2009年04月17日

ブログを引っ越します。

「禅僧 仏光さんの心の相談室」をご愛読頂きありがとうございます。

ブログが下記のURLへ移転しました。
ブックマークなどの再登録をお手数ですが、お願い致します。



引き続き「仏光さんの心の相談室」を宜しくお願い致します。
posted by 仏光さん at 11:01| Comment(1) | お知らせ

2009年04月16日

閔子騫(びんしけん)

50番札所 繁多寺 にて   閔子騫(びんしけん)
閔子騫(びんしけん)は孔子の弟子で母親に仕えて至考であった人。
閔子騫(びんしけん)は幼くして母を亡くした。父と後の妻とその二人の連れ子と
5人暮らしとなった。後の妻はわが子を深く愛して継子(ままこ)の閔子騫(びんしけん)を憎み、
寒い冬にもわが子にはあたたかい綿入れを着せたのに、継子には蘆(あし)の穂を入れたものを
着せた。父は見るに見かねて、後の妻に離縁を迫った。その時、閔子騫(びんしけん)は
「継母が去ってしまうと3人の子は寒さに震える。今私が寒さを我慢すれば
弟二人はあたたかだろう」と父を諌(いさ)めたので、継母も反省し、隔てなく慈(いつ)くしみ、
もとの母と同じようになったという物語。継子物語は、古今東西の物語にたくさん出てくる。
その物語の円満解決は家族の語らいと、私心を調和する努力かと思われる。

● あなたがもし、末期がんで、「余命半年です」と医師からいわれたら・・・。
あなたが、医師から「アルツハイマーです。これからどんどん記憶がなくなります」といわれても、
今まで生きられたことを感謝し、残された人生を感謝の心で生き抜くことができますか?

● 弘法大師は
「きれいに咲いたあの花も時がくれば散っていく。人も同じ草でも木でもこの世の中に
変らないものは何一つとない。桜の花のように咲くときにはうんと美しく咲き
おいしい実をならせて人の為になり役目がすめばきれいに散っていく
人の世もこうでありたいものだ。いつでもできるだけのことを力いっぱいやり
人のため世のためにつくし、どんなことがおきても心配のないようにしっかりとしておく
そうすれば歳をとって、花のように散っていくことも少しも苦しみにはならないのだ」
ということを我々に教えてくれています。

★望みを一つだけ叶えてくれるとしたらあなたは何を望みますか
・・・・・・私はどんなことにも「感謝できる心」を与えて欲しいです。(心を育てる会会報より)

何事があっても感謝できる心を育てるのが禅の修行です。私は以前、もうお亡くなりになった入門当時の老師に「愚痴や不平不満で生きるのではない!感謝報恩の心で生きよ!」ときつく戒められたことがあります。その時は「でも世間で生きていたら愚痴の一つも言いたくなるよ!」と思いましたが、修行が進んでくると老師が言っていた事がよく判るようになりました。「なるほどなあ」と思います。だから今の自分に愚痴や不満が無い訳ではありませんが、やはり減りましたね。要するに自我が減ったのでしょうね。その分幸せになったと思いますよ。

合掌
仏光
ランキング参加中。クリックをお願いします↓
仏光さんのバナー

コメントを送りたい方は下のCommentをクリックしてください。↓

posted by 仏光さん at 21:22| Comment(0) | ありがとう、ありがとう

2009年04月15日

青虫は蝶になれるか

発心(ほっしん) ― 悟りを求める心を起こすこと
(人間は、なまけものです。だけどやる気のスイッチは自分以外には押せません)

野原に二匹の青虫がいました。
一匹は空を飛び回るアゲハチョウを見上げて、

自分も早くあんなになりたいと、一生懸命葉っぱを食べました。

もう一匹は言いました。

「バカだなぁ。そんなまずい葉っぱを一生懸命食べなくたって、
青虫はそのうちアゲハチョウになれるんだよ。」

一匹は毎日葉っぱを食べ続け、もう一匹はお腹がすいたときに、
自分の好きな葉っぱをすこしだけ食べて、あとは遊んでばかりいました。
何日かたった ある晴れた日、あの野原に やせ細った一匹の青虫がいました。

「なぜぼくはアゲハチョウになれないの ?」 

小さい声でつぶやく青虫の上を、大きなアゲハチョウがとんでいきました。

● 精進(しょうじん)― 自分の仕事を怠らずに全力で続けていくこと
  (やる気のスイッチを押しても、全自動ではありません。続けましょう)


自分からはじめなくては、だれもはじめてくれません。
つづけなければ、どんなことも身につかないですね。


誰も代わることのできない、自分の人生なのです。
どんな人生にしたいですか?
どうするかは自分の心がけ次第です。
たった一度の人生です。くりかえすことのない「今」を「生かされて」いるのです。

この世は思い通りにならないことばかりで、くじけそうになることもあるでしょう。
それでもやる気を出していきましょう。
なまけぐせも限度を越すと、人間は人間としての生き方をふみはずしてしまいます。(立花敏伸氏HPより)

みんなの毎日が、そして人生が実り多いものでありますように。

合掌
仏光
ランキング参加中。クリックをお願いします↓
仏光さんのバナー

コメントを送りたい方は下のCommentをクリックしてください。↓

 

                     




posted by 仏光さん at 19:50| Comment(5) | 真剣に一日生きる

2009年04月14日

受け入れる

イライラしたり、不安になったり、怒ったり、悲しくなったり、マイナスの感情が出る時は自分がその状況を受け入れられない時です。受け入れられない状況とは、自分の思うようになっていない状況です。受け入れればそのような感情は湧いてきません。でも、受け入れるということと諦めるということは全く本質が違います。

世の中には受け入れるということを諦める、妥協すると解釈する人もいます。でも、それではどこか納得がいかない、釈然としない気持ちが残るでしょう。それはマイナスの感情です。

では、受け入れるということはどういうことでしょうか。それは、現状を冷静に見つめるということです。人生では自分の思うようにならないことがいっぱいあります。しかし、それが当たり前なのです。別に諦めるわけでもなく妥協するわけでもなく、現状を冷静に見て何処が間違っていてこのような結果になったのか振り返ることです。そしてその部分を直してもう一度やり直すのです。

普通なら「もうだめだ」とか「もう嫌だ」とか感情が先行してしまうのですが、間違っていた部分を直してもう一度やり直す、または改善する事は感情ではなく作業なのです。要するに感情の問題を作業にすり替えててしまうのですね。そこには感情が入る余地はありません。ただ、目的を達成するという作業があるだけです。

「もうこれ以上どうしようもない」と思ってしまい、やけになってもっと状況を悪くしたり、落ち込んだり、それが続くとうつになったりしますね。でも、見方を変えれば結構道は開けます。元々これ以上どうしようもないと思うこと自体自分の思い込みなのです。自分の思い込みで人生を台無しにするのは本当にもったいないことですね。

嫌なことがあれば、作業にすり替えてしまいましょう。状況変更作業です。心さえ乱れなければ世の中解決できない問題は、まあ無いでしょうね。どうせ寿命が来たら私達は死ぬのですから、わざわざ人生を難しくする必要はありませんよ。死ぬまで生きるのも一つの作業と言えなくもありません。それなら、その作業一つ一つを楽しみましょう。プラモデルも作る作業があるから面白いのです。編み物を編む作業が有るから面白いのです。最初から完成品を与えられても、すぐに飽きてしまうでしょう。

納得がいく人生を創る作業は山あり谷あり。「晴れてよし、曇ってもよし富士の山。元の姿は変わらざりけり」です。富士山は天候で高くなったり低くなったりはしません。「人生晴れた日も、曇った日も自分は自分。そんなことぐらいで右往左往はしないぞ!」と思ってみてはどうでしょうか。

合掌
仏光
ランキング参加中。クリックをお願いします↓
仏光さんのバナー

コメントを送りたい方は下のCommentをクリックしてください。↓
posted by 仏光さん at 23:03| Comment(4) | 人生を楽に過ごす方法

2009年04月13日

相手を大事にする

このブログで言葉の大切さを何回も書いてきました。言葉はその人の態度となり、心構えとなり、その人の人生を創って行きます。
今日、私は仕事でアシスタントの募集を開始したのですが多くの人からお電話を頂きました。

もちろんその人達は仕事を求めているわけですから、その人なりに一生懸命良い所を出そうとされます。もちろん私も逆の立場ならそうするでしょう。電話ですからその人の表情はわかりません。言葉だけのコミュニケーションになるわけですが、その人の人となりが会ってもいないのに不思議とわかりますね。

受付アシスタント業務ですから、専門的な知識の話は一切しません。人柄で選ぼうと思っていましたから、「この人はどんな人だろう?」と思いながら話していました。一応電話を頂いた方には皆さん面接をするようにしました。

私が心がけたのはまだ会ってもいない初めて電話をくれた方々に誠意のこ持った言葉で対応することでした。そうすると皆さん安心されるのか色々な質問をしたり、家庭の事情を話してくれたりします。私には余計その人の人柄が判るようになります。

雇う雇わないは面接しないと最終的には判りませんが、私のアシスタントとして良い人だなと思ったのはほんの数人でした。皆さん使っている言葉はほぼ同じような言葉ですが、同じせりふを言ってもこちらは全く違う印象を受けるのです。「何故同じような言葉を使っているのにこんなに違うのだろう?」少し考えてみました。

私が良いなと思った人達は、共通してまず私の事を気遣っているのが判りました。今の世相の中で仕事を探すのは結構大変だとは思います。皆さんこの仕事が欲しいのです。でも、「仕事が欲しい」と自分の都合を思う以上にまずは相手のことを気遣う姿勢が普段から身に染みているのでしょうね。こういう人は多分私のお客さんに対しても同じように気遣ってくれるだろうなと思います。

いくら丁寧な言葉を使っても普段の自分は隠せないものです。よく就職するのに面接マニュアルを読んでいる人がいますが、面接する側にとってはそんなものはすぐに見破れるし、一生懸命マニュアル通りにしようとしている姿は滑稽にすら見えるときもあります。

私は仕事に限らず世の中を生きていく上で「相手を大事にする」心の姿勢が結果的には一番自分を助けるのではないかと思います。私は前にブログで「その日自分が会う人は赤の他人でも大事にする」という話をしましたが、普段からこのような心がけでいると必ず結果的には自分を救うことになるのだなと、今回の募集を通して逆の立場から思いました。皆さんももう一度この事を振り返ってみたらどうでしょう。いつかは自分を救うことになると思いますよ。

合掌
仏光
ランキング参加中。クリックをお願いします↓
仏光さんのバナー

コメントを送りたい方は下のCommentをクリックしてください。↓

2009年04月11日

自燈明、法燈明

これもまた、お釈迦さまが日々、さまざまな場で幾度となく口にされている言葉である。
「自灯明 (じとうみょう) 法灯明 (ほうとうみよう)」 (自帰依・法帰依) の教えといい、
法はいまでいう法律の法ではなく、仏の教え のこと。

そして、続けていわれたのが、 「この世において移ろい変らぬものは何一つない」 という事。
つまり、この世は無常ということだ。だから
「みずからを拠(よ)りどころとし、他を拠(よ)りどころとしてはいけない」といわれたのだ。
そして 「仏の教えを拠(よ)りどころにしなさい」と。

みずからを拠(よ)りどころとするためには、みずからが依(よ)って立たない心構えが必要だ。
といっても 「自分がいちばん」 というわけではないのはもちろんである。
むずかしいことではあるが、地に足をつけ、すくっと立っていたい。

お釈迦さまは 「頼りになるのは自分であるぞ」 と教えられました。
他人を拠り所にしたのでは、その他人から見放されれば、
あるいは、その人がいなくなってしまえば、途方にくれるほかありません。
あくまでも 自分で立ち、自分で歩まなければいけないよ、と諭(さと)されたのです。

法灯明 とは 「法を灯明とし、法を拠(よ)り所としなさい」 という意味です。
自分は何を拠(よ)り所にして生きればいいのか。「法」よりほかはない。
「真理」よりほかにはない。他を拠り所にしてはならないよ、とお教えになったのです。

法 とはお釈迦さまの教えであり、仏の教え、即ち 仏教という真理 を意味します。(立花敏伸氏HPより)

心が弱ると人や他を頼りにしたくなるものです。しかし、それでは頼りにしている人や会社がこけると自分もこけることになります。本来は自分自身を頼りにしなければなりません。それを深く自覚して自分ができる事をこつこつ行うことが大地に足がついた、裸一貫になっても大丈夫な自分を作り上げます。

でも、それだけでは独りよがりになる可能性も有るので、お釈迦様は真理をよりどころにせよと言われたのです。何が真理なのか正しい教えを受けることも大事ですね。私は釈迦の教えがなるほど正しいと思っていますよ。「千里の道も一歩から」まず自分のできる範囲から自燈明、法燈明を始めましょう。

合掌
仏光
ランキング参加中。クリックをお願いします↓
仏光さんのバナー

コメントを送りたい方は下のCommentをクリックしてください。↓
posted by 仏光さん at 22:14| Comment(4) | お釈迦様

「善因善果、悪因悪果」

人の昇沈(しょうちん)は 定(さだ)んで 道にあり   (遍照発揮性霊集より)
人が出世するか没落するかは、道理に基づいた生き方をするかどうかで決まる。

昔は、お日さまのことを 「お天道(てんどう)さま」 といっていました。
子供がちょっとでも悪いことをすると、

「お天道さまが見ていますよ。お天道さまに恥ずかしいと思いなさい!」 と叱ったものです。

この人間社会では、人にうそをついたり、人をだましたりすると、
たちまち信用を失ってしまいます。だから私は道理にかなった、
誰もが納得できる行動をしたいものですが、なかなかそうはいきません。
真言宗を興した弘法さんは、天長5年(828)に、日本で最初の庶民のための
「綜芸種智院 (しゅげいちいん)」 という学校を創設されました。
そのとき、つくった校則の中で、こんなことを述べています。

「人が出世するか没落するかは、道理に基づいた生き方をするかどうかで決まる」

この校則は 『遍照発揮性霊集』 という書物の中に残っています。遍照というのは
弘法さんのことです。発揮性霊集とは心情を包み隠さずに書いた詩文などを
集めたもの、という意味です。道理とは天道のことです。
慶応義塾大学を創設した福沢諭吉も、

「天道さま のおきてと申すは、昔むかしその昔より今日の今に至るまで、
少しも間違いあることなし。麦をまけば麦が生え、木の舟は浮き、土の船は沈む。
きまりきったることなれば、人もこれを不思議と思わず。
されば、今善き事をすれば善き事が報い、悪きことをすれば悪きことが報う も、
これまた 天道さまのおきて にて、昔の世から間違いしことなし。然るに天道知らずの
馬鹿者が、目前の利益に迷って、天のおきてを恐れず、悪事を働いて幸いを求めんと
するものあり。この土の舟に乗りて海を渡らんとするに同じ。こんなことで
天道さまが、だまさるべきや。悪事をまけば、悪事が生えるぞ。壁に耳あり、
ふすまに目あり。悪事をなして罪を逃れんとするなかれ」と書き残しています。

弘法さんも福沢さんも、こんなことを書かれるということは、平安時代にも
明治時代にも、ものの道理をわきまえない大ばかものがずいぶんいたのでしょう。
善因善果、悪因悪果(因果の道理)は、仏教の根幹 であり、運命のしくみである。

                   (高野山真言宗 大阿闍梨 大栗道榮著「空海の言葉より引用」)

● 「善因善果、悪因悪果」とは、まとめて言うと、
「幸福という運命は、善い行いが生み出したものであり、
不幸や災難という運命は、悪い行いが引き起こしたものである。善いのも悪いのも、
自分の運命のすべては、自分の蒔いたタネが生み出したもの なのだ」 ということです。(立花敏伸氏HPより)

当たり前のことを当たり前にしていたら、当たり前の結果が得られます。ところが、人間、追い込まれたり、目の前の利益に惑わされたり、自分の我が出て自己顕示欲に凝り固まったりすると、当たり前のことができなくなります。自分がしていることが如何に正しいかと飾られた理屈を並べますが、やはり真理と照らすと間違っているのです。そういう人は心のどこかに自分は間違っていると思いながら道理にかなわぬ事をしているのですね。

結局一時は良く見えても、挙句の果てに悪い種の花が咲き自分に災難が降りかかってきます。だから普段から正しいことをするのです。時には正直者が馬鹿を見るように見えることもありますが、結局はよい種の花が咲き、自分に幸せが訪れるでしょう。まあ、当たり前のことですけど。

合掌
仏光
ランキング参加中。クリックをお願いします↓
仏光さんのバナー

コメントを送りたい方は下のCommentをクリックしてください。↓



posted by 仏光さん at 00:15| Comment(3) | 真剣に一日生きる

2009年04月09日

自分がいつも正しいとは限らない

普通人間は自然に自分が正しいと思うようにできているみたいです。それ自体に何ら問題はありません。自分はいつも間違っていると思うほうがよほど問題があります。しかし、自分は常に正しいとは限りません。ところが社会では自分が常に正しいと思っている人が案外多いのです。

特に立派な肩書きができてくると、「自分はあなた達よりか正しいから、このようにあなた達より立派な肩書きと収入があるのですよ。」と意識しないまでも潜在的に思うようになります。みんながみんなという事ではないですが、このような人は案外多いですね。

私は仕事で新幹線をよく使いますが、車内の会社員の人達の会話は大概の場合自分の会社の話で、誰がどうだとか、あの部署はこうだとかず〜と話し込んでいるのが聞こえてきます。人の会社の話など私には全く興味は無いのですが、話している人の基本スタンスに共通性があるのは面白いと思います。

殆どの人が如何に相手や会社が間違っていて、自分が如何に正しいかを直接的、間接的に話している会話が殆どです。「俺がやればもっとできるのに、あの部署はああだからだめなんだ。」という類の話です。私は今まで「いや〜、間違っていたのは自分です。やはりあの人のほうが正しかった。私のせいで大変皆さんにご迷惑をかけた。申し訳ないと反省しています。」なんて話は電車の中で余り聞いた事はありませんね。

私も最近自分が正しいと思い込んでいたことが、実は自分が間違った考えをしていたと反省したことがあります。半信半疑で相手の言っている事の事実確認をしたら、相手の言っていることが正しくて自分が間違っていました。だから、自分と意見が違ってもすぐに相手を否定するのではなく、相手の話は一応よく聞いてみることです。人間であれば、いつも必ず正しいなんて事はありません。「自分はいつも正しい」と思い込むのはその人の自我が出ているだけだと思いますね。

「自分は正しいと信じて生きてはいるけれど、常に正しいとは限らない」と認識するのが人としてすごく妥当なところだと思います。
こういうスタンスでいると余り人と争いにはなりませんね。やはり、相手の話もきっちり聞くようになりますから。「俺は正しいんだ!」と言い張るよりかは、よほど平和的で効果的な結果が得られます。

合掌
仏光
ランキング参加中。クリックをお願いします↓
仏光さんのバナー

コメントを送りたい方は下のCommentをクリックしてください。↓

posted by 仏光さん at 22:18| Comment(3) | 物事は必ず好転する

2009年04月08日

お詫び

プロバイダーのサーバーの問題で画面が見にくくなっています。今復旧作業をしていますのでしばらくの間ご辛抱をお願いします。

合掌

仏光
posted by 仏光さん at 22:28| Comment(0) | 人生を楽に過ごす方法

一秒でも多く心を楽しくしたほうが勝ち

自分を取り巻く環境が厳しくなり、心が落ち込んでいる人は世の中に大勢いますね。社会状況は多かれ少なかれ多くの人に影響します。私も寺の坊主をしているわけではないので、自分の食い扶持は自分で稼いでいます。私も今の社会状況の影響を大きく受けている一員です。

昔の私であれば不安になり、落ち込んでもよい状況なのですが、毎日楽しく過ごさせてもらっています。幸せは心の状態です。一分一秒でも心を楽しくする努力を自分でします。落ち込んでイライラしながら状況が良くなるのであれば、私も朝から晩まで落ち込みますが、絶対にそういうことは起こらないのでそうしないだけです。

心を楽しくしていると面白いことが起こります。平常心が保てるので、状況を打破するアイデアが次から次と湧いてきます。それを一つ一つ実行していくと状況も一つ一つ良くなっていきます。ほんの少しの進歩でもいいのです。

考えてみてください。落ち込んでじっと不安とともに頭の中で考えてばかりいて行動を起こさないのと、心楽しく「さてどうしたら一番良い結果が出るか」と考え、実行に移すのとでは一日の進歩に天と地の差が出ます。

結局は全て自分の心なのです。自分が何とかしないと誰も最終的に助けようがないのです。人に頼っても、その人があなたの思う通りに動いてくれるとは限りません。でも、心楽しく自分の身体を動かして色々なプランを実行していくと、こちらが頼まなくても助けてくれる人が出てきます。電話一つでもいいのです。建設的なことを一つすることが大切ですね。

心さえ楽しくする努力をしていれば必ず道は開けます。そのような能力が我々一人一人に与えられているのです。だから,自分をもっと信用してください。心さえ楽しくしていれば本当に天地のエネルギーが自分に入ってきて自分を助けてくれます。自分を頼りに、正しい「道」を頼りに堂々と道の真ん中を歩いていこうではありませんか。大丈夫ですよ!

合掌
仏光
ランキング参加中。クリックをお願いします↓
仏光さんのバナー

コメントを送りたい方は下のCommentをクリックしてください。↓
posted by 仏光さん at 22:25| Comment(2) | 人生を楽に過ごす方法