落ち着け、自分ならやれる」
「恥はかきたくない。いや、そんなことはどうでもいい。
ベストを尽くせばいいじゃないか」・・・・・・・

次々と心に雑念がわいてきます。
これでは、ボールのコントロールを云々(うんぬん)する前に、
心のコントロールができなくなってしまいます。

このように、わたしたちが悩むのは、
失敗と成功、名誉と不名誉、損と得、苦と楽、勝ちと負け・・・・。

二つの感情や考えの間で、心が一方へ行ったり、反対へ行ったりする。
あるいは、一方だけに執着してしまうからです。

誰だって、自分のことを良く思われたい。得をしたい。いやな目に遭(あ)いたくない。と、考えるものです。

この「自分は」「自分だけは」という気持ちこそ、
相対する感情や、考えの間をうろつかせたり、
一方へ固執(こしつ)させたりして自己を苦しめる犯人なのです。

これを「自我」と呼びたいと思います。言い換えると、
わたしたちが普通、心と呼んでいるのは、
この「自我」にほかなりません。

そして、釈迦は、
苦しみの根源は「欲望と執着」であると説かれています。
立花敏伸氏HPより

人間の欲には果てしがない。
それはちょうど塩水を飲む者が、
いっこうに渇(かわ)きが
とまらないのに似ている。
彼はいつまでたっても
満足することがなく、
渇きはますます
強くなるばかりである。
                                      釈迦 

欲を心から離れて見やれ 何がなくとも充分じゃ

白隠禅師


自分の「思い」「思い込み」が自分を苦しめます。日々淡々と自分の事は終わらせて、後は人のお役に立てればいいのですね。

自分の「思い」が強い人は「心が重い」人になります。
自分の「思い」が軽い人は「心が軽い」人ですね。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 22:14| Comment(5) | 自我

2009年03月02日

貴方の願いは成就します

あなたの願い事は成就します

「世のために、自分を大きく生かしたい」 とお願いしてください。

その願いこそ、私たちが生まれてきた理由です。
この身体は借りものです。
自分のことだけを祈るのでは決して霊験はありません。
自分の為に、この一生があるのではなく
人の為に役に立てるためにこの身体がある。

「この私の願いが叶えば、必ず仏様に代わり、衆生(しゅじょう) のために尽くします」

という願いは必ず成就するものです。
                     
                                百万人にお遍路を伝える会の小冊子より


霊験(れいけん)・・・人の祈請に応じて神仏などが示す霊妙不可思議な力の現れ。利益(りやく)。
衆生(しゅじょう)・・・この世に生を受けたもの全てを意味する。
           特に、業の深き人間を指すことが多い。
           立花敏伸氏HPより

私は天がこのような願いを放って置くはずが無いと思います。人に喜んでもらえる幸せは何物にも変えられませんね。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 23:08| Comment(9) | 空の心

2009年03月01日

幸せの秘薬

立花敏伸氏HPより
★ この秘薬は、使い方を誤ると大変な事になりますが、効目は確かです。
★ 悲しい時や辛い苦労の時にでも幸せを感じ取る事が出来ます。

〈使用上の注意〉
この秘薬は、心豊かで素直な方のみに効果が現れます。
薬が合わず副作用で苦しむ方もいるようです。くれぐれもお気を付け下さい。

[幸せの秘薬 = 悲しみや苦労を経験する事です。]

悲しみや苦労は、悪い事でも不幸でもありません。
誰でも経験する事なので、否定せず素直に受け止める事です。

この経験が、心を豊かにして、いつでも幸せを感じ取る事が出来ます。

悲しみや苦労を経験する事で、どの様な時にでも幸せを感じ、
人の悲しみや苦労も解る豊かな心になります。経験の少ない人は、
楽しい事や嬉しい事だけが幸せだと思い込み幸せ探しの旅を続けます。
心が豊かな人は、いつでも幸せです。

秘薬の副作用 
悲しみや苦労を自分の為と思えぬ人は、この良き経験を、
自分の心で受け止めず、全てを人のせいにする事で、心を狭め、
恨みや悲しみの中で生活する事になります。

合掌
仏光
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posted by 仏光さん at 22:35| Comment(2) | 人生を楽に過ごす方法